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胎兒
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たいじ
宗助の
頼んだ
産婆も
可成年を
取つてゐる
丈に、
此位のことは
心得てゐた。
然し
胎兒の
頸を
絡んでゐた
臍帶は、
時たまある
如く
一重ではなかつた。
それと
共に
安住の
場所を
失うた
胎兒は
自然に
母體を
離れて
出ねばならなかつた。
胎兒は
勿論死んでさうして
手を
出した。
ひよめき、うごめく
胎兒の
蠢動によりて
其所を
段々調べて
見て、
宗助は
自分が
未だ
嘗て
聞いた
事のない
事實を
發見した
時に、
思はず
恐れ
驚ろいた。
胎兒は
出る
間際迄健康であつたのである。
女房は
横臥することも
其の
苦痛に
堪へないで、
積んだ
蒲團に
倚り
掛つて
僅に
切ない
呼吸をついて
居た。
胎兒を
泛かしめた
水が
餘計に
溜つたのである。
産婆は
出産のあつたつい一
週間前に
來て、
丁寧に
胎兒の
心臟迄聽診して、
至極御健全だと
保證して
行つたのである。
其の
頃の
腹が一
番危險だといはれて
居る
如くお
品はそれが
原因で
斃れたのである。
胎兒は四
月一
杯籠つたので
兩性が
明かに
區別されて
居た。
小さい
股の
間には
飯粒程の
突起があつた。