おくりな)” の例文
それはすでに太祖たいそ武帝(曹操のおくりな)がく観破して仰せられていたことです。——司馬懿は鷹のごとく視て、狼の如く顧みる——と。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
後にゆるされて帰りまして、所々の知州などを勤めた末に、端明殿学士たんめいでんがくしとなって退隠しました。死して文敏ぶんびんおくりなされて居ります。
法諡はふし宗経軒京水瑞英居士である。文政四年の自記に「仏諡可用宗経」と云つてあつた。此おくりなには僧侶の撰んだ文字は一字も無い。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
〔諡法の廢除〕 おくりなは周よりはじまつたもので、『逸周書』に「諡法解」がある。周公旦の定めた所と傳へられて居る。
秦始皇帝 (旧字旧仮名) / 桑原隲蔵(著)
洪武十七年、やまいを得て死するや、太祖親しく文をつくりてまつりを致し、岐陽王きようおうに追封し、武靖ぶせいおくりなし、太廟たいびょう配享はいきょうしたり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
(中略)後総撿挍となり、(中略)元和七年十二月二十五日京都に歿す。年八十一。おくりなして誠江と曰ふ。(中略)或は曰く、圓一は阿茶のつぼねの親戚なりと云々
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
老子らうし苦縣こけん厲郷らいきやう曲仁里きよくじんりひとなりせい李氏りしあざな伯陽はくやうおくりなたんふ。しう(一)守藏室しゆざうしつなり孔子こうししうき、まされい老子らうしはんとす。
こうずるやおくりなして章善院しょうぜんいん、流風永く今日に伝わり、市民今に仰いでいる。卿や資性豪放濶達、一面芸術家にして一面武人、政治の才に至っては、岡山の藩主新太郎少将と、優に比すべきものがある。
任侠二刀流 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
ついで改元の年を中に置いて、寛政二年に瑞仙の後妻が死んだ。此人も亦先妻と同じく名は伝はらぬが、おくりなが伝はつてゐる。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
これにもとづいて、三重臣は、曹叡そうえいを後主と仰ぎ、また曹丕に文帝とおくりなし、先母后せんぼこう甄氏しんしには、文昭皇后の称号を奉った。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かくの如きの人にして、みかどとなりて位を保つを得ず、天に帰しておくりなあたわず、びょう無く陵無く、西山せいざん一抔土いっぽうどほうせずじゅせずして終るに至る。嗚呼ああ又奇なるかな。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
死して文達公とおくりなされましたので、普通に紀文達とも申します。
蜀朝、おくりなして、忠武侯という。廟中には後の世まで、一石琴せっきんを伝えていた。軍中つねに愛弾あいだんしていた故人の遺物かたみである。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
思うに伊達家の先人には陸奥介行宗むつのすけゆきむねおくりなが念海、大膳太夫持宗が天海などと海の字の付く人が多かったから、満海のはなしも何か夫等それらから出た語り歪めではあるまいか。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
讀んで行く間に、明了軒のおくりなが系譜には運海と書してあつたのに、此には連海に作つてあるのに氣が付いた。金石文字は人の意を用ゐるものだから、或は系譜の方が誤ではなからうか。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
帝のお旨によって、孔明は武卿侯ぶきょうこうに封ぜられ、益州のぼくを領した。また、その年八月、恵陵けいりょうの大葬がすむと、国議は、先帝劉玄徳に、昭烈しょうれつ皇帝とおくりなした。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかるに廟諡びょうしを得たもうこと無く、正徳しょうとく万暦ばんれき崇禎すうていの間、事しば/\議せられて、しかついに行われず、みん亡び、しん起りて、乾隆けんりゅう元年に至って、はじめて恭憫恵きょうびんけい皇帝というおくりなを得たまえり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
独美が厳島から大阪にうつった頃しょうがあって、一男二女を生んだ。だんは名を善直ぜんちょくといったが、多病で業を継ぐことが出来なかったそうである。二女はちょう智秀ちしゅうおくりなした。寛政二年に歿している。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
勅して、順平侯とおくりなし、成都郊外の錦屏山きんぴょうざんに、国葬をもって厚く祭らしめた。また、その遺子趙統ちょうとうを、虎賁こほん中郎に封じ、弟の趙広を、牙門がもんの将に任じて、父のつかを守らせた。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「荀彧は、ちょうど五十歳だったな。不愍なことをした、敬侯けいこうおくりなしてやれ」
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
武昌の南郊に盛大な壇をきずいて、大礼の式典を行い、天下に大赦たいしゃを令し、即日、黄武こうぶ八年の年号を、黄龍こうりゅう元年とあらため、先王孫堅そんけんに対しては、武烈ぶれつ皇帝とおくりなして、ここに、呉皇帝の即位は終った。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
即ち、おくりなして
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)