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参内
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さんだい
ふりがな文庫
“
参内
(
さんだい
)” の例文
いよいよ将軍家
参内
(
さんだい
)
のおりには、多くの
公卿
(
くげ
)
衆はお供の格で、いずれも
装束
(
しょうぞく
)
着用で、先に立って案内役を勤めたものであったという。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
時平が帝の定め給うた制を破った華美な装束をして
参内
(
さんだい
)
したのを、帝が
小蔀
(
こじとみ
)
の
隙間
(
すきま
)
から御覧になって急に機嫌を損ぜられ、
職事
(
しきじ
)
を召されて
少将滋幹の母
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
入洛
(
じゅらく
)
すると即日、彼は
参内
(
さんだい
)
していた。
天機奉伺
(
てんきほうし
)
の
伝奏
(
てんそう
)
を仰いで、その日はもどり、あらためて堂上の
月卿雲客
(
げっけいうんかく
)
を招待して、春の大宴を張った。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
仁王会
(
にんおうえ
)
を宮中であそばすようなことも承っております。大官方が
参内
(
さんだい
)
もできないのでございますから、政治も雨風のために中止の形でございます
源氏物語:13 明石
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
岡氏も岩佐氏も侍医で、御陪食に
参内
(
さんだい
)
せられての出来事でした。そんなお席で、大礼服を召した患者とお医者たちと、どんなでしたろうと思います。
鴎外の思い出
(新字新仮名)
/
小金井喜美子
(著)
▼ もっと見る
郊外生活者は東京に遠いと言われるのを最も
厭
(
いと
)
う。そうして毎日
参内
(
さんだい
)
でもするように必ず丸之内を引き合いに出す。
好人物
(新字新仮名)
/
佐々木邦
(著)
先
(
ま
)
ず
爰
(
ここ
)
に
一
(
いっ
)
奇談を申せば、王政維新となって明治元年であったか二年であったか
歳
(
とし
)
は覚えませぬが、
英吉利
(
イギリス
)
の王子が日本に来遊、東京城に
参内
(
さんだい
)
することになり
福翁自伝:02 福翁自伝
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
(間)私が
比叡山
(
ひえいざん
)
で一生懸命修行しているころであった。
慈鎮和尚
(
じちんかしょう
)
様の
御名代
(
ごみょうだい
)
で宮中に
参内
(
さんだい
)
して天皇の御前で和歌を
詠
(
よ
)
ませられた。その時の題が恋というのだよ。
出家とその弟子
(新字新仮名)
/
倉田百三
(著)
公卿
(
くげ
)
が衣冠をつけて
牛車
(
ぎっしゃ
)
で
参内
(
さんだい
)
するというのは、京の俳趣を現して居るが、大名が鳥毛の槍をふらせて
駕籠
(
かご
)
で登城するというのは、江戸の俳趣を現して居るのです。
俳句上の京と江戸
(新字新仮名)
/
正岡子規
(著)
将軍のお供とはいうものの、
参内
(
さんだい
)
その他の式日を除いては、さして面倒な勤務をもっていない彼らは、思い思いに誘いあわせて、ある者は山や水に親しんで京の名所を探った。
鳥辺山心中
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
其れから明治廿九年乃木中将が
台湾
(
たいわん
)
総督
(
そうとく
)
となる時、母堂が渡台の御暇乞に
参内
(
さんだい
)
して、皇后陛下の御問に対し、
姥
(
ばば
)
は台湾の土にならん為、
忰
(
せがれ
)
の
先途
(
せんど
)
を見届けん為に台湾に
参
(
まい
)
ります
みみずのたはこと
(新字新仮名)
/
徳冨健次郎
、
徳冨蘆花
(著)
それには、ただ今天皇陛下から
拝謁
(
はいえつ
)
の
御沙汰
(
ごさた
)
があって
参内
(
さんだい
)
して来ましたばかりです。涙が流れて私は何も申し上げられませんでしたが、私に代って東大総長がみなお答えして下さいました。
微笑
(新字新仮名)
/
横光利一
(著)
この国の歴史あって以来の
未曾有
(
みぞう
)
の珍事とも言うべき外国公使の
参内
(
さんだい
)
を正香と共に丸太町通りの
町角
(
まちかど
)
で目撃したことを語った。
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
参内
(
さんだい
)
のせつ、おうわさ申し上げたことじゃったが、武権争奪、武門栄華の世ばかりつづいて、助からぬは民衆ばかり。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
