禁裡きんり)” の例文
信長の父信秀が、伊勢の神垣かみがき御仕みつかえしたり、禁裡きんりへの奉仕につとめたのも、要するに、こういう田野の人々と同じ心のものだった。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わたくしはもときょううまれ、ちち粟屋左兵衞あわやさひょうえもうして禁裡きんりつかえたものでございます。わたくし佐和子さわこ、二十五さい現世げんせりました。
今さらあの制度を復活するとなると、当時幕府を代表して京都の方に禁裡きんり守衛総督摂海防禦ぼうぎょ指揮の重職にある慶喜の面目を踏みつぶすにもひとしい。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
彼の幼きや土塊どかいを以て宮闕きゅうけつの状をつくり、曰く、これ織田信長が禁裡きんりの荒廃を修繕したるにするなりと。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
密勅があって以来、禁裡きんり付きの下房どのと、国許にあるわれら同志とのあいだで、絶えず情報の交換があり、それについての急を要する合議が繰り返されていたのです。
失蝶記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
それでも禁裡きんりに由緒ある本格の神楽師ならば、こうして浮浪の大神楽だいかぐらみたように、軽々しくは通るまい。そうかといって、大神楽師にしては、この連中、品格があり過ぎる。
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「いいえいいえそれに妾の良人は、禁裡きんり様方のお味方で、忠義なお方なのでございます」
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
どんな紫もこの紫根しこんの色より気高けだかくはあり得ないでしょう。禁裡きんりの色となっているのは自然なことのように感じます。惜しいかな、色を出しにくかったり、日光に弱かったりする恨みはあります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
倭節用集やまとせつようしゅう、京師俟野通尚簒補)万人がそれを認めていた。天皇の名称は、「禁裡きんり」、「内裏だいり」、「御門みかど」などとも、いわれている。それは「主権者ではないこと」を、はっきり示した文字である。
兵馬倥偬こうそうの中に、武人として、伊勢神宮を修理したり、禁裡きんり築土ついじの荒れたのをなげいて、御料を献じたりしていた人に、信長の父信秀がある。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
禁裡きんり守衛総督摂海防禦せっかいぼうぎょ指揮の重職にあって、公武一和を念とし、時代の趨勢すうせいをも見る目を持ったこの人は、何事にも江戸を主にするほど偏頗へんぱでない。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
……先年竹内式部たけのうちしきぶと申す処士が、王覇おうはの説を唱えまして、禁裡きんり様方の威福いふくを計りましたところ、さっそく幕府方におかれましては、竹内様をはじめとして、徳大寺大納言様やその他の公卿衆に
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
夜は、朝山日乗あさやまにちじょう、島田弥右衛門など、禁裡きんりの造営に当っている奉行たちを呼びよせ、その竣工しゅんこうの模様を聞きとって
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「はい、禁裡きんり様にござります」
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
一学いちがくもおなじようにすすぎをおえ、神殿しんでんがんにみあかしをともした。ふとみると、そこに禁裡きんりのみしるしのある状筥じょうばこがうやうやしく三ぼうの上にのせられてある。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いま、禁裡きんりの楽寮に、つづみを打つ吏員を欠いておると聞く。——近日、朝賀のご酒宴が殿上で行われるから、その折、禰衡をもちいて鼓を打たそうではないか。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「とはいえ、本能寺や二条の火の粉は、禁裡きんり御苑ぎょえんにふりそそいだであろう。恐れ多いことではある」
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いえいえ。禁裡きんり御普請ごふしんの落成を拝し、その後、怠りがちの政務を、かたがた御機嫌をお伺いに」
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何よりもまた禁裡きんり瑞気ずいきや堂上たちのよろこびが民心にうつった。その民衆は口をあわせていう。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
前田玄以は、京都の所司代しょしだいをかね、禁裡きんり、寺社の一切を奉行し、洛中洛外の諸事を裁判する。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わが朝でも、平安の頃よりは、禁裡きんり殿上といわず、四民の家々でも、菊を見て心を楽しませ、菊酒を酌んで体を養う。またこの日、高きに登れば、幸いありといいならわしておる。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
刀のぬぐいやとぎをいたして、禁裡きんり御剣ぎょけんまで承っておりまするが——常々師の光悦が申すことには——由来、日本の刀は、人を斬り、人を害すために鍛えられてあるのではない。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たまたま禁裡きんりへの参内でふと会っても、どことなくよそよそしい佐々木にすぎない。
「……禁裡きんりのうち、たれの申すところも、ほぼそのようなことにござりまして」
汴城べんじょう城下、花の都。冬ながら宋朝文化爛漫らんまんな千がい万戸ばんこは、人の騒音と賑わいで、彩霞さいか、煙るばかりであった。禁裡きんりの森やら凌烱閣りょうけいかく瑠璃瓦るりがわらは、八省四十八街のその遠方此方おちこちにのぞまれる。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御所の日常が——禁裡きんり後宮こうきゅう生活というものが——まったく儀式化され、粉飾化ふんしょくかされ、そこに生きるものは、ただ、美しくて作法のよい人形のようでしかなかったので、二人は、野の土へ
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まず宮門にらん平定へいていを報告した後、庶民には善を施し、社寺には供養くようをすすめ、道路橋梁の工事を見たり、荒れすたれた禁裡きんりの諸門をつくろうなど、さながら家の中心になってよく働く子が
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あいにく今日は、御用のため禁裡きんりへ召されており、くれぐれ、よろしくと申しつかってまいりました。鎌倉入りの目ざましいおはたらきには、一同驚嘆申しあげており、また陣中では千寿王を
もう、食物のある所は、寺院と、公卿と、禁裡きんりしかないと、いい騒がれた。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
時に、建安の四年八月朔日、朝賀の酒宴は、禁裡きんりの省台にひらかれた。曹操ももちろん、参内し、雲上の諸卿、朝門の百官、さては相府の諸大将など、綺羅星のごとく賓客ひんきゃくの座につらなっていた。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
上京内裏かみぎょうだいりの東から南への馬場八町には、若草の色もまだ浅く、さくのところどころの八尺柱は、緋毛氈ひもうせんでつつまれていた。そして、禁裡きんり東之御門外のあたりに、御出御ごしゅつぎょをあおぐ行宮あんぐうは建てられてあった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
六波羅ろくはら所属、禁裡きんり大番役おおばんやく
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
禁裡きんりの修築である。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)