暗黒くらやみ)” の例文
源次の姿を吸い込んで行った斜坑の暗黒くらやみに向って、人知れずソッと頭を下げてみたいようなタヨリない気持にさえなったのであった。
斜坑 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
迂濶うかつに手を放せば、彼は底知れぬ暗黒くらやみに転げちて、お杉と同じ運命を追わねばならぬ。さりとてのままの暗黒くらやみでは仕方が無い。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
暗黒くらやみくは分らないけれど、其姿が見えるようだ。私も跡から探足さぐりあしで行く。何だか気があせる。今だ、今だ、と頭の何処かでわめく声がする。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
蝙蝠はめくらになり黒い体になつてぱたぱた飛んで、折しも迫る夜の中にとび入り、暗黒くらやみの中に永久に溺れてしまつた。
蝙蝠の歴史 (新字旧仮名) / 片山広子(著)
しかし稀に夢の中では、暗黒くらやみうごめく怪物や、見えない手のふるつるぎの光が、もう一度彼を殺伐な争闘の心につれて行つた。
老いたる素戔嗚尊 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
さらにまた大いなる暗黒くらやみのうちに隠れてしまったが、やがてその暗黒が退くと共に、黒い影もまったく消え失せて
わたしかくあのかたはこれからの御出世前ごしゆつせまへ一生いつしやう暗黒くらやみにさせましてそれでわたし滿足まんぞくおもはれやうか、おゝいやことおそろしい、なんおもふてわたしひにたか
うらむらさき (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
或時暗黒くらやみの中で瞑想めいそうしている刹那せつな、忽然座辺のものが歴然ありありと見えて、庭前の松の葉が一本々々数えられたとソムナンビュリストの夢のような事をいったりした。
彼女は暗黒くらやみの往来に立止って、暫く何か考えていたが、やがてトボトボと歩き出した。だが、妙なことにはそれはタクシーの帳場とは反対の、一層さびしい方角を指していた。
一寸法師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
私は、汽車の両腹を撫でて、非常な速力でうしろへ逃げて行く暗黒くらやみの音を聞いた。
踊る地平線:10 長靴の春 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
此処こゝでさん/″\たせられて、彼此かれこれ三四十ぷん暗黒くらやみなかつたのちやうや桟橋さんばしそとることが出来できた。したのはかたばかりのちひさな手荷物てにもつで、おほきなトランクは明朝みやうてうりにいとのことだ。
検疫と荷物検査 (新字旧仮名) / 杉村楚人冠(著)
矢表やおもてに立ち樂世うましよ寒冷さむさ苦痛くるしみ暗黒くらやみ
海潮音 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
「ファリアスでは、あなたに上げられないものを取つて来たのですが、私が隠して持つて来た暗黒くらやみはあなたの暗黒くらやみで、私の星はあなたの星になるのでせう」
四つの市 (新字旧仮名) / 片山広子(著)
けれども、やがてその金茶色の光りが全く消え失せて、又、もとの暗黒に変ったと思うと間もなく、その暗黒くらやみのはるかはるか向うに、赤い光りがチラリと見えた。
斜坑 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
もし存生ぞんじょうだったら地震に遭逢でっくわしたと同様、暗黒くらやみでイキナリ頭をドヤシ付けられたように感じたろう。
二葉亭追録 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
暗黒くらやみもとより見当は付かぬが、市郎は勝つに乗って滅多矢鱈めったやたらに蹴飛ばすうちに、靴のさきにはこたえがあった。敵は猿のような声を揚げてきゃッと叫んだぎりで霎時しばらくは動かなかった。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
室の中は昨日の通り、もう暗黒くらやみが拡がつてゐた。が、唯一つ昨日と違つて、その暗黒の其処此処には、まるで地の底に埋もれた無数の宝石の光のやうに、点々ときらめく物があつた。
老いたる素戔嗚尊 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
脱けても知らずに口をいて、小さな舌を出したなりで、一向正体がない……其時忽ち暗黒くらやみから、茸々もじゃもじゃと毛の生えた、節くれ立った大きな腕がヌッと出て、正体なく寝入っている所を無手むず引掴ひッつか
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
そして、ゾッとする様な含み笑いが、暗黒くらやみの中から響いて来た。
一寸法師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
矢表やおもてに立ち楽世うましよ寒冷さむさ苦痛くるしみ暗黒くらやみ
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
彼女はそれを自分の頭脳あたまに隠した。夕がた彼女はファリアスに来たが、暗黒くらやみの中に輝く一つの星が見えただけだつた。イヴはその暗黒くらやみ暗黒くらやみの中の星を自分の腹に隠した。
四つの市 (新字旧仮名) / 片山広子(著)
モウ二度と会われない幽霊か何ぞのようにニコニコと笑いながら、ツイ鼻の先の暗黒くらやみの中に浮かみ現われた時に、福太郎は思わずヨロヨロと前にノメリ出しそうになった。
斜坑 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
それが伝染したと見えて、半病人の女房お琴もつづいて同じ病いに取り憑かれて、これもひと晩のうちに死んだ。関口屋はまったくの暗黒くらやみである。近所の人たちの心も暗黒になった。
半七捕物帳:55 かむろ蛇 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
やッと放免されて、暗黒くらやみを手探りで長四畳へ帰って来ると、下女が薄暗い豆ランプを持って来て、お前さん床をったら忘れずに消すのですよと、朋輩にでも言うように、粗率ぞんざいに言置いて行って了った。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
その三度目の逃亡の時に……今朝けさです……ヴェルダンのX型堡塁ほうるい前の第一線の後方二十米突メートルの処の、夜明け前の暗黒くらやみの中で、このこむらを上官から撃たれたのです……この包を妻に渡さない間は
戦場 (新字新仮名) / 夢野久作(著)