“しんそう”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
深窓46.2%
真槍15.4%
真相7.7%
心操7.7%
信崇2.6%
眞相2.6%
晋宋2.6%
深創2.6%
深蒼2.6%
真宗2.6%
神宗2.6%
神槍2.6%
秦宗2.6%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
深窓しんそうな育ちでも、どこか女伊達だてめいた気風をもって、おそろしく仁義礼智の教えを守って——姿の薄化粧のように、魂も洗おうとした。
「これでまいる! 素手は素手ながら三河ながらの直参旗本、早乙女主水之介が両のこぶし真槍しんそう白刄しらはよりちと手強てごわいぞ。心してまいられい…」
ことの真相しんそうを知らない場外じょうがい見物人けんぶつにんは、いろいろみょうな顔をしているし、事情じじょうを知っている人々は、大鷲おおわしからてられた美少女びしょうじょの一身が、いずれにるか奪られるかと
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
敵たると味方たるとをとわず、武人のかんばしい心操しんそうに接するほど、予は、楽しいことはない。その一ときは、天地も人間も、すべてこの世が美しいものに満ちているような心地がするのだ。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「十三日。晴。」是日棠軒は長谷寺ちやうこくじに詣でた。其記に「鳥居坂へ寄、午飯」の文がある。宗家伊沢は幕政の時より居をうつさずにゐるのであつた。当主信崇しんそうは三十一歳であつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
当時信崇しんそうは年三十四であつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
たとひ多少たしようそれに注意ちゆういしたものがあつても、地震ぢしん眞相しんそう誤解ごかいしてゐるため、適當てきとうなものになつてゐなかつた。
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
著者ちよしやはこのときかれ反問はんもんして、きみはこの町家ちようか平家建ひらやだておもつてゐるかといつてみたが、該學生がいがくせいつぶかた眞相しんそう了解りようかいしたのは、其状況そのじようきよう暫時ざんじ熟視じゆくししたのちのことであつた。
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
しんずい王莾おうもうや、晋宋しんそう斉梁せいりょうや、則天そくてん符堅ふけんや、これ皆これをして天下を有せしむる数百年にゆといえども、正統とすからずとす。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
……鳥見役、網差、両名立ちあいにてお鶴医者滋賀石庵しがせきあん羽交はがいの下をあらため見たところ、胸もと、……心の臓のまうえあたりに二の字なりの深創しんそうがある。
顎十郎捕物帳:09 丹頂の鶴 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
おりしも沖を見ると、ちょうど真赤な入日が不安な色に凶兆を示して重たい鉄弾の焼けたのが落ちるように深蒼しんそうの日本海に沈む処であった!
暗い空 (新字新仮名) / 小川未明(著)
一番目「楼門五三桐さんもんごさんのきり」は五幕に分る。宋蘇卿明そうそけいみん真宗しんそうの命に此村大炊之助このむらおおいのすけと名乗り、奴矢田平やだへいと共に真柴久次ましばひさつぐに仕へ、不軌ふきを謀りしが、事あらわれて自尽じじんす。
両座の「山門」評 (新字旧仮名) / 三木竹二(著)
日本軍襲撃の報を、朝鮮の政府が明第十三代の皇帝神宗しんそう逸早いちはやくも告げた事は前に述べたが如くである。明では最初この急報を信じて居なかったが、追々と琉球や福建あたりからも諜報が飛んで来る。
碧蹄館の戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
索超は、雪白せっぱくの馬上に、金色こんじきほのおを彫った大斧おおおのをひッさげ、楊志はするどい神槍しんそうを深くしごいて、とうとうと馳け巡りながらきょをさぐる。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
高台寺、常林寺、永昌寺、秦宗しんそう寺を通れば広徳寺で、両国についでの盛り場であったが、今夜は妙にうら寂しい。おでん、麦湯、甘酒などの屋台店が出ているばかりである。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)