反芻はんすう)” の例文
お南奉行所の記録に残っている、一年前の宇津の谷峠の出来事を平次は朝の茶に唇を潤おしながら、反芻はんすうするように続けるのでした。
宮坂は度の強い近視眼鏡の奥で睫毛まつげの疎い眼を学徒らしく瞑目していた。それが景子には老文豪の話を頭で反芻はんすうして居るらしく見えた。
ガルスワーシーの家 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
この即興と反芻はんすうとを兼ねた小天才は、この単句をどこから見つけ出したか知らないが、しきりに繰返しては小船の縁をゆすぶっている。
大菩薩峠:34 白雲の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
彼は矢張り黙りこくって、今までの成り行きを一生懸命反芻はんすうしてみたのだが、その記憶は極めて断片的なものでしかなかった。
自殺 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
わが幼少からの悲惨な女難のかずかずを反芻はんすうしてみて、やっぱり、胸をかきむしりたい思いに駆られる事もございますのです。
男女同権 (新字新仮名) / 太宰治(著)
場合によっては、その反感がいつまでも消えず、時々思い出しては反芻はんすうするうちに、次第に苦味を増しさえすることがある。
御萩と七種粥 (新字新仮名) / 河上肇(著)
今あのときの気持を静かに反芻はんすうしていると、自分とトシの身の上が改めてかえりみられるような気もしてくるのであった。
夕張の宿 (新字新仮名) / 小山清(著)
残尿が描く尿意のはたらきは残酷に私をあやつり、殆ど何分も経たないあいだに同じ所作を反芻はんすうしなければならなかった。
レアリスムとは、過去を反芻はんすうして、これを真実だと吐き出して見せるところの、あつかましい田舎牛のいである。
二十歳のエチュード (新字新仮名) / 原口統三(著)
恢復かいふく期にある明子はよくこの苦渋な回想を反芻はんすうした。彼女はそれに残酷なたのしさをあじわふと言ふ風にさへ見えた。
青いポアン (新字旧仮名) / 神西清(著)
まるで探偵小説みたいだなどと楽しい反芻はんすうをやっている内に、ふとそれに気づいたのである。そして彼はその不思議な思いつきに有頂天になってしまった。
猟奇の果 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
山脇の死者九十余、味方の死者三十二、傷者二十七という戦果を聴きながら……図書はひそかに上意文の「火薬」の条を反芻はんすうしていた。そればかりではない。
三十二刻 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
み込んだ食べものを口に出して反芻はんすうする見苦しい男の癖に、反射心理といふのか、私のご飯の食べ方がきたないことを指摘し、口が大きいとか、行儀が悪いとか
途上 (新字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
爺はその固く喰いしばった口の中で、どんな言葉を反芻はんすうしているのだろう、諸君も知っているのだ。
(新字新仮名) / 金史良(著)
ことに家を建てるという考えは、幾度び彼の頭の中で咀嚼そしゃくされ、反芻はんすうされたことであろう。
犠牲者 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
かじっているアラビヤ人の木炭売り・往来の中央で反芻はんすうに口を動かしている山羊のむれ・通りを隔ててわめき合う会話・これら一切のうえに往き渡るむっと鼻をつくにおい——おまけに
草庵に帰った沢庵は、一日の和楽をしみじみと反芻はんすうしつつ、こう詠ずるのであった。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
時々この文明の胃袋は不消化に陥り、汚水は市の喉元のどもとに逆流し、パリーはその汚泥おでい反芻はんすうして味わった。そしてかく下水道と悔恨との類似は実際有益だった。それは人に警告を与えた。
いつも動かしている頭の不規則な運動が、ちょうど反芻はんすうしているように見える。
俺は揺られながら、先刻の気持を反芻はんすうするように思い出していた。あの駅の前の気持は一時の露悪的な亢奮こうふんじゃないのか。そうも考えた。しかしその荒んだ気持はその時もまだ続いていた。
(新字新仮名) / 梅崎春生(著)
また彼らはかれ綽名あだなして、独言悟浄どくげんごじょうと呼んだ。かれが常に、自己に不安を感じ、身を切刻む後悔にさいなまれ、心の中で反芻はんすうされるそのかなしい自己苛責かしゃくが、ついひとり言となってれるがゆえである。
悟浄出世 (新字新仮名) / 中島敦(著)
考えるということについては不治の怠惰な連中で、大して弁解の余地もない怠惰者だった。ただ横にころがって自分の秣草まぐさと夢とを平和に反芻はんすうすることばかり求めてる、無気力な動物だった。
眼覚メタ後モ、予ハ反芻はんすうスルヨウニ夢ノ中ノ母ノ姿ヲ思イ出シテイタ。
瘋癲老人日記 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
日本は幸いにして、これを齟嚼そしゃくするのに反芻はんすう作用をもってしたので、はなはだしい害をば受けずにすんだのであるけれども、もしそれがなかったならば、日本も朝鮮のようになったにきまっている。
彼の女は、昨夜、いつになく打解けて彼が語つた時、彼の女にむかつて言つた彼の女の夫の言葉を思ひ出すと、その言葉を反芻はんすうしながら歩いた。さうして未だ見たことのない家の間どりなどを考へた。
……? 反芻はんすうか? 嫌な奴だな。
工場細胞 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
