夜気やき)” の例文
旧字:夜氣
夜気やき沈々たる書斎のうち薬烟やくえんみなぎり渡りてけしのさらにも深け渡りしが如き心地、何となく我身ながらも涙ぐまるるやうにてよし。
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
宛転悠揚えんてんゆうようとしてわたしの心を押し沈め、我れを忘れていると、それは豆麦や藻草のかおり夜気やきの中に、散りひろがってゆくようにも覚えた。
村芝居 (新字新仮名) / 魯迅(著)
しかし暗夜は暗夜の徳あって、孟子もうしのいわゆる「夜気やき」は暗黒のたまものである。いにしえの学者の言に、「好悪こうあくりょう夜気やききざす」と。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
霜を含んだ夜気やきは池の水の様にって、上半部をいた様な片破かたわれ月が、はだかになった雑木のこずえに蒼白く光って居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
「また冷汗かかされぬうちに引揚げた方が賢明じゃ。——よい夜気やきのう。今宵は快うやすまれるぞ。豊後! 馬!」
濠ということばから思い出されたか、気がつくと、伽藍がらんの天井高く、夜気やきけて、遠くに、濠の蛙の声がする。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
湯気とあかと、塗りつける化粧料と、体臭とがまざり合い、ひしめき合って窓から夜気やきのなかにけて行く。
刺青 (新字新仮名) / 富田常雄(著)
今は、ましてや真夜中に近い時刻であるので、構内は湖の底に沈んだように静かで、霊魂れいこんのように夜気やき窓硝子まどガラスとおして室内にみこんでくるように思われた。
省線電車の射撃手 (新字新仮名) / 海野十三(著)
んだやうな夜気やきのなかに、つて、ひとりきて、はなをかけた友染いうぜんは、被衣かつぎをもるゝそでて、ひら/\とあをく、むらさきに、芍薬しやくやくか、牡丹ぼたんか、つゝまれたしろがねなべ
銀鼎 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
「すぐ帰って来る。——浪さん、夜気やきにうたれるといかん、早くはいンなさい!」
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
いつのまにか空が曇り、霧のような雨が、しんとした夜気やきをぬらしていた。
キャラコさん:04 女の手 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
この時この瞬間、さながら風の如き裾の音高く、化粧の夜気やきに放ち、忽如こつじよとして街頭の火影ほかげ立現たちあらはるゝ女は、これよるの魂、罪過と醜悪との化身けしんに候。
夜あるき (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
三太郎のヘンなきごえに余一も咲耶子も、その時はじめて、夜気やきのふかいたちのあなた、外郭そとぐるわのあたりにあたって、しずかな変化へんかおこっているのに気がついた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
壁土かべつちのようなものがバラバラと落ち、ガラガラと屋根瓦やねがわらが墜落すると、そのあとから、冷え冷えとする夜気やきが入ってきた。漢青年はそのあなからヒラリと外に飛び出したのだった。
西湖の屍人 (新字新仮名) / 海野十三(著)
まだ明りもともさず——すみのような夜気やきをとざしたひと間に——かれは独り寂然と坐っていた。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
目黒の薄暗い鉄橋の上で、僕は暫く夜気やきを湯あみした。
深夜の市長 (新字新仮名) / 海野十三(著)
すみのような夜気やきの真夜半。——王進はそっと室を這い出して、母の枕をゆり起した。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
夜気やきの墨に吹かれさまよう姿は、ふと何かを、心あてに抱いたようだった。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)