御懇
(
ぎょこん
)
の
御意
(
ぎょい
)
、委細心得申した。あすにも
参内
(
さんだい
)
して、万事よろしゅう
執奏
(
しっそう
)
の儀を……」
玉藻の前
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
「
仙洞
(
せんとう
)
——」さては
参内
(
さんだい
)
であったのかと彼は初めて気がついた。仙洞というのは、後白河法皇の離宮である院の別名なのである。六条からはそう遠くはない。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
外国人の
参内
(
さんだい
)
は奥向きではなはだむつかしい、各国公使の御対面なぞはもってのほかであるということで
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
昨日は、
参内
(
さんだい
)
候て、ことに申し沙汰、
一
(
ひと
)
しほ忘れがたく思ひ給ひ候。終日、みこころを慰まれ候事、つくし難く候。上洛候折りふしは、
再々
(
さいさい
)
、待ち
思
(
おぼ
)
し
召
(
めし
)
候
(
さふらふ
)
。
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
将軍
家茂
(
いえもち
)
はすでに、生麦償金授与の情実を聞き
糺
(
ただ
)
して攘夷の功を奏すべきよしの
御沙汰
(
ごさた
)
を拝し、お
暇乞
(
いとまご
)
いの
参内
(
さんだい
)
をも済まし、大坂から軍艦で江戸に向かったとうわさせらるるころだ。
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
「やあ、
粗忽
(
そこつ
)
粗忽
(
そこつ
)
。これは日野ノ
右少弁
(
うしょうべん
)
俊基
(
としもと
)
でおざるが、火急
参内
(
さんだい
)
の大事なあって、余りに牛に
鞭
(
むち
)
打
(
う
)
たせたため、つい、牛の狂いに従者も力およばずこの失態……。ゆるされよ」
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
守護職松平
容保
(
かたもり
)
のにわかな
参内
(
さんだい
)
と共に、九門の堅くとざされたころは、洛中の物情騒然たるものがあった。七月十八日には三道よりする長州方の進軍がすでに開始されたとの
報知
(
しらせ
)
が京都へ伝わった。
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
ひとりここの
藤氏
(
とうし
)
の長者ばかりでなく、禁中でも、朝臣一般のあいだでも、“
触穢
(
しょくえ
)
”といえば、おぞ毛をふるって、穢れ払いに、幾日でも、門を閉じ、衣冠を廃して、
参内
(
さんだい
)
も
休
(
や
)
め
平の将門
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
あわやと思って自分は起き出し、まず窓から見ると、
会津家
(
あいづけ
)
参内
(
さんだい
)
の様子である。そのうち自分は町の空に出て見て、
火事装束
(
かじしょうぞく
)
の着込みに
蓑笠
(
みのかさ
)
まで用意した一隊が自分の眼前を通り過ぐるのを目撃した。
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
孔明は成都に還ると、すぐ
参内
(
さんだい
)
して、天機を奉伺し、
帝
(
てい
)
劉禅
(
りゅうぜん
)
へこう奏した。
三国志:11 五丈原の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
いや心得申した。きのうも
筑紫
(
つくし
)
から少弐、大友、菊池、松浦などの党が上洛いたし、それらの武士の
参内
(
さんだい
)
に、あわただしく暮れたばかり……。あすはお
辺
(
へん
)
をともなって、親しゅう
闕下
(
けっか
)
に拝謁の儀を
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その同情のあらわれた数日の後、曹操は急に関羽を
参内
(
さんだい
)
の車に誘った。
三国志:05 臣道の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「どうしても、
参内
(
さんだい
)
せねば」
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“参内”の意味
《名詞》
参内(さんだい)
内裏(皇居)に参上すること。
(出典:Wiktionary)
参
常用漢字
小4
部首:⼛
8画
内
常用漢字
小2
部首:⼌
4画
“参”で始まる語句
参
参詣
参籠
参差
参覲
参詣人
参覲交代
参上
参酌
参河