他事ひとごと)” の例文
深草の里に老婆が物語、聞けば他事ひとごとならず、いつしか身に振りかゝる哀の露、泡沫夢幻はうまつむげんと悟りても、今更ら驚かれぬる世の起伏おきふしかな。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
それも、もう他事ひとごとではない、既に今朝の雪の朝茶の子に、肝まで抜かれて、ぐったりとしているんだ。聞けば聞得で、なお有難い。
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
あんな小僧っ子の事で、何だ、グズグズ気をとられてるなんて、他事ひとごとじゃねえや、こちとらの事だ。間誤ついてると、細く短くなっちゃうぞ
乳色の靄 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
いよいよあの古い歴史のある青山の家も傾いて来て、没落の運命は避けがたいかもしれないということは、彼にとって他事ひとごととも思われなかった。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
いまそのうるはしく殊勝けなげなる夫人ふじんが、印度洋インドやう波間なみまえずなつたといては、他事ひとごとおもはれぬと、そゞろにあわれもようしたる大佐たいさは、暫時しばらくしてくちひらいた。
日に日に損なわれて行くわが健康を意識しつつ、この姉に養生を勧める健三の心のうちにも、「他事ひとごとじゃない」という馬鹿らしさが遠くに働らいていた。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
わたくし他事ひとごととは云いながら、命の恩人のかたき、すぐに飛びかゝろうかと思いましたが、先は剣術つかい、女の痩腕やせうででなまじいな事を仕出来しでかして取逃すような事がありましては
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
決してまた他事ひとごとでなく、自分が十二歳の時に蔵前くらまえの師匠の家に行き、年季奉公を致した時から以来のことなども思い合わされ、多少の感慨なきあたわずともいわばいわれます。
しかし、幾度も不幸を眼前に見て来た村の人たちは、他事ひとごととは思えないので、その老人に思いとどまるように忠告する者もあったが、老人は一笑に附して頭から取りあげなかった。
位牌田 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
兵部大輔にとつても、此だけは他事ひとごとではなかつた。おなじ大伴幾流の中から、四代続いて氏上職を持ちこたへたのも、第一は宮廷の思召しもあるが世の中のよせが重かつたからだ。
死者の書:――初稿版―― (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
と寛一君は他事ひとごとだから冷静を失わない。成功すれば纒まり失敗すればこわれると信じて、無論前者を望んでいる。それは然うと、宮地さんの出入する家庭は縁談進行中と認められる。
脱線息子 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
しかし、それは他事ひとごとではありません。今度は私自身がその仕舞図を描くことになったのですから、そんな前車のてつをふまないように注意しなくてはいけないと思って緊張しているのです。
長三郎は他事ひとごとでも訊かれたやうな軽い調子で答へた。
自分の事も他事ひとごとも、忘れ忘れていつ迄も
白髪小僧 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
他事ひとごとながらいたわしくて、記すのに筆がふるえる、遥々はるばる故郷おくにから引取られて出て来なすっても、不心得な小説孫が、かたのごとき体装ていたらくであるから
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
すると森本もまるで他事ひとごとのように同じく大きな声を出して笑い始めたが、それがすむと、急に真面目まじめになって、敬太郎の口を抑えるような手つきをした。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
平素懇意にする金兵衛が六十三歳でこの打撃を受けたということは、寛斎にとって他事ひとごととも思われない。今一通の手紙はふるいなじみのある老人から来た。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
兵部大輔にとっても、此はもう、他事ひとごとではなかった。おなじ大伴幾流の中から、四代続いて氏上職を持ちこたえたのも、第一は宮廷の御恩徳もあるが、世の中のよせが重かったからである。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
お種は弟を顧みて、「三吉、お前は私のことを……旦那だんなに逢って見る積りで、今度出て来たんだろうなんて、そう言ったそうなネ……」と他事ひとごとのように言った。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「しかし他事ひとごとじゃないね君。その実僕も青春時代を全く牢獄のうちで暮したのだから」
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
海は深くて、その男の死骸しがいは揚らなかったとか。この話を聞いた時は、山本さんは他事ひとごととも思えなかった。可恐おそろしく成って、お新を連れて、国府津行の汽船の方へと急いだ。
(新字新仮名) / 島崎藤村(著)
しまひにはあの『ざまあ見やがれ』の一言を思出すと、慄然ぞつとするつめた震動みぶるひ頸窩ぼんのくぼから背骨の髄へかけて流れ下るやうに感ぜられる。今は他事ひとごととも思はれない。あゝ、丁度それは自分の運命だ。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
年をとるなんて、相川に言わせると、そんなことは小欠おくびにも出したくなかった。昔の束髪連そくはつれんなぞがあおい顔をして、光沢つやも失くなって、まるで老婆然おばあさんぜんとした容子ようすを見ると、他事ひとごとでも腹が立つ。
並木 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
大日向の運命はやがてすべての穢多の運命である。思へば他事ひとごとでは無い。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
震災後一年に近い地方の人たちにとって、この報知しらせは全く他事ひとごとではなかった。もっとも、馬籠のような山地でもかなりの強震を感じて、最初にどしんと来た時は皆屋外そとへ飛び出したほどであった。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)