水沫しぶき)” の例文
噴き井の上には白椿しろつばきが、まだまばらに咲き残って、絶えず湧きこぼれる水の水沫しぶきは、その花と葉とをれる日の光に、かすかなにじを描いていた。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
雨は水沫しぶきだけのように、空一面に、こまかく粉のように拡がった。風も、それに準じて、勢いを収めて、見る内に、山の頂きには青空が顔を出した。
貞操問答 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
それをば土手にむらがる水鳥が幾羽となく飛入っては絶えず、羽ばたきの水沫しぶきうごかし砕く。岸に沿うて電車がまがった。
深川の唄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その傍らの壁の高所たかみに、銀製の漏斗じょうご型の管があって、そこから香水の霧水沫しぶきが、絶間なく部屋へ吹き出している。
血ぬられた懐刀 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
一秒時二十米突近くの風力と一時間十五ミリに達する雨量とは、一面に大地の上に落ちかかって、樹木の梢にまた軒端に、白い水沫しぶきを立てながら走り去った。
掠奪せられたる男 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
腰の廻りへ、袴のやうにござを着て、鮎を釣つてゐる人が、水沫しぶきの中で掻き消されて、又しよツぱい顔が浮ぶ。
天竜川 (新字旧仮名) / 小島烏水(著)
破目われめから漏れおちる垂滴すいてき水沫しぶきに、光線が美しい虹を棚引たなびかせて、たこ唸声うなりごえなどが空に聞え、乾燥した浜屋の前の往来には、よかよかあめの太鼓が子供を呼んでいた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
燃殼のぷす/\いふ音や、水をけた時にはずみでほふり出してしまつた水差のこはれた響、それに何よりも私が惜しまず施した驟雨浴シヤワアバス水沫しぶきが漸々ロチスター氏を起した。
云い終って、口角沫こうかくまつを飛ばす様に、水車は水沫しぶきを飛ばして、響も高々と軋々ぎーいぎーいと一廻り廻った。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
ついに彼はものうげに網を投じる。水沫しぶきの立つ水の上に身をかがめて、見えなくなるまで網を見送る。しばらくぼんやりしたあとに、ゆるゆると網を引く。引くに従って網は重くなる。
流れにさをさしてさかのぼる船や、それから渦卷く流れに乘つて曳船に曳かれ水沫しぶきを飛ばし乍ら矢の如く下つて行く船を、彼は欄干に顎をもたし、元氣のない消え入るやうにうち沈んだ心地で
崖の下 (旧字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
谷は益々迫つて、ふち水沫しぶきは崖の上をたどつて行く人達の衣を湿うるほすやうになつた。平日ならば成ほどこれはすぐれた山水であるに相違なかつた。紅葉の時の美観もそれと想像が出来た。
山間の旅舎 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
憤怒、暴風、雷鳴、天井まで水沫しぶきが飛んでいようと、ひとりの婦人が舞台に現わるれば、一つの星が上ってくれば、平伏してしまうのである。マリユスは六カ月前には戦争をしていた。
一人は、抜討に斬ろうとしたが、男の上になって落ちて行く越中守へ、刀が当るので、はっとした時水沫しぶきを、高く飛ばし、川水に大きい渦巻を起して、二人の姿は、川の中へ没していた。
三人の相馬大作 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
こけを畳むわずらわしさを避けて、むらさき裸身はだかみに、ちつけて散る水沫しぶきを、春寒く腰から浴びて、緑りくずるる真中に、舟こそ来れと待つ。舟はたても物かは。一図いちずにこの大岩を目懸けて突きかかる。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
青春はむかしも今も変りません。二人は今の青年男女が野天のプールで泳ぐように、満身にを浴びながら水沫しぶきを跳ね飛ばして他愛もなく遊んでいます。あまりの爽快そうかいさに時の経つのも忘れていました。
鯉魚 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
水沫しぶきを擾して抛物線の、刻薄を伝つて。
逸見猶吉詩集 (新字旧仮名) / 逸見猶吉(著)
風の声も浪の水沫しぶきも、或は夜空の星の光も今はふたたび彼を誘つて、広漠とした太古の天地に、さまよはせる事は出来なくなつた。
老いたる素戔嗚尊 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
と見て取った一瞬間、水中の丘から十間も離れた水藻の浮いている水面から水沫しぶきさっと上げながら空中にヒラヒラと閃めいたのは、蟒蛇うわばみに似た顔である。
沙漠の古都 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
雨の水沫しぶきは、別荘の軒下にまで、容赦なく吹き込んで、雷はしきりなく鳴り渡って、絶え間なくあたりの空気を震わせ、嵐のシンフォニイは、今や最高潮に達していた。
貞操問答 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
赤い山躑躅やまつつじなどの咲いた、そのがけの下には、はやい水の瀬が、ごろごろ転がっている石や岩に砕けて、水沫しぶきちらしながら流れていた。危い丸木橋が両側の巌鼻いわはな架渡かけわたされてあった。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
水沫しぶきの中から二体浮び出た、火影に映る消防夫の姿のやうに。
天竜川 (新字旧仮名) / 小島烏水(著)
海は絶えずふくれ上つて、雪のやうな波の水沫しぶきを二人のまはりへみなぎらせた。素戔嗚はその水沫の中に、時々葦原醜男の方へ意地悪さうな視線を投げた。
老いたる素戔嗚尊 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
その渦巻に巻かれまいと水沫しぶきを立てて狂い廻りながらしかも水勢には争い難くやはり渦巻に巻かれたまま蒼黒い水穴——死の漏斗じょうごへ、一刻一刻近寄って行く
沙漠の古都 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
お庄はそれを縁側の方へ取り入れてから、障子にだるい体をもたせて、外の方を眺めていた。水沫しぶきと一緒に冷たい風が、ほてった顔や手足に心持よく当って、土の臭いが強く鼻に通った。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
彼はまた口をつぐんで、じっと足もとの石を見つめていた。水沫しぶきを浴びた石の間には、まばら羊歯しだの葉が芽ぐんでいた。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
れいは遠い浪のあひだに、高々と両手をさし上げながら、舟中しうちうの客をのろつてゐる。又或霊は口惜くやしさうに、舟べりを煙らせた水沫しぶきの中から、ぢつと彼の顔を見上げてゐる。
LOS CAPRICHOS (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
荒れ模様の海は薄明りの中に絶えず水沫しぶきを打ち上げてゐた。彼はかう云ふ空の下に彼の妻と二度目の結婚をした。それは彼等にはよろこびだつた。が、同時に又苦しみだつた。
或阿呆の一生 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
その度にばさ/\と、凄じく翼を鳴すのが、落葉の匂だか、滝の水沫しぶきとも或は又猿酒のゑたいきれだか何やら怪しげなものゝけはひを誘つて、気味の悪さと云つたらございません。
地獄変 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
同じ船室に当った馬杉ますぎ君と、上甲板の籐椅子に腰をかけていると、舷側にぶつかる浪の水沫しぶきが、時々頭の上へも降りかかって来る。海は勿論まっ白になって、底が轟々ごうごう煮え返っている。
上海游記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
雨は可也かなり烈しかつた。彼は水沫しぶきの満ちた中にゴム引の外套の匂を感じた。
或阿呆の一生 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)