病臥びょうが)” の例文
病臥びょうがした父の世話をひとりで受持っていた彼女には、父のために父の死を、誰よりも祝福することのできるたちばだったかもしれない。
竹柏記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
三世勝三郎が鎌倉に病臥びょうがしているので、勝久は勝秀、勝きみと共に、二月二十五日に見舞いに往った。僦居しゅうきょ海光山かいこうざん長谷寺ちょうこくじの座敷である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
ただ何か急に出頭して諒解を求める必要でも起こった際絶えず病臥びょうがしている私では何かと不都合が起こるでしょうし
その頃から、あなたは病臥びょうがしたらしい。そして、あなたが死んで、ハガキ一枚の通知になるまで、私はあなたが、肺病でねていることすら知らなかった。
二十七歳 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
ただ、長く病臥びょうがし喀血などすると、自然、創作に割く時間が制限されるので、此の上にも貴重な時間をとる政治問題が少々うるさくなることがあるのだ。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
彼は兄の病臥びょうがしている山の事務所を引きげて、その時K市のステーションへいたばかりであったが、旅行先から急電によって、兄の見舞いに来たので
挿話 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
病臥びょうが中、はじめの一週間ほどは努めて安静を守っていたが、日がだんだんに経つに連れて、気分の好い日の朝晩には縁側へ出て小さい庭をながめることもある。
薬前薬後 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
そうした庭をながめても、それが夏の終わりの景色けしきであるのに病臥びょうがしていた間の月日の長さが思われた。
源氏物語:35 若菜(下) (新字新仮名) / 紫式部(著)
うちが味善あんじょうするよってっといて、と、妙子は云って、今度の費用は、奥畑方で病臥びょうが中の分も、入院してから以後の分も、当然自分が支払うべきものだけれども
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
彼女は其の時私の画いた自画像の一枚を後年病臥びょうが中でも見ていた。その時ウエストンから彼女の事を妹さんか、夫人かと問われた。友達ですと答えたら苦笑していた。
智恵子の半生 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
の如きは、病臥びょうがしていて実際鶏頭の数を数えることが出来なかったので、十四、五本もありぬべしと言ったので、十四、五本位あるであろうと正直に言ったのである。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
実は少々御示教にあずかりたき儀有之これあり昨夜はいつもの処にて御目おめに掛れる事と存じをり候処御病臥びょうがの由面叙めんじょの便を失し遺憾に存じ候まゝ酒間乱筆を顧みずこの手紙差上申さしあげもうし候。
雨瀟瀟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
しかし女は、暫くの間、工場を休み、病臥びょうがしなければならなかった。だが折角せっかくの二人の苦心も水の泡だった。というのが、旦那どのが、女の様子から、疑惑を生じたためだった。
夜泣き鉄骨 (新字新仮名) / 海野十三(著)
一八五八年牛津オックスフォード大学に移るに及びて、その英才はいよいよ鋒鋩ほうぼうを現したが、過度の勉強の為めにいたく心身を損ね、病臥びょうが数月の後、保養のために大陸を遍歴すること約一年に及んだ。
神のたたりであろうかと加持祈祷かじきとうに手を尽くしたが、それも一向効顕ききめがなく、怪異は相変わらず継続するので、主人の荘八はそれがために、いたく神経を悩まして病臥びょうがする仕儀となった。
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
悪性の流行感冒かんぼうは日に幾十となくその善良な市民を火葬場に送った。私もまた同じ戦慄せんりつのうちに病臥びょうがして、きびしいしもと、小さい太陽と、凍った月の光ばかりとを眺むるよりほかなかった。
木曾川 (新字新仮名) / 北原白秋(著)
最後のペテルスブルグ生活は到着早々病臥びょうがして碌々見物もしなかったらしいが、仮に健康でユルユル観光もし名士との往来交歓もしたとしても二葉亭は果して満足して得意であったろう
二葉亭追録 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
すると、蚊帳かやの中に、姉とおいと妹とその三人がまくらを並べて病臥びょうがしているのであった。手助に行ってた妹もここで変調をきたし、二三日前から寝込んでいるのだった。姉は私の来たことを知ると
廃墟から (新字新仮名) / 原民喜(著)
ながい病臥びょうがのあいだも苦痛を訴えたり思い沈んだりするようなことはなく、いつも明るい眉つきでしんとどこかを見まもっているという風だった。
日本婦道記:おもかげ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
それが未だに発売できずにいるのは、多分一は希望閣の財政上の理由に、他は私が病臥びょうが続きのためお約束の序文を書くことができなかったからだと思います。
