さる)” の例文
その様子が怪しいので、ひそかに主人らの挙動をうかがっていると、父子は一幅のさるの絵像を取り出して、うやうやしくいのっていた。
下女詮方せんかたなさにその火を羊の脊に置くと羊熱くなりて狂い廻り、村に火を付け人多く殺し山へ延焼して山中のさる五百疋ことごとく死んだ。
二十八宿しゅくの名をことごとくそらんじていながら実物ほんものを見分けることのできぬ俺と比べて、なんという相異だろう! 目に一丁字いっていじのないこのさるの前にいるときほど
支那の万暦まんれき年中、毘陵びりょう猿曳さるひき乞児こじきがあって、日々一ぴきさるれて、街坊まちに往き、それに技をさして銭を貰っていたが、数年の後にその金が集まって五六両になった。
義猴記 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
それはこの深山しんざんんで白頭猿はくとうえんばるゝ、きわめて狡猾こうくわつさる一種いつしゆで、一群いちぐんおよそ三十ぴきばかりが、數頭すうとう巨大きよだいぞうまたがつて、丁度ちやうどアラビヤの大沙漠だいさばく旅行りよかうする隊商たいしやうのやうに
前にもちょっと述べた通りハムステルてふ鼠は頬に大きな嚢ありて食物をさるの頬のように詰め込み得、常の鼠と異なり尾短し。
招かれて、その室へ行ってみると、柱に一匹の小さいさるがつながれていて、見るから小ざかしげに立ち廻っていた。
しかも彼はその教訓を、いつ、どんな苦い経験によって得たのかは、すっかり忘れ果てている。無意識のうちに体験を完全に吸収する不思議な力をこのさるっているのだ。
猛惡まうあくなるさる本性ほんしやうとして、容易ようゐさない、あだかあざけごとく、いかるがごとく、その黄色きいろあらはして、一聲いつせいたかうなつたときは、覺悟かくごまへとはいひながら、わたくしあたまから冷水ひやみづびたやう戰慄せんりつした
たとえば羊は今まで日本に多からぬもの故和製の羊譚はほとんど聞かず。さるの話は東洋に少なからねど、欧州に産せぬから彼方の古伝が乏しい。
顔は人のごとく、体はさるの如くで、一本足である。その怪物は王に訴えた。
さる人真似ひとまねをするというのに、これはまた、なんと人真似をしないさるだろう! 真似どころか、他人から押付けられた考えは、たといそれが何千年の昔から万人に認められている考え方であっても
未の歳も傾いてさるの年が迫るにつき、さるの話を書けと博文館からも読者からも勧めらるるまま今度は怠業の起らぬよう手短く読切よみきりとして差し上ぐる。
李遇りぐう宣武せんぶの節度使となっている時、その軍政は大将の朱従本しゅじゅうほんにまかせて置きました。朱の家にはさるを飼ってありましたが、うまやの者が夜なかに起きて馬にまぐさをやりに行くと、そこに異物を見ました。
バッチの『埃及諸神譜ゴッズ・オヴ・ゼ・エジプチアンス』に古エジプト人狗頭猴チノケフアルスを暁の精とし日が地平より昇りおわればこのさるに化すと信じた。
行くこと数十歩ならず、たちまち数十のさるの群れが悲鳴をあげながら逃げて来て、大樹をえらんでじのぼったので、茅もほかの樹にのぼって遠くうかがっていると、一匹の蛇が林の中から出て来た。
して見ると禀賦と訓練で他の怖ろしがる物を怖れぬ馬もあるのだ。『虎鈐経こけんけい』巻十に、さるを馬坊内に養えば患をかいを去るとありて、和漢インド皆厩に猴を置く。
筑紫琴つくしごとうた』にもある通り、庚申かのえさるかなさるに通うより庚申の夜祈れば何事も叶うとしたらしい。
ランドの『安南民俗迷信記』にコンチャニエンとて人に似て美しく年ると虎に化けるさるありと。
故ロメーンスは人間殊に小児や未開人またさるや猫に残忍な事をして悦楽する性ある由述べた。
ゴリラはわが国でヒヒというと斉しく大なるさるで、ややもすれば婦女を犯す由、古来アフリカ旅行記にしばしば見える。それからこの書に人間のゴリラと題号を附けたのだ。
既にいったごとく、猨は手の長いさるで、狖は神楽鼻かぐらばなで鼻穴が上に向いた尾長猴じゃ。
さるを呼び出し、汝は姿のみ人に似て実は人にあらず、馬鹿で小児めいた物たるべく、汝の背は曲り、つねに小児に嘲弄され痴人の笑い草たるべく、寿命は六十歳と宣うを聞いて猴弱り入り
蝶蜂は形を問わず、おのが好む花の色したよい加減な作り物に付き纏う事あり。南米産のさるに蠅の絵を示すと巧拙構わずつまみに来るを親しく見た。画が巧みなるにあらず、猴の察しがよいのだ。
それからプリマテス(第一の義でさると人)、以上十一類あり。
また大分新らしいのはさるが人の子を養うというやつだ。