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北斎
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ほくさい
ふりがな文庫
“
北斎
(
ほくさい
)” の例文
北斎
(
ほくさい
)
の描いたという珍しい美人画がある。その
襟
(
えり
)
がたぶん
緋鹿
(
ひが
)
の
子
(
こ
)
か何かであろう、恐ろしくぎざぎざした縮れた線で描かれている。
浮世絵の曲線
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
春章
(
しゅんしょう
)
写楽
(
しゃらく
)
豊国
(
とよくに
)
は江戸盛時の演劇を眼前に
髣髴
(
ほうふつ
)
たらしめ、
歌麿
(
うたまろ
)
栄之
(
えいし
)
は不夜城の歓楽に人を
誘
(
いざな
)
ひ、
北斎
(
ほくさい
)
広重
(
ひろしげ
)
は閑雅なる
市中
(
しちゅう
)
の風景に遊ばしむ。
浮世絵の鑑賞
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
北斎
(
ほくさい
)
などの読み本の挿画には、田舎の
豊饒
(
ほうじょう
)
を写し出そうとすると、きまって
鳴子
(
なるこ
)
に
頓著
(
とんじゃく
)
せぬらしい雀の大群が描いてある。
野草雑記・野鳥雑記:02 野鳥雑記
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
高い窓から光線が横に
這入
(
はい
)
って来るのは仕方がないが、その窓に
嵌
(
は
)
めてある
障子
(
しょうじ
)
は、
北斎
(
ほくさい
)
の
画
(
か
)
いた絵入の
三国志
(
さんごくし
)
に出てくるような
唐
(
から
)
めいたものである。
満韓ところどころ
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
応挙
(
おうきょ
)
や、
北斎
(
ほくさい
)
や、ロダンや、セザンヌやの如く、純粋に観照的な態度によって、確実に事物の真相を
掴
(
つか
)
もうとするところの、美術家の中の美術主義者が居る。
詩の原理
(新字新仮名)
/
萩原朔太郎
(著)
▼ もっと見る
暗
(
やみ
)
が来たと思う間もなく、また稲妻が向うのぎざぎざの雲から、
北斎
(
ほくさい
)
の山下白雨のように赤く
這
(
は
)
って来て、
触
(
ふ
)
れない光の手をもって、百合を
擦
(
かす
)
めて過ぎました。
ガドルフの百合
(新字新仮名)
/
宮沢賢治
(著)
あの鬼の絵は、もと、私の
実家
(
さと
)
に秘蔵されて居たもので、御覧のとおり
北斎
(
ほくさい
)
の筆で御座います。
印象
(新字新仮名)
/
小酒井不木
(著)
北斎
(
ほくさい
)
の描いたという
楊貴妃
(
ようきひ
)
の
幅
(
ふく
)
が気に入って、父にねだって手に入れた時、それにあう文字を額にほしいと思って、『
文選
(
もんぜん
)
』や『
卓氏藻林
(
たくしそうりん
)
』や、『
白氏文集
(
はくしもんじゅう
)
』から経巻まで
引摺
(
ひきず
)
りだして見たが
田沢稲船
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
北斎
(
ほくさい
)
の描いたかつてのお前の姿の中に
新版 放浪記
(新字新仮名)
/
林芙美子
(著)
北斎
(
ほくさい
)
の赤富士にござりまする
モオツアルトのシンホニイ四〇番
(新字新仮名)
/
竹内浩三
(著)
『隅田川両岸一覧』に川筋の風景をのみ描き出した
北斎
(
ほくさい
)
も、更に
足曳
(
あしびき
)
の山の手のために、『
山復山
(
やままたやま
)
』三巻を描いたではないか。
日和下駄:一名 東京散策記
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
われわれは
広重
(
ひろしげ
)
でも
北斎
(
ほくさい
)
でも
歌麿
(
うたまろ
)
でもそれぞれに特有な取り合わせの手法を認めることができるであろう。
映画芸術
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
この
故
(
ゆえ
)
に
動
(
どう
)
と名のつくものは必ず卑しい。
運慶
(
うんけい
)
の
仁王
(
におう
)
も、
北斎
(
ほくさい
)
の
漫画
(
まんが
)
も全くこの動の一字で失敗している。動か静か。これがわれら
画工
(
がこう
)
の運命を支配する大問題である。
草枕
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
北斎
(
ほくさい
)
のはんのきの下で
『春と修羅』
(新字旧仮名)
/
宮沢賢治
(著)
喜多川歌麿
(
きたがわうたまろ
)
の絵筆持つ指先もかかる寒さのために
凍
(
こお
)
ったのであろう。
馬琴
(
ばきん
)
北斎
(
ほくさい
)
もこの置炬燵の火の消えかかった
