脂粉しふん)” の例文
「ツインガレラの顔は脂粉しふんに荒らされてゐる。しかしその皮膚ひふの下には薄氷うすらひの下の水のやうに何かがまだかすかにほのめいてゐる。」
澄江堂雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
濡羽ぬればのような島田に、こってりと白粉の濃い襟足を見ると、ゾッとして、あこがれている脂粉しふんの里に、魂が飛び、心がもだえてきました。
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
脂粉しふんの世界には初めて足を踏み入れたことでもあり、吉野の明眸めいぼうにちらと射られても顔が熱くなって、胸の鼓動も怪しげに鳴るのだった。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし、十和田わだたいは、すべて男性的だんせいてきである。脂粉しふんすくなところだから、あを燈籠とうろうたづさふるのは、腰元こしもとでない、をんなでない。
十和田湖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
身をむほどに、娘の身体がしっとり汗ばんで、薫蒸くんじょうされた脂粉しふんの匂いが、揉み合うガラッ八をふんわりと押し包みます。
あの妙な形をした仏臭い木魚を脂粉しふんの気の漂っている辺に用いているというところに、かえって一種のおかしみがある。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
F飛行士は、女客のため屡々しばしば、墜落しようとする。彼の強気な毛むじゃらの足は、縁日で買ったような両翼を修繕しては、飛行を継続する。そのたびにはら/\して女優の美貌から脂粉しふんがはげおちた。
飛行機から墜ちるまで (新字新仮名) / 吉行エイスケ(著)
突然、なまめかしい脂粉しふんにおいが玄石の鼻をうった。
二人の盲人 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
舞台姿とはまた違うあでな装いに脂粉しふんの香をきこぼしながら、ツツウと幟竿のぼりざおの下へ歩いて来て、雷横の顔をさも憎しげにめすえていた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は風雨も、山々も、あるいはまた高天原たかまがはらの国も忘れて、洞穴をめた脂粉しふんの気のなかに、全く沈湎ちんめんしているようであった。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
うつらうつらと、宮川の岸を歩きつつある兵馬の心頭に残っているのが、あの脂粉しふんの匂いです。
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
平次は素気そっけもなく、一人一人、女の手拭——脂粉しふんに染んで少しなまめくのを見ておりましたが、三人目の手拭を手に取ると、ギョッとした様子で、店先の提灯の下へ持って行きました。
西八条や薔薇園の女房たちの脂粉しふんをながした川水に、今では、京洛きょうらくに満ちる源氏のともがらが、鉄漿かねき水や、兵馬の汚水を流しているのである。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大学へはいって以来、初めて大井を知った俊助は、今日きょうまであの黒木綿の紋附にそんな脂粉しふんの気が纏綿てんめんしていようとは、夢にも思いがけなかった。そこで思わず驚いた声を出しながら
路上 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
ブラームスの『ピアノ協奏曲=変ロ長調(作品八三)』(七二三七—四一、名曲集八〇)などは曲がいかにも立派なので、私の好きなレコードの一つであったが、欲を言えば脂粉しふんが多過ぎる。
それからはもう遊女の手につかまらないように注意して二人は歩いたが、脂粉しふんのにおいは、袂を水で洗っても消えないような気がするのだった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それら脂粉しふん絢爛けんらん調度ちょうどにとりまかれている陶工久米一は、左眼さがんのつぶれた目っかちで、かつ醜男ぶおとこで、えてはいるが、年、六十から七十の間。
増長天王 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
室ノ津は室の遊女でも知られている古い脂粉しふんの港だが、時ならぬ軍勢の上陸に、町じゅうは戦慄を暗くしていた。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お隣を見ると脂粉しふんの娘が、金糸と銀糸にかがられた若衆姿で、槍流しの水独楽みずごまとか何とかをはやし、むしろの陰の鳴り物では、今たけなわと思われます。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼女たちは、絵日傘に似た物をかざし——口々に客の舟へ何かさけびかけるのだった。——嬌声、水にひびき、脂粉しふん波を彩る——と詩人の歌った通りにである。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ほどを見て帰る者、ほどよしと見て膝をくずす客、ようやく、中村楼の大広間に、脂粉しふんと酒の香と噪舌そうぜつが霧のようにたちこめて、げんを呼び、杯をおどらせてきた。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
有り余るものは、えたる脂粉しふんのにおいである。ぬめにしきや綾にくるまれたとげである。珠に飾られた嫉視しっしや、陥穽かんせいである。肉慾ばかり考えたがる彼女らの有閑である。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
遠い王朝のむかしから、ここの辺りは、矢矧やはぎの宿のうかたちから脂粉しふんの流れをひいて、今も岡崎女郎衆の名は、海道の一名物であったが、そこの辻を曲がる様子もない。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
駿河台するがだいから蜿蜒えんえんと下町へのびた火は、その夜、川を越えて外神田の一角を焼き、東は勧学坂かんがくざかから小川町の火消屋敷をめつくし、丹後殿前たんごどのまえ風呂屋町ふろやまち雉子町きじちょうあたりの脂粉しふんの町も
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いまさら師直へやぼな忿懣ふんまんをもらしもならず、すでには席いっぱい、せるばかりな脂粉しふん群蝶ぐんちょうも来てそれに取り巻かれる段となっては、もういさぎよく笑顔を作っているしかなかった。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
紅梅ノ辻子つじ、そのほか方々の妓家ちゃやからよび集められた一流の遊君たちが、ここをうずめていたばかりでなく、脂粉しふんその狼藉ろうぜきをきわめ、酒に飽き、ぐちに飽き、芸づくしに飽き、やがては
また、脱がした良人の狩衣から、彼女のするどい嗅覚きゅうかくは、ちゃんと、脂粉しふんの香まで嗅ぎとっていた。で、若妻にありがちなすね方も当然だったが、彼女のばあいは、それも尋常一様な嫉妬ではない。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
脂粉しふんのにおいを見廻して
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)