現世げんせ)” の例文
そなたはしきりに先刻さっきから現世げんせことおもして、悲嘆ひたんなみだにくれているが、何事なにごとがありてもふたた現世げんせもどることだけはかなわぬのじゃ。
仏といえども、道理にたごうことのあるべきはずがない。自分らには現世げんせを安穏にする欲情もなければ、後生ごせに善処する欲情もない。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
五百之進いおのしん殿! 定めし貴殿の霊はご無念であろう。現世げんせに、心残りなことでござろう。したが、世に、永らえて生き老いることも、辛うござる
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いかに罪業ざいごうのふかい女子の身とて、尊い阿闍梨の教化を受けましたら、現世げんせはともあれ、せめて来世らいせは心安かろうにと、唯そればかりを念じておりまする
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
いにしへの希臘羅馬時代にのみ眼を注ぎたりしが、千三百二十七年アヰニヨンにてラウラといふ婦人に逢ひ、その戀に引かれて、又現世げんせの詩人となりぬ。
塔橋を渡ってからは一目散いちもくさんに塔門までせ着けた。見るに三万坪に余る過去の一大磁石いちだいじしゃく現世げんせ浮游ふゆうするこの小鉄屑しょうてつくずを吸収しおわった。門をはいって振り返ったとき
倫敦塔 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
堂内はゴシツク式建築の大寺院の例に漏れず薄暗い中に現世げんせかけ離れた幽静いうせいを感ぜしめ、幾つかの窓の瑠璃るりに五しきいろどつた色硝子ガラスが天国をのぞく様に気高けだかく美しい。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
平生へいぜい見つけた水の色ではない、予はいよいよ現世げんせを遠ざかりつつゆくような心持ちになった。
河口湖 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
この日本につぽんには、男は十九億九萬四千八百二十八にん、女は廿九億九萬四千八百三十にんの、この男女がみんな念佛者ねんぶつしやで、みんな阿彌陀佛あみだぶつ本尊ほんぞんとしてゐるから、現世げんせの祈りもその如く
あなたと愚僧とは現世げんせのちぎりがふこうござりましたから、ぜひ来世へもおともをして報恩謝徳ほうおんしゃとくいたしましょうと申され、まつうらどのゝとめるのもきかずにおしろへたてこもられました。
盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
このような幻想を彼岸生活として持つものの永生の願望は、必竟ひっきょう現世げんせを完全にして無限に延長しようとするに異ならない。しかもその現世の完成が、暴王の企てたところと方向を同じくする。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
何卒御救ひ成れて下されよと只管ひたすらに頼みけれども可睡齋はかうべふり汝よくきけよ佛法と言共今は末法なり釋迦しやかの時代とは事かは愚僧ぐそうが如き不徳ふとくにては勿々なか/\有罪の者を現世げんせにて救う事は成がたし因て國法を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「普通の形でおいでになれば、いつまたそんな人が来られるかもしれませんが、もう現世げんせの縁を絶った身の上になっておられる以上は私も安心しておられます。自身の気持ちもそう見えますからね」
源氏物語:55 手習 (新字新仮名) / 紫式部(著)
同時に又次第に現世げんせには珍らしい生活へはひつて行つた。
素描三題 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
はややくにもたたぬ現世げんせ執着しゅうちゃくからはなれるよう、しっかりと修行しゅぎょうをしてもらいますぞ! 執着しゅうじゃくのこっているかぎ何事なにごともだめじゃ……。
や、や、や! ではこの伊那丸いなまるが、かくまで心をくだいて、武田家たけだけ再興さいこうはかっているのに、お父上には、もう現世げんせの争闘をおみあそばして、まったく、心からの世捨人よすてびととおなりなされたのですか
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これからのそなたの生活せいかつは、現世げんせのそれとはすっかりおもむきかわるから一はやくそのつもりになってもらわねばならぬ。