谿間たにま)” の例文
又、この風景作家の異常なる注意は、裸女の蓮台が通り過ぎる所の、谿間たにまの花の細道が作る曲線にまでも行届いていたのです。
パノラマ島綺譚 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
谿間たにませせらぐ秋の水といおうか、草むらにすだく残りのむしの音といおうか、それは言いようもなく淋しく、やるせなく、そして美しい表現です。
不可解の失踪しっそうをとげた道夫の先生の川北順に違いない人物が、平井村の赤松山の下の谿間たにまで発見されたというのであった。
四次元漂流 (新字新仮名) / 海野十三(著)
木立が高く、ひろい谿間たにまを見おろすことが出来る。その谿間は一めんに落葉でうづまつてゐる。そして、しいんとして仕舞つて、今は一鳥だも啼かない。
接吻 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
谿間たにまの百合の大輪おおりんがほのめくを、心は残るが見棄てる気構え。くびすを廻らし、猛然と飛入るがごとく、むぐらの中に躍込んだ。ざ、ざ、ざらざらと雲が乱れる。
星女郎 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
泥棒どろぼう監獄かんごくをやぶつてげました。つきひかりをたよりにして、やまやま山奥やまおくの、やつとふか谿間たにまにかくれました。普通なみ大抵たいてい骨折ほねをりではありませんでした。
ちるちる・みちる (旧字旧仮名) / 山村暮鳥(著)
露けく茂りたるつたの、おほいなる洞門にかゝりたるさまは、カラブリア州の谿間たにまなる葡萄架ぶだうだなを見る心地す。
その裾野の傾斜は更に延びて行って、二三の小さな山村を村全体傾かせながら、最後に無数の黒い松にすっかり包まれながら、見えない谿間たにまのなかに尽きていた。
風立ちぬ (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
山にはまだ雪が白く谿間たにまなどには残っており、朝風は刺すように寒く、車夫のいった通り道もわるい。
この谿間たにまに移ってからというものは、騎西家の人達は見違えるほど野性的になってしまって、体躯からだのいろいろな角が、ずんぐりと節くれ立ってきて、皮膚の色にも
白蟻 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
だんだん道が狭くなって、しかも次第に谿間たにまへ入ってゆくので、元気な青木も何度か立止まった。
須磨寺附近 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
庸三の子供が葉子を形容したように彼女は鳥海山ちょうかいさん谿間たにまに生えた一もとの白百合しらゆりが、どうかしたはずみに、材木か何かのなかに紛れこんで、都会へ持って来られたように
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
武蔵にも多くの例がある。谿間たにまの入野に比較してやや広い平野をば和田といったようである。またこれを沖ともいう所がある。オキもワダもともに陸地に用いられている。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
とはいえ、白河の激水に、夏侯惇かこうじゅん、曹仁のともがらを奔流の計にもてあそび、博望の谿間たにまにその先鋒を焼きただらし、わが軍としては、退くも堂々、決して醜い潰走はしていません。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お昼に、子供達の一行は、或る谿間たにまに集まった。その底の方を小さな谷川が流れていた。
陽気な、疲れることなどをまるで知らないニムフの踊りの輪から、ようようぬけた彼は、涼しさを求めて、ズーッと橄欖かんらんの茂り合った丘を下り、野を越えて、一つの谿間たにまに入りました。
地は饒なり (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
彼らは、石炭と海との親不知おやしらず、石炭と石炭との山の谿間たにまを通って、夕張ゆうばり炭山へ続いている鉄道線路を越して、室蘭の市街へ出た。そのまちは、昼も夜のように寂しい感じのする街であった。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
雪ふかしここの谿間たにまの湯の宿の湯気ゆげのこもりによくぬくもらむ
風隠集 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
をぐらきまむしの谿間たにまたぎちゆきて
春鳥集 (旧字旧仮名) / 蒲原有明(著)
雲雀ひばりは空気を震動させて上天の方にゐるかとおもふと、閑古鳥かんこどりは向うの谿間たにまから聞こえる。
念珠集 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
旗や馬幟うまじるしの激流は、雲が谿間たにまを出るように、銅鑼金鼓どらきんこに脚を早め、たちまち野へひろがった。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これをおもへば烟立つヱズヰオのいたゞき、露けく緑深き葡萄の蔓の木々の梢より梢へと纏ひ懸れる美しき谿間たにま、或は苔を被れる岩壁の上にあらはれ或は濃き橄欖オリワの林に遮られたる白堊はくあ城砦じやうさいなど
谿間たにまをながれる泉のやうに
薄暮くれがた谿間たにま恐怖おそれ
第二邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
谿間たにまの水の具合をよく観ていて、それを序詞としたのに感心すべく、隠れた水、沢にこもり湧く水が、石根をも通し流れるごとくに、一徹におもっております、あなたに逢うまでは
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
旅人の高山のいたゞきに登り得て、雲霧立ち籠めたる大地を看下すとき、その雲霧の散るに從ひて、忽ち隣れる山のさきあらはれ、忽ち日光に照されたる谿間たにまの見ゆるが如く、我心の世界は漸く開け
林中にはもみが生ひ茂つて、その木下こしたにはきのこの群生した所もあつた。そこを通抜けると、紅葉もみぢして黄色く明るくなつた林を透して深い谿間たにまが見える、その谿間をイーサルの川が流れてゐるのである。
イーサル川 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)