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子規
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しき
ふりがな文庫
“
子規
(
しき
)” の例文
何度読んでもおもしろく、読めば読むほどおもしろさのしみ出して来るものは夏目先生の「
修善寺日記
(
しゅぜんじにっき
)
」と
子規
(
しき
)
の「
仰臥漫録
(
ぎょうがまんろく
)
」とである。
備忘録
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
東京
鳴球
(
めいきゅう
)
氏より郵送せられし
子規
(
しき
)
先生の写真及び
蕪村
(
ぶそん
)
忌の写真が届きしは十日の晩なり。余は初めて子規先生の写真を見て実に驚きたり。
墨汁一滴
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
それから又夏目先生の話に
子規
(
しき
)
は先生の俳句や漢詩にいつも批評を加へたさうです。先生は
勿論
(
もちろん
)
子規の
自負心
(
じふしん
)
を多少
業腹
(
ごふはら
)
に思つたのでせう。
正岡子規
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
これは
子規
(
しき
)
が、
説明
(
せつめい
)
のわかり
易
(
やす
)
いように
作
(
つく
)
つて
見
(
み
)
たゞけで、
固
(
もと
)
より
譬
(
たと
)
へにすぎません。
子規
(
しき
)
のは
三十一字
(
さんじゆういちじ
)
のたゞの
文章
(
ぶんしよう
)
で、
歌
(
うた
)
ではありません。
歌の話
(旧字旧仮名)
/
折口信夫
(著)
明治になっては
子規
(
しき
)
と云う男が
脊髄病
(
せきずいびょう
)
を
煩
(
わずら
)
って
糸瓜
(
へちま
)
の水を取った。貧に誇る風流は
今日
(
こんにち
)
に至っても尽きぬ。ただ小野さんはこれを
卑
(
いや
)
しとする。
虞美人草
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
▼ もっと見る
額
(
がく
)
は取りのけてもらって、自分の好きな人の写真をかけよう。床の掛け物もこれはよしてもらって、大木さんから
子規
(
しき
)
先生の物を
貸
(
か
)
りてきてかけよう。
廃める
(新字新仮名)
/
伊藤左千夫
(著)
私はこの間松山における
子規
(
しき
)
五十年祭の時分に、松山ホトトギス会主催の俳句会席上でこんな事を言った。
俳句への道
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
根岸派の新俳句が流行し始めたのは丁度その時分の事で、わたくしは『日本』新聞に連載せられた
子規
(
しき
)
の『俳諧大要』の切抜を帳面に張り込み、
幾度
(
いくたび
)
となくこれを読み返して俳句を学んだ。
十六、七のころ
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
子規
(
しき
)
一派の解した如き浅薄な写生主義者ではないけれども、対象に対して常に即物的客観描写の手法を取り、主観の想念やリリックやを、直接句の表面に出して咏嘆することをしなかった。
郷愁の詩人 与謝蕪村
(新字新仮名)
/
萩原朔太郎
(著)
「清水の坂のぼり行く日傘哉か。
子規
(
しき
)
はやっぱり巧いところを
覗
(
ねら
)
ったよ」
ぐうたら道中記
(新字新仮名)
/
佐々木邦
(著)
四
月余
(
げつよ
)
の不眠症の為に〇・七五のアダリンを常用しつつ、
枕上
(
ちんじやう
)
子規
(
しき
)
全集第五巻を読めば、俳人子規や歌人子規の
外
(
ほか
)
に批評家子規にも敬服すること多し。
病中雑記
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
だからけっしてよい
歌
(
うた
)
ではありませんが、
子規
(
しき
)
のいふような、あひの
子
(
こ
)
の
歌
(
うた
)
見
(
み
)
たようなものでもありません。
歌の話
(旧字旧仮名)
/
折口信夫
(著)
次に其男がこんな事を云ひ
出
(
だ
)
した。
子規
(
しき
)
は
果物
(
くだもの
)
が大変
好
(
す
)
きだつた。
且
(
か
)
ついくらでも
食
(
く
)
へる男だつた。ある時大きな
樽柿
(
たるがき
)
を十六
食
(
く
)
つた事がある。それで何ともなかつた。
三四郎
(新字旧仮名)
/
夏目漱石
(著)
明治三十二年に東京へ出て来たときに夏目先生の紹介ではじめて正岡
子規
(
しき
)
の家へ遊びに行った。
明治三十二年頃
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
去年の夏頃ある雑誌に短歌の事を論じて
鉄幹
(
てっかん
)
子規
(
しき
)
と並記し両者同一趣味なるかの如くいへり。
墨汁一滴
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
子規
(
しき
)
一派の俳人が解した如く、蕪村は決して写生主義者ではないのである。
