トップ
>
大船
>
おほふな
ふりがな文庫
“
大船
(
おほふな
)” の例文
大船
(
おほふな
)
を
發
(
はつ
)
して
了
(
しま
)
へば
最早
(
もう
)
國府津
(
こふづ
)
へ
着
(
つ
)
くのを
待
(
ま
)
つ
外
(
ほか
)
、
途中
(
とちゆう
)
何
(
なに
)
も
得
(
う
)
ることは
出來
(
でき
)
ないと
思
(
おも
)
ふと、
淺間
(
あさま
)
しい
事
(
こと
)
には
猶
(
な
)
ほ
殘念
(
ざんねん
)
で
堪
(
たま
)
らない。
湯ヶ原ゆき
(旧字旧仮名)
/
国木田独歩
(著)
汽車は早くも
大船
(
おほふな
)
に着けり、一海軍将校、
鷹揚
(
おうやう
)
として一等室に乗り込みしが、
忽
(
たちま
)
ち姿勢を
正
(
ただし
)
うして「侯爵閣下」
火の柱
(新字旧仮名)
/
木下尚江
(著)
大船
(
おほふな
)
に
停車
(
ていしや
)
の
時
(
とき
)
、
窓
(
まど
)
に
立
(
た
)
つて、
逗子
(
づし
)
の
方
(
かた
)
に
向
(
むか
)
ひ、うちつけながら
某
(
それがし
)
がお
馴染
(
なじみ
)
にておはします、
札所
(
ふだしよ
)
阪東第三番
(
ばんどうだいさんばん
)
、
岩殿寺
(
いはとのでら
)
觀世音
(
くわんぜおん
)
に
御無沙汰
(
ごぶさた
)
のお
詫
(
わび
)
を
申
(
まを
)
し、
道中
(
だうちう
)
無事
(
ぶじ
)
と、
念
(
ねん
)
じ
參
(
まゐ
)
らす。
大阪まで
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
大船
(
おほふな
)
に
着
(
つ
)
くや
老夫婦
(
としよりふうふ
)
が
逸早
(
いちはや
)
く
押
(
おし
)
ずしと
辨當
(
べんたう
)
を
買
(
か
)
ひこんだのを
見
(
み
)
て
自分
(
じぶん
)
も
其
(
その
)
眞似
(
まね
)
をして
同
(
おな
)
じものを
求
(
もと
)
めた。
湯ヶ原ゆき
(旧字旧仮名)
/
国木田独歩
(著)
確
(
たしか
)
に
驛
(
えき
)
の
名
(
な
)
を
認
(
みと
)
めたのは
最
(
も
)
う
國府津
(
こふづ
)
だつたのである。いつもは
大船
(
おほふな
)
で
座
(
ざ
)
を
直
(
なほ
)
して、かなたに
逗子
(
づし
)
の
巖山
(
いはやま
)
に、
湘南
(
しやうなん
)
の
海
(
うみ
)
の
渚
(
なぎさ
)
におはします、
岩殿
(
いはと
)
の
觀世音
(
くわんぜおん
)
に
禮
(
れい
)
し
參
(
まゐ
)
らす
習
(
ならひ
)
であるのに。
雨ふり
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
▼ もっと見る
阿部川
(
あべかは
)
と
言
(
い
)
へば、きなこ
餅
(
もち
)
とばかり
心得
(
こゝろえ
)
、「
贊成
(
さんせい
)
。」とさきばしつて、
大船
(
おほふな
)
のサンドヰツチ、
國府津
(
こふづ
)
の
鯛飯
(
たひめし
)
、
山北
(
やまきた
)
の
鮎
(
あゆ
)
の
鮓
(
すし
)
と、そればつかりを
當
(
あて
)
にして、
皆
(
みな
)
買
(
か
)
つて
食
(
た
)
べるつもりの
雨ふり
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
『
私
(
わたし
)
も
大變
(
たいへん
)
空
(
す
)
きました。
大船
(
おほふな
)
でお
辨
(
べん
)
を
買
(
か
)
ひましよう。』
湯ヶ原ゆき
(旧字旧仮名)
/
国木田独歩
(著)
「えゝ、
此
(
こ
)
の
列車
(
れつしや
)
では
横濱
(
よこはま
)
で
電報
(
でんぱう
)
を
扱
(
あつか
)
ひません、——
大船
(
おほふな
)
で
打
(
う
)
ちますから。」
大阪まで
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
“大船”の解説
大船(おおふな)は、神奈川県鎌倉市の町丁、および広域地名である。
行政地名としては大船駅東側の大船一~六丁目および大字大船があるが、旧大船町域をはじめ、より広い範囲を大船と呼ぶこともある。
なお、大船駅構内は横浜市栄区にもまたがるが、同駅周辺で横浜市に含まれる地域については、「大船駅」または該当する地名の項目を参照のこと。
(出典:Wikipedia)
大
常用漢字
小1
部首:⼤
3画
船
常用漢字
小2
部首:⾈
11画
“大船”で始まる語句
大船渡
大船津
大船渠