果敢
(
はか
)
なさを知っていたであろう。
妾宅
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
今にドイツとか米国とかでだれかが
歌麿
(
うたまろ
)
や
北斎
(
ほくさい
)
を発見したように灸治法の発見をして大論文でも書くようになれば日本でも灸治研究が流行をきたすかもしれないと思われる。
自由画稿
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
兄エドモン・ド・ゴンクウルは弟ジュウルの
歿後
(
ぼつご
)
その
齢
(
よわい
)
漸
(
ようや
)
く六十に達せんとするの時、
新
(
あらた
)
に日本美術の研究に従事し
先
(
まず
)
歌麿
(
うたまろ
)
北斎
(
ほくさい
)
二家の詳伝を
編纂
(
へんさん
)
せり。
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
また
広重
(
ひろしげ
)
をして新東京百景や
隅田川
(
すみだがわ
)
新鉄橋めぐりを作らせるのも妙であろうし、
北斎
(
ほくさい
)
をして日本アルプス風景や現代世相のページェントを映出させるのもおもしろいであろう。
映画時代
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
北斎
(
ほくさい
)
及び
広重
(
ひろしげ
)
らの江戸
名所絵
(
めいしょえ
)
に
描
(
えが
)
かれた所、これを
文字
(
もんじ
)
に代えたならば、即ちこの一句に尽きてしまうであろう。
日和下駄:一名 東京散策記
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
このあたりの景色
北斎
(
ほくさい
)
が道中画譜をそのままなり。
東上記
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
(
広重
(
ひろしげ
)
北斎
(
ほくさい
)
の事は余
既
(
すで
)
に「浮世絵の山水画と江戸名所」と題せし論文に言ひたればここに論ぜず。)
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
これ余が
広重
(
ひろしげ
)
と
北斎
(
ほくさい
)
との江戸名所絵によりて都会とその近郊の風景を見ん事を
冀
(
こいねが
)
ひ、
鳥居奥村派
(
とりいおくむらは
)
の制作によりて衣服の模様器具の
意匠
(
いしょう
)
を
尋
(
たず
)
ね、
天明
(
てんめい
)
以後の美人画によりては
浮世絵の鑑賞
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
これ余が
広重
(
ひろしげ
)
と
北斎
(
ほくさい
)
との江戸名所絵によりて都会とその近郊の風景を見ん事を
冀
(
こいねが
)
ひ、
鳥居奥村派
(
とりいおくむらは
)
の制作によりて衣服の模様器具の意匠を尋ね、
天明
(
てんめい
)
以後の美人画によりては
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
それらの光景は私の眼には
直
(
ただち
)
に
北斎
(
ほくさい
)
の画題を
思起
(
おもいおこ
)
させる。いつぞや
芝白金
(
しばしろかね
)
の
瑞聖寺
(
ずいしょうじ
)
という名高い
黄檗宗
(
おうばくしゅう
)
の禅寺を見に行った時その門前の閑地に一人の男が
頻
(
しきり
)
と元結の車を繰っていた。
日和下駄:一名 東京散策記
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
しかして
明和
(
めいわ
)
二年に至り、
鈴木春信
(
すずきはるのぶ
)
初めて精巧なる木板
彩色摺
(
さいしきずり
)
の法を発見せしより浮世絵の傑作品は多く板画に
止
(
とど
)
まり、肉筆の制作は
湖龍斎
(
こりゅうさい
)
、
春章
(
しゅんしょう
)
、
清長
(
きよなが
)
、
北斎
(
ほくさい
)
等の或る作品を除くの
外
(
ほか
)
浮世絵の鑑賞
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
画家の謝礼を著者が支払うなんて云う事は
馬琴
(
ばきん
)
北斎
(
ほくさい
)
のむかしから聞いた事のない話です。「濹東綺譚」の表紙の意匠は私がしたのですがこれについて本屋は別に謝礼も何も寄越しはしませんでした。
出版屋惣まくり
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
“北斎(
葛飾北斎
)”の解説
葛飾 北斎(かつしか ほくさい、葛飾󠄁 北齋、宝暦10年9月23日〈1760年10月31日〉? - 嘉永2年4月18日〈1849年5月10日〉)は、江戸時代後期の浮世絵師。化政文化を代表する一人。
(出典:Wikipedia)
北
常用漢字
小2
部首:⼔
5画
斎
常用漢字
中学
部首:⽂
11画
“北斎”で始まる語句
北斎忌