郷愁の詩人 与謝蕪村
(新字新仮名)
/
萩原朔太郎
(著)
多かりし
子規
(
しき
)
の周囲も子規忌かな
六百五十句
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
これは
正岡子規
(
まさをかしき
)
の言葉である。(俳諧大要。一五六頁)
子規
(
しき
)
はその
後
(
のち
)
に実例として、言水の句二句を掲げてゐる。
点心
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
子規
(
しき
)
の追憶については数年前『ホトトギス』にローマ字文を掲載してもらったことがある。今度これを書くのに参考したいと思って捜したが、その頃の雑誌が
手許
(
てもと
)
に見当らない。
子規の追憶
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
子規
(
しき
)
は果物がたいへん好きだった。かついくらでも食える男だった。ある時大きな
樽柿
(
たるがき
)
を十六食ったことがある。それでなんともなかった。自分などはとても子規のまねはできない。
三四郎
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
旅人や馬から落す草の餅
子規
(
しき
)
俳句はかく解しかく味う
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
六 人としての
子規
(
しき
)
を見るも、病苦に面して
生悟
(
なまざと
)
りを
衒
(
てら
)
はず、歎声を発したり、自殺したがつたりせるは当時の
星菫
(
せいきん
)
詩人よりも数等近代人たるに近かるべし。
病中雑記
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
帽子を取って
恭
(
うやうや
)
しく
子規
(
しき
)
の家を尋ねたが知らぬとの答
故
(
ゆえ
)
少々意外に思うて顔を見詰めた。
根岸庵を訪う記
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
余は
子規
(
しき
)
の
描
(
か
)
いた
畫
(
ゑ
)
をたつた一枚持つてゐる。亡友の
記念
(
かたみ
)
だと思つて長い間それを袋の中に入れて仕舞つて置いた。
年數
(
ねんすう
)
の
經
(
た
)
つに
伴
(
つ
)
れて、ある時は
丸
(
まる
)
で袋の所在を忘れて打ち過ぎる事も多かつた。
子規の画
(旧字旧仮名)
/
夏目漱石
(著)
子規
(
しき
)
と短かき日その後永き日も
七百五十句
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
五
子規
(
しき
)
自身の小説には
殆
(
ほとん
)
ど見るに足るものなし。然れども子規を
長生
(
ながいき
)
せしめ、更に小説を作らしめん
乎
(
か
)
、
伊藤左千夫
(
いとうさちを
)
、
長塚節等
(
ながつかたかしら
)
の諸家の
下風
(
かふう
)
に立つものにあらず。
病中雑記
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
余は
子規
(
しき
)
の描いた
画
(
え
)
をたった一枚持っている。亡友の
記念
(
かたみ
)
だと思って長い間それを袋の中に入れてしまっておいた。
年数
(
ねんすう
)
の
経
(
た
)
つに
伴
(
つ
)
れて、ある時はまるで袋の所在を忘れて打ち過ぎる事も多かった。
子規の画
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
右の「連作論」においていわゆる連作の最始のものとして引用されている
子規
(
しき
)
の十首、庭前の松に雨が降りかかるを見て作ったものを点検してみると、「松の葉」という言葉が六回、「松葉」が一つ
連句雑俎
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
今年
子規
(
しき
)
五十年忌や老の春
六百五十句
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
「アルス新聞」に
子規
(
しき
)
のことを書けと云ふ
仰
(
あふ
)
せは
確
(
たしか
)
に拝誦しました。子規のことは仰せを受けずとも書きたいと思つてゐるのですが、今は用の多い為に
到底
(
たうてい
)
書いてゐる
暇
(
ひま
)
はありません。
正岡子規
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
「
墨汁一滴
(
ぼくじふいつてき
)
」だか「
病牀
(
びやうしやう
)
六尺」だかどちらだかはつきり覚えてゐません。しかし
子規
(
しき
)
はどちらかの中に夏目先生と散歩に出たら、先生の稲を知らないのに驚いたと云ふことを書いてゐます。
正岡子規
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
子
常用漢字
小1
部首:⼦
3画
規
常用漢字
小5
部首:⾒
11画
“子規”で始まる語句
子規居士
子規子
子規庵
子規随筆