物見遊山ものみゆさん)” の例文
物見遊山ものみゆさんもうしてもそれはいたって単純たんじゅんなもので、普通ふつうはお花見はなみ汐干狩しおひがり神社仏閣詣じんじゃぶっかくもうで……そんなこと只今ただいまたいした相違そういもないでしょうが
老婦人の多く集る諸種の会合はあっても、それは凡て物見遊山ものみゆさんの変形で、老婦人同志の奢侈しゃしと自慢の競進場たるに過ぎない。
姑と嫁について (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
母親は、物見遊山ものみゆさんにも行かず、着ものも買わない代りに月々の店の売上げ額から、自分だけの月がけ貯金をしていた。
(新字新仮名) / 岡本かの子(著)
それは昔から江戸名所に関する案内記狂歌集絵本のたぐいおびただしく出板しゅっぱんされたのを見ても容易に推量する事が出来る。太平の世の武士町人は物見遊山ものみゆさんを好んだ。
つれて物見遊山ものみゆさんに出かけていくという風でそういう贅沢ぜいたくは自由に出来たのだそうにござりますからはたから見ればまことに気楽な境涯なのでござりまして
蘆刈 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
遊びに往ったといっても、それは物見遊山ものみゆさんのためでなく、漂白して往ったもののように思われる。ところで、この魏土地に女主人でえんを姓とする豪家があった。
碧玉の環飾 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
かくて十年、家附きの娘は気兼もなく、娘時代と同様、物見遊山ものみゆさんに過していたが、かたむく時にはさしもの家も一たまりもなく、わずかの手違てちがいから没落してしまった。
明治美人伝 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
めづらしく家内中うちゞうとのれになりけり、このともうれしがるは平常つねのこと、父母ちゝはゝなきのちたゞ一人の大切たいせつひとが、やまひのとこ見舞みまこともせで、物見遊山ものみゆさんあるくべきならず
大つごもり (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
それにしても母に連れられて物見遊山ものみゆさんに出歩いた享楽の日も、やがて終末を告げねばならなくなった。
それで、やっぱり家にばかり、引込んでいるから、退屈をするのだろうと思って、その頃五ツか六ツになった娘を連れて、よく物見遊山ものみゆさんに出かけるようになったのです。
ある恋の話 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「然うさ。物見遊山ものみゆさんの好きな方じゃないからな。病気にでも追い立てられなければ出掛けないよ」
脱線息子 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
良人が物見遊山ものみゆさんは嫌いの性分で、休みの日には家にいるので、彼女もやはりそうしていた。
可愛い女 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
芝居や吉原に打興うちきょうじようとする者、向島へ渡るものは枯草の情趣を味うとか、草木を愛して見ようとか、遠乗りに行楽しようとか、いずれもただ物見遊山ものみゆさんするもののみであった。
亡び行く江戸趣味 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
さすがにかひと申すだけの事はありて、中々難渋な山道に候へども一同皆々元気にて、名所古蹟などをとぶらひつつ物見遊山ものみゆさんのやうな心持にて旅をつづけ居り候、また人事にも面白き事多く
花時以外の物見遊山ものみゆさん、春は亀戸の梅、天神の藤、四つ目の牡丹ぼたん、夏は入谷いりやの朝顔、堀切の菖蒲、不忍しのばずの蓮、大久保の躑躅つつじ、秋は団子坂だんござかの菊、滝野川の紅葉、百花園の秋草、冬は枯野に雪見
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
平生の苦労鬱散うっさんの為めに夫婦子供相伴うて物見遊山ものみゆさんも妨なきことならん。
女大学評論 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
世を忘れ人を離れて父子おやこただ二人名残なごりの遊びをなす今日このごろは、せめて小供の昔にかえりて、物見遊山ものみゆさんもわれから進み、やがて消ゆべき空蝉うつせみの身には要なきから織り物も、末はいもと紀念かたみの品と
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
何だか暢気のんき物見遊山ものみゆさんにでも出掛ける様な、しかし心のどこかの隅には、今こうしているのは実は夢であって、夢のあちら側にもう一つの本当の世界が待っているのだという意識が、わだかまっている様な
パノラマ島綺譚 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
おとめを二百円の代金しろきんをだして、月三十円かの手当をやり、物見遊山ものみゆさんにも連れ廻り、着ものもかってあてがった——後のことは分らないが、はじめの支出を書いた日記を、錦子に開いて見せて
田沢稲船 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
今度こんどはその時分じぶん物見遊山ものみゆさんのおはなしなりといたしましょうか。