蒲原かんばら)” の例文
法螺ほら陣鐘じんがねの音に砂けむりをあげつつ、堂々と街道かいどうをおしくだり、蒲原かんばら宿しゅく向田むこうだノ城にはいって、松平周防守まつだいらすおうのかみのむかえをうけた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
乘出し蒲原かんばら驛外しゆくはづれにて夜も明渡あけわた辨慶べんけい清水六代御前松並木も打越て岩淵いはぶちの渡りに來り暫時しばし休息なしやがて富士川の逆卷さかまく水も押渡り岩を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
何処かへ移すのんやったら、蒲原かんばら病院はどうやろう。………あすこやったら、訳話したらきっと引きけてくれはるやろう思うねん。………
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
蒲原かんばら郡の新潟にひがたは北海第一のみなとなれば福地たることろんまたず。此余このよ豊境はうきやうしばらくりやくす。此地皆十月より雪る、そのふかきあさきとは地勢ちせいによる。なほすゑろんぜり。
右の方へは三保の松原が海の中へ伸びている、左の方は薩埵峠さったとうげから甲州の方へ山が続いている。前は清水港、檣柱ほばしらの先から興津おきつ蒲原かんばら田子たご浦々うらうら
大菩薩峠:07 東海道の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
カテゴメ カテとは飯にまぜるいろいろの雑物のことであるはずだが、越後の蒲原かんばら地方などでは、粗悪な米をカテゴメ、米の砕けをカテともいっている。
食料名彙 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
夕飯ゆふはんを済ませて明るいうちにとこを敷いてしまつた。麟に狐の子供と鳩ぽつぽのお伽噺をして聞かせた。金尾さんが来た。蒲原かんばらさんへ行つた帰りださうである。
六日間:(日記) (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
駿河国府(静岡)を立って、息津おきつ蒲原かんばらと来るのだが、その蒲原まで来るあいだに田児浦がある。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
蒲原かんばら平野の寒々とした水田だつた。暗らい冬空を映した水が、ただ満々とはりつめてゐるのみ。まれに畦道のはんの木が、その枯れ枝を、冬空の中にまいてゐるにすぎないのだ。
兄さんは、お母さんが、長い間御病気だったとそういったね? その長い間、医者は一体だれが診てたんだい? 大沢さんかい、甲午こうご堂かい? 蒲原かんばらさんには、かかってたのかい?
仁王門 (新字新仮名) / 橘外男(著)
「何んでも越後獅子て云うんだが、彼れはネ、私の国では、蒲原かんばら獅子と云いますヨ」
越後獅子 (新字新仮名) / 羽志主水(著)
蒲原かんばらの酒屋に押込が入つて、賣溜を奪つて逃げ、七月二十八日は小夜さよの中山で追剥おひはぎが旅人を脅かし、九月十七日には飛んで鈴鹿峠すゞかたうげで大阪の町人夫妻が殺されて大金を取られ、十月七日は
その上方に日本アルプスの北部が杳々ようようとして最後の背景をなしている、また兎、中、駒、八海、荒沢、大鳥岳の連嶺は数十条の残雪を有していて、蒲原かんばらの平野も日本海も脚下に開展している
平ヶ岳登攀記 (新字新仮名) / 高頭仁兵衛(著)
田植見に西蒲原かんばらに来し我等
六百句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
先陣は蒲原かんばら、富士川に進み、後陣はまだ手越てごし宇津谷うつのやにひかえていた。大将軍維盛は侍大将の上総守忠清を召すといった。
蒲原かんばら郡の新潟にひがたは北海第一のみなとなれば福地たることろんまたず。此余このよ豊境はうきやうしばらくりやくす。此地皆十月より雪る、そのふかきあさきとは地勢ちせいによる。なほすゑろんぜり。
しかし彼の軍は、由比ゆい蒲原かんばらで破れ、富士川でも全敗した。直義はついに鎌倉を出、足柄山の険に立った。彼の形相ぎょうそうももう以前の直義ではまったくない。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
越後の東蒲原かんばらの山村にも同じ日を後生ごしょう始めといい、前年十一月からこの前日まで、鉦を叩かぬ習わしがある。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
蒲原かんばらの酒屋に押込が入って、売溜をって逃げ、七月二十八日は小夜さよの中山で追剥おいはぎが旅人を脅かし、九月十七日には飛んで鈴鹿峠すずかとうげで大坂の町人夫妻が殺されて大金を取られ、十月七日は
蒲原かんばら氏は四十七歳になつてゐた。
逃げたい心 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
越後の蒲原かんばら地方などのように、無理をすれば水田も広く作ることができる。ただだいたいの趨勢すうせいから考えて、新時代の我々のためには潟は決して快適の地ではない。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
 同御製に「なけばきゝきけばみやこのこひしきに此里このさとすぎよ山ほとゝぎす」▲こしみづうみ 蒲原かんばら郡にかたとよぶ処多し。里言りげんみづうみかたといふ。その大なるを福嶋潟ふくしまがたといふ、四方三里ばかり
海口うみぐちへ着くやいな、しぶきにぬれた蓑笠みのかさとともに、筏をすて、浜べづたいに、蒲原かんばらの町へはいったすがたをみると、これぞまえの夜、鼻かけ卜斎ぼくさいの屋敷から遁走とんそうした菊池半助きくちはんすけ
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一つの参考は越後蒲原かんばらなどの昔話に、家の火の神すなわち荒神こうじんとか竈神かまのかみとかいうものを、ホド神と謂い、また北信や岩手県下に、ホドを深く掘ると貧乏神が出るとか
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
 同御製に「なけばきゝきけばみやこのこひしきに此里このさとすぎよ山ほとゝぎす」▲こしみづうみ 蒲原かんばら郡にかたとよぶ処多し。里言りげんみづうみかたといふ。その大なるを福嶋潟ふくしまがたといふ、四方三里ばかり
越後蒲原かんばら地方の川について考えてみても、川口の北へ曲る理由は、一つには海府かいふ地方の浜には砂が乏しく、幸便の風はあってもこれに托すべき北からの荷物はないに反して
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
雪ふかきは魚沼うをぬま頸城くびき古志こしの三ぐんあるひ苅羽かりは三嶋みしまの二郡、(所によりて深浅あり)蒲原かんばらは大郡にて雪うすき所なれども東南は奥羽あううとなりて高嶺かうれいつらなるゆゑ、地勢によりては雪深き所あり。
東海道ならば由比ゆい蒲原かんばら興津おきつの山々、焼津やいづに越える日本峠のように、汽車の響きと煙で小鳥をおびやかし、さらにいろいろの方法をもって捕獲を試みる所が、年を追うて増すばかりである。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
東に岩船郡いはふねごほり(古くはいはに作る海による)蒲原かんばら郡(新潟にひがたみなと此郡に属す)西に魚沼うをぬま郡(海に遠し)北に三嶋みしま郡(海による)刈羽かりは郡(海に近し)南に頸城くびき郡(海に近き処もあり)古志こし郡(海に遠し)以上七ぐん也。
蒲原かんばら低地の周辺の村々には、自分の知る限りにおいてもをかかぬ小家がつい近頃まであった。村の衛生係員が床の下を清潔にといってって来ても、どうしようもない土床の家が方々にあった。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)