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豆府
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とうふ
……そんな
不料簡なのは
冷やつことは
言はせない、
生の
豆府だ。
見てもふるへ
上るのだが、
食はずには
居られない。
能樂師、
松本金太郎叔父てきは、
湯どうふはもとより、
何うした
豆府も
大のすきで、
從つて
家中が
皆嗜んだ。
ともすると、ちよろ/\、ちよろ/\と
草の
清水が
湧くやうだから、
豆府を
下へ、あたまから
昆布を
被せる。
夕顏には、
豆府かな——
茄子の
苗や、
胡瓜の
苗、
藤豆、いんげん、さゝげの
苗——あしたのおつけの
實は……
と、もづくを
吸ひ、
豆府を
挾む
容子が、
顏の
色も
澄みに
澄んで、
風采ます/\
哲人に
似た
三郎助畫伯が
夜は
風呂ふき、
早や
炬燵こひしきまどゐに、
夏泳いだ
河童の、
暗く
化けて、
豆府買ふ
沙汰がはじまる。
味噌の
小買をするは、
質をおくほど
恥辱だと
言ふ
風俗なりし
筈なり。
豆府を
切つて
半挺、
小半挺とて
賣る。
菎蒻は
豆府屋につきものと
知り
給ふべし。おなじ
荷の
中に
菎蒻キツトあり。
寺院は随一の
華主なる
豆府屋の
担夫一人、
夕巡回にまた例の
商売をなさんとて、四ツ谷
油揚坂なる宗福寺に
来りけるが、数十輛の馬車、
腕車、
梶棒を連ね輪を
駢べて、肥馬
嘶き、道を擁し、
馭者
誰も
食する
者なかりしが、
金澤の
人の
行きて、
此れは
結構と
豆府の
汁にしてつる/\と
賞玩してより、
同地にても
盛に
取り
用ふるやうになりて、それまで
名の
無かりしを
金澤茸と
稱する
由。
實説なり。