厳島いつくしま)” の例文
旧字:嚴島
某人あるひとが「安芸あき厳島いつくしま弁財天べんざいてんへ、火のものを絶って祈願をめると、必ず覚えがよくなる」と云って教えた。尊は十二三であった。
神仙河野久 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
厳島いつくしま合戦は、毛利元就が主君の為めに、陶晴賢をちゅうした事になっているが、秀吉の山崎合戦のように大義名分的なものではないのである。
厳島合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「それでも莫迦ばかにはなりません。都の噂ではその卒塔婆が、熊野くまのにも一本、厳島いつくしまにも一本、流れ寄ったとか申していました。」
俊寛 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
安芸あき厳島いつくしまなどは、島の神が姫神であった為か、昔は島の内で機を立てることが常に禁じられてありました(棚守房顕手記)。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
また厳島いつくしまの句あるを見るにこの地の風情ふぜい写し得て最も妙なり、空想の及ぶべきにあらず。蕪村あるいはここにも遊べるか。
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
有名な点において熊野に劣らない厳島いつくしま神社の神もまた同じような物語を背負っている。『厳島の縁起』がそれである。
「まあ、お話しなさい、火種はいつでもありますよ、この炉の中の火は、安芸あき厳島いつくしまの消えずの火と同じことで、永久に立消えなんぞはしないから」
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
公卿や郎党のあいだにも、とりどり男女の情事もなかったとは限らない。厳島いつくしまの“厳島の内侍ないし”といったような熊野巫女みこもたくさんにいたのである。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日清日露戦争には厳島いつくしま神社のしゃもじが流行したように思う。あれは「めしとる」という意味であったそうである。
千人針 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
松島を旗艦として千代田ちよだ厳島いつくしま橋立はしだて比叡ひえい扶桑ふそうの本隊これにぎ、砲艦赤城あかぎ及びいくさ見物と称する軍令部長を載せし西京丸さいきょうまるまたその後ろにしたがいつ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
康頼の真心が通じたのか、神明のご加護があったのか、その内の一本が安芸あき厳島いつくしまに流れついたのであった。
紀州田辺の紀の世和志と戯号した人が天保五年に書いた『弥生やよいいそ』ちゅう写本に、厳島いつくしまの社内は更なり、町内に鹿夥しく人馴れて遊ぶ、猴も屋根に来りてつどう。
あくれば天明元年、春水本国広島藩のまねきに応じて藩学の教授となれり。其婦と長子とを携へて竹原に帰り父を省し、更に厳島いつくしまの祠に詣づ、襄は襁褓むつきの中に龕前がんぜんに拝せり。
頼襄を論ず (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
「ええね、ええね、なんか嬉しい気がするぞ、今日はけるかも知れんなあ。あれ、あんなに潮が高くなった。わしゃ、厳島いつくしまに行ってること思出しています。ホ!」
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
あだかもかの厳島いつくしまの社の廻廊が満つる潮に洗われておるかのように見える、もっと驚いたのは、この澄んでいる水面から、深い水底みなそこを見下すと、土蔵の白堊はくあのまだこわれないのが
雪の透く袖 (新字新仮名) / 鈴木鼓村(著)
宝暦十二年独美は母を奉じて安芸国あきのくに厳島いつくしまに遷った。厳島に疱瘡がさかんに流行したからである。安永二年に母が亡くなって、六年に独美は大阪にき、西堀江にしほりえ隆平橋りゅうへいばしほとりに住んだ。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
清盛が厳島いつくしま参詣さんけいする道をなおくするために切り開かした音戸おんど瀬戸せとで、傾く日をも呼び返したと人は申しまする。法皇は清盛のむすめはらから生まれた皇子おうじに位をゆずられる、と聞いております。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
しかりといえども乃祖だいそ元就もとなり寡兵かへいひっさげ、陶賊とうぞく厳島いつくしまみなごろしにしたる、当年の覇気はきことごとく消沈し去らんや。天下一朝動乱の機あれば、先ず徳川幕府に向って楯を突くものは、長にあらざれば必らず薩。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
厳島いつくしま神社の鳥居がある。振袖娘の舞姿がある。鎌倉かまくらの大仏様がある。
黄金仮面 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
「どっちだどっちだ、熊谷くまがいかえ? それとも厳島いつくしまの清盛かえ」
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
山鬼さんきという話は安芸の厳島いつくしまなどでは、久しく天狗護法てんぐごほうの別名のごとく考えられている。或いは三鬼とも書いてその数が三人と解する者もあったらしい。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
厳島いつくしまの造営、日宋貿易の誘致など、夢ならぬ現実を見て——承安三年、入道相国の五十六歳には——月ノ御所、西八条など、平家一門が軒をならべる所——花らんまん
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は讃州さんしゅうに遊びしこともありけん、句集に見えたり。また厳島いつくしまの句あるを見るにこの地の風情ふぜい写し得て最も妙なり、空想の及ぶべきにあらず。蕪村あるいはここにも遊べるか。
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
それは他でもない、安芸あき厳島いつくしまへご祈願にお出でになるのです。あすこは平家の人々がうやまあがめるお社でございます。何もおかしいことはありません、あすこには内侍ないしと申す舞姫がおります。
之を聞く広島より厳島いつくしまに至る途上に一個の焼芋屋(?)あり、其看板は即ち彼の書きし所なりと。彼れの家に錮せらるゝや屡〻大字を書して之を売れり。思ふに其看板は即ち彼が当時の筆なり。
頼襄を論ず (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
戦国時代の戦争の中で、頼山陽は三大戦として桶狹間をけはざまの戦、厳島いつくしまの戦、川越の夜戦の三つを挙げてゐる。この中、桶狹間の戦は、信長の出世戦争であるばかりでなく、天下の大勢にも影響した。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
たとえば、徳大寺実定とくだいじさねさだ厳島いつくしま詣りを真にうけたことなど、よく彼の一面を現わしている。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
薫風やともしたてかねつ厳島いつくしま
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
薫風やともしたてかねつ厳島いつくしま
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)