反芻はんすうもローマンもあったものではありません。世の常の子供が、驚いてベソをかいたと同じような狼狽としょげ方とで叫び出しました。
大菩薩峠:34 白雲の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
かの女は、くぐり門に近い洋館のポーチに片肘かたひじもたせて、そのままむす子にかかわる問題を反芻はんすうする切ない楽しみに浸り込んだ。
母子叙情 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
空茶からちや鱈腹たらふく呑んで、無精煙草を輪に吹いて、安唐紙やすからかみの模樣を勘定し乍ら、解き切れなかつた幾つかの難事件を反芻はんすうし、人と人との愛慾の葛藤かつとうの恐ろしさに
そのひしまもらなん、その歌の一句を、私は深刻な苦笑でもって、再び三度みたび反芻はんすうしているばかりであった。
乞食学生 (新字新仮名) / 太宰治(著)
しかし藤尾はそれ以上なにも云わなかったが、大助は娘の言葉をくりかえし頭のなかで反芻はんすうしていた。
新潮記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
それを心に反芻はんすうしているあいだに自然にこんな情景は、この形で踏むことが面白いという教えを自分自身の中から受け、また自然である気がして進行したのであるが
蜜のあわれ (新字新仮名) / 室生犀星(著)
彼は谷中の空家での激情を反芻はんすうしながら、足の向くままに、霧の中を靴音高く歩いて行った。
妖虫 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
それはその後反芻はんすうされる毎に、次第に苦味を増すかに覚える。——こういうのが恐らく落目になった老人のひがみ根性というものであろう、しかし私はそれをどうすることも出来ない。
御萩と七種粥 (新字新仮名) / 河上肇(著)
おきぬの世話を受けながら、嘉吉は心の中でその言葉をいくたびとなく反芻はんすうした。
早春 (新字新仮名) / 小山清(著)
今日、「人間」性という言葉はきわめて朦朧もうろうとしたものになっている。十九世紀が生んだ不肖の長子はレアリスムと称する得体の知れぬ反芻はんすう動物であり、これが人間性を濁らせてしまった。
二十歳のエチュード (新字新仮名) / 原口統三(著)
今更のやうに明子は苦渋な反芻はんすうをした。——
青いポアン (新字旧仮名) / 神西清(著)
というのが、つまり反芻はんすうするのである。
博物誌 (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
これは常に清澄の茂太郎が高らかに呼ぶところの反芻はんすうの一句でありますから、白雲は即座に、それをその通り受取ることができる。
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
だが恋愛に関する限り、たとえば、嫉妬しっとだとか憎みだとかいうものは、生活に暇があって感情を反芻はんすうする贅沢ぜいたく者たちの取付いている感情だ。
母子叙情 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
永左衞門は運座で三才に拔けた自分の句を反芻はんすうしながら、それでも緩々たる氣持で足を運んでをりました。
いくらでも濶達かったつに書けるのだが、と一箇月まえから腹案中の短篇小説を反芻はんすうしてみて何やら楽しく、書くんだったら小説として、この現在の鬱屈の心情を吐露したい。
作家の像 (新字新仮名) / 太宰治(著)
丁度反芻はんすう動物が、一度胃のの中へ納ったものを、また吐き出してニチャリニチャリと噛みしめては、楽しみを繰返す様に、北川氏は、今日の野本氏との会談の模様を、始めから終りまで
恐ろしき錯誤 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
かれは小坊主の口にした言葉を知らず知らずのうちに反芻はんすうしながら、ふとそこに迷路の出口がみつかりそうに思え、思想の虚実をあつめて凝視を続けていたのだ、——飯を食わぬと腹が減る
荒法師 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
茂太郎式に反芻はんすうして再応思案してみると、「万人堂の杉のスッポンコラは槍のようにとがっている、さぞお天道様てんとうさまも怖いだろう」
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
出来るだけ詳しく八五郎に話させた事件の全体を、反芻はんすうしながら考えているのでしょう。
『夏の夜の夢』と題して、あなたのメモリーにしまつて置くといゝですね。そしてあなたのこころが結婚生活の常套じょうとうに退屈したとき、とき/″\思ひ出してロマンチツクなそのメモリーを反芻はんすうしなさい。
夏の夜の夢 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
要するに、彼が歌うの歌詞そのものは反芻はんすうに過ぎませんが、声楽としての天分に、どれだけのみどころがありますか知ら。
大菩薩峠:28 Oceanの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
出來るだけくはしく八五郎に話させた事件の全體を、反芻はんすうしながら考へて居るのでせう。
その中には大根の片れの生噛なまがみのものも混っている。彼は食後には必ず、この噯気をやり、そして、人前をもはばからず反芻はんすうする癖があった。壁越しに聞いている逸子は「また、始めた」と浅間しく思う。
食魔 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)