一度ひとた)” の例文
ついては方今の騒乱中にこの書を出版したりとて見る者もなかるべしといえども、一度ひとたび木に上するときは保存の道これより安全なるなし
蘭学事始再版之序 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
ニュートンの運動律第一にいわくもし他の力を加うるにあらざれば、一度ひとたび動き出したる物体は均一の速度をもって直線に動くものとす。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
この書一度ひとたび世にでてより、天下てんか後世こうせい史家しかをしてそのるところを確実かくじつにし、みずからあやまりまた人を誤るのうれいまぬかれしむるにるべし。
一度ひとたびこの美妙な刺㦸に心を呼び覺されると、其れからは如何なる些細な事までもが、皆活々した力で私の興味を引き出す。
歓楽 (旧字旧仮名) / 永井荷風永井壮吉(著)
一度ひとた手活ていけの花にして眺めると、地味で慾張りで食辛棒くいしんぼうで、その上焼餅やきで口数が多くて、全く手の付けようのない駻馬かんばと早変りするのです。
猟色の果 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
どうも一度ひとた膏肓こうこうに入った病はちょうどモヒ患者の如く中々癒りそうもなく、私はその誤を去り正に就く勇気の欠乏をナサケナク感じている次第だ。
植物記 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
しかるに、印度のも支那のも、古代に一度ひとたびそれが大成せられてから、殆ど変化がない。時間はいたずらに流れても、歴史は開展せられずして今日に及んだ。
一度ひとたび、東京へ出ずれば、ですね——僕、さう、おめおめと帰つて来やしませんから安心して下さいよ。」
鏡地獄 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
一度ひとたび問題がここに触れようものなら知識階級は総立ちになって喧騒けんそうきわめるのだ。
厨房日記 (新字新仮名) / 横光利一(著)
則ちこの尊王思想は、かね醗酵はっこうしたる液体が一度ひとたび外気に接して沸騰するが如く、嘉永、安政以来外交の刺激によりて、始めて天下の人心を奔競ほんきょう顛倒てんとうせしむる活力ある警句となりしなり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
一度ひとたび木に上するときは保存の道これより安全なるなし、実に心細き時勢なれば売弘うりひろめなどは出来ざるものと覚悟して出版然る可し
蘭学事始再版序 (新字旧仮名) / 福沢諭吉(著)
それでですね、こう云う強大な威力のあるものだから、我々が一度ひとたびこの煩悶の炎火えんかのうちに入ると非常な変形をうけるのです
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
われわれ過渡期の芸術家が一度ひとたびこの霊廟の内部に進入って感ずるのは、玉垣の外なる明治時代の乱雑と玉垣の内なる秩序の世界の相違である。
霊廟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そうしてこの場合においても一度ひとたび製作に臨んではその古芸術は全然意識の外に消えてしまわねばならぬ。
芸術と国民性 (新字新仮名) / 津田左右吉津田黄昏(著)
親戚しんせき朋友ほうゆうの注意すべきことなり。一度ひとたび互に婚姻すればただ双方両家りょうけよしみのみならず、親戚の親戚に達して同時に幾家のよろこびを共にすべし。
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
ハンドルはもっとも危険の道具にして、一度ひとたびこれを握るときは人目をくらませしむるに足る目勇めざましき働きをなすものなり
自転車日記 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
私に向つて一度ひとたび詩に捧げた私の心の變節を攻め歎き、又慰めいざなふ、其のこまやかな言葉を聞くやうな心持さへした。
歓楽 (旧字旧仮名) / 永井荷風永井壮吉(著)
一度ひとたび講演を始めると、語は語を生み思想は思想を生んでゆくのみならず、その語その思想とその開展とに伴う何らかの気分とその推移、講演そのことから生ずる一種の心情の昂奮
歴史の矛盾性 (新字新仮名) / 津田左右吉(著)
一度ひとたび西洋より帰り来りて久しくざりし歌舞伎座を看るや、日本の芝居における俳優の科白せりふの西洋の演劇に比して甚だしく緩漫かんまん冗長なるに驚きぬ。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
男女にして一度ひとたびこれを犯すときは、既に夫婦の大倫を破り、じょの道を忘れて情を痛ましめたるものにして、敬愛の誠はこの時限りに断絶せざるを得ず。
日本男子論 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
裸体画も、東鉄も、電鉄も、あまり威張れば存在の権利を取上げてよいくらいのものであります。しかし一度ひとたび抽出の約束が成り立てば構わない。真もその通りであります。
文芸の哲学的基礎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
一度ひとたび理由なく目の前に浮んだとなつたら、如何いかにするとも消すことの出來ない恐しい幻覺である。
歓楽 (旧字旧仮名) / 永井荷風永井壮吉(著)
折から遠くより吹く木枯こがらしの高き塔をゆるがして一度ひとたびは壁も落つるばかりにゴーと鳴る。弟はひたと身を寄せて兄の肩に顔をすりつける。雪のごとく白い蒲団ふとんの一部がほかとふくかえる。
倫敦塔 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
精神一度ひとたび定まるときは、その働きはただ人倫の区域のみにとどまらず、発しては社会交際の運動となり、言語応対の風采となり、浩然こうぜん外にあふれて、身外の万物恐るるに足るものなし。
日本男子論 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
ああわが邦人の美術文学に対する鑑識の極めて狭小薄弱なる一度ひとたび新来の珍奇に逢著ほうちゃくすれば世を挙げて靡然びぜんとしてこれにおもむき、また自己本来の特徴を顧みるの余裕なし。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
仮令たとえあるいは種々様々の事情によりて外面の美を装うことなきにあらずといえども、一点の瑕瑾かきん、以て全璧ぜんぺきの光を害して家内のめいを失い、禍根一度ひとたび生じて、発しては親子の不和となり
日本男子論 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
しかし一度ひとたび生れた故郷へ帰っては——生れた土地ほど狭苦しい処はない——まさかに其処そこまでは周囲の事情が許さず、自分の身もまたそれほどいさぎよく虚栄心から超越してしまう事が出来ない。
監獄署の裏 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
人間と云うものは一度ひとたび命を取れば後で幾ら後悔しても取返しが付かない。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
十年十五年と過ぎた今日こんにちになっても、自分は一度ひとた竹屋たけや橋場はしば今戸いまどの如き地名の発音を耳にしてさえ、忽然こつぜんとして現在を離れ、自分の生れた時代よりも更に遠い時代へと思いをするのである。
夏の町 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
僕は登楼とうろうない。為ないけれども、僕が一度ひとたび奮発して楼に登れば、君達の百倍被待もてて見せよう。君等のようなソンナ野暮な事をするならして仕舞しまえ。ドウセ登楼などの出来そうながらでない。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)