では王族の一人が病臥びょうが中の王のくびをしめて位をうばう。では足頸を斬取きりとられた罪人共が王をおそい、晋では二人の臣がたがいに妻を交換こうかんし合う。このような世の中であった。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
芸術精進と家庭生活との板ばさみとなるような月日もようやく多くなり、其上肋膜ろくまくを病んで以来しばしば病臥びょうがを余儀なくされ、後年郷里の家君をうしない、つづいて実家の破産にひんするにあい
智恵子の半生 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
或時は二階から本をなわつないで卸すと、街上に友人が待ち受けていて持ち去ったそうである。安政三年以後、抽斎の時々じじ病臥びょうがすることがあって、その間には書籍の散佚さんいつすることがことに多かった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
長く病臥びょうがしていて何のつくろいもしていない人が、盛装して気どった美人というものよりはるかにすぐれていて、見ているうちに魂も、この人と合致するために自分を離れて行くように思われた。
源氏物語:49 総角 (新字新仮名) / 紫式部(著)
昭和八年一月一日 鎌倉宅病臥びょうが皿井さらい旭川きょくせん来、枕頭ちんとうに壺の図を描く。
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
予の隣家は炭屋の貧しい家族である。主は顎骨化膿で二日来病臥びょうがし、その最中に妻が出産した。子供は十五の男を頭に五人。正に人生の悲劇である。
病臥びょうがまま
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
河瀬主殿の娘が病臥びょうがちゅうで、結婚できないからだだということもわかっていたが、宮津へ着くまえに、(江戸の父から)求婚の手紙が届くようになっていた。
いしが奢る (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
二年ほどまえから病臥びょうがしていて、たびたびみまいにも来たが、母の態度はいつも冷淡だったし、こちらも愛着がなく、形式的な挨拶をしては帰ったのであるが
菊千代抄 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
藩主の病臥びょうがが触れだされたのは年が明けて二月のことだった。侍医が政務を執ることを禁じたので、老臣の合議によって藩政の処理がおこなわれることになった。
落ち梅記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
靱負の仕事を見覚えていたのだろう、彼がながく病臥びょうがしたときなどは、止めるのも肯かず、自分で材料を取って来て内職をした。牧二郎の守をし、靱負の看病をし。
日本婦道記:二十三年 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
高安は老職格で、父の良平は病臥びょうがするまで勘定奉行であった。孝之助もやがて、その職に就くわけであるが、父が倒れて以来、勘定奉行の元方(収納)支配をしている。
竹柏記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
一年じゅうとおして午前四時には全家族が朝食をするきまりで、病臥びょうが公用でない限りこの家法から除外されることは決してない、——主計は三時ちょっと過ぎに起きると
主計は忙しい (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
平河町の森で、六月下旬に老母が亡くなったが、木挽町から看病にいっていた母のいつ女が、実母の死にまいったものか、葬儀の日に倒れたまま、七月いっぱい森家で病臥びょうがした。
末っ子 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
初めてとみが病臥びょうがしていたこと、いま急に吐血して気を失った、ということを知った。
季節のない街 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
四五日つづいてけぶるような雨の降ったあと、にわかに空が澄みあがって、松林をわたる風もやや肌寒く感じられる一日、下野しもつけ宇都宮うつのみやから音信があって三郎兵衛の病臥びょうがを知らせて来た。
日本婦道記:不断草 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
妻のりつは志田郡松山にいた。松山の館では、茂庭佐月が病臥びょうがちゅうなので、看護のためにゆかせたのである。それは甲斐が帰国するとすぐのことで、律はそのまま松山にとめられていた。
この家老は十年まえ世継ぎ争いのとき、大助さま擁立の主唱者で、側用人派のために敗北し、近年まで閑職にいたのであるが、伯耆守が病臥びょうがと同時に挙げて江戸家老に任ぜられたのである。
若殿女難記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
男のほうも二十三四だろう、病臥びょうがでもしていたとみえ、蒼白けた骨ばかりのからだつきである。眼は落ちくぼんでいるし、頬骨は高くとがっているし、ぜんたいに窶弱して吐く息は火のようだった。
新潮記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「御家内には御病臥びょうがでござるか」
おもかげ抄 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)