玄蕃げんば)” の例文
「あれはいまの玄蕃げんばの姉に当っている、茂庭家の娘だ、おれは松山のたてで、まだ少女だったあれを見た、顔だちの美しい賢い娘だった」
「私は加世かよと申します。肥前島原の高力左近太夫かうりきさこんだいふ樣御家中、志賀玄蕃げんば、同苗内匠たくみの母でございます。これは次男内匠の嫁、關と申します」
剛槍ごうそうみずから誇る彼は、北ノ庄の身内みうちに佐久間玄蕃げんばありと聞ゆる程なその男に、きょうこそ会ってみたいと、駈け廻るのだった。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信長は大高城の前方左右に丸根、鷲津の二つの砦を構え、佐久間盛重と織田玄蕃げんばにまもらせて、今川勢の進軍を待っていた。
織田信長 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
狂言は、芹生せりふの里寺子屋の段、源蔵、戸浪、菅秀才、村の子供たち、その親多勢、玄蕃げんば、松王——多くの、いずれも精巧を極めた人形である。
釘抜藤吉捕物覚書:11 影人形 (新字新仮名) / 林不忘(著)
同じく其弟の源六は佐々さっさ成政の養子で、二人いづれも秀吉を撃取うちとりにかかった猛将佐久間玄蕃げんばの弟であったから、重々秀吉のにくしみは掛っていたのだ。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
企てられた事件であって、小幡おばたの城主織田信邦のぶくにの家老の、吉田玄蕃げんばをはじめとして、数百人の門弟があずかった。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
この時二の手で目付役の軍監を兼ねていた佐久間大学(しずたけの佐久間玄蕃げんばの後裔)
鳴雪自叙伝 (新字新仮名) / 内藤鳴雪(著)
往昔、朝廷では玄蕃げんばの官を置き、鴻臚館こうろかんを建てて、遠い人を迎えたためしもある。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
小栗上野おぐりこうずけがある、勝安房かつあわがある、永井玄蕃げんばも、水野痴雲ちうんも、向山黄村むこうやまこうそん川路聖謨かわじせいぼ、その他誰々、当時天下の人物としても恥かしい人物ではないが……なにぶん大廈たいかくつがえる時じゃ、いたずらに近藤勇
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
松王まつおうと行逢ひ、附け廻りにて下手にかはる、松王が「ありのはひる」といふ処「相がうがかはる」などという処にて思入し、「身替のにせ首」にて腹に応へし模様見え「玄蕃げんばが権柄」にてはつと刀をさし
両座の「山門」評 (新字旧仮名) / 三木竹二(著)
「うそだと思うなら、侍大将の玄蕃げんば様の家へ行ってきいてみろ、伝四郎はいま敵軍のなかで働いているんだ、裏切者なんだ!」
伝四郎兄妹 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「いえ、母上様の思召しでございました。兄上玄蕃げんば様御手討になった上は、退しりぞいて志賀家の跡を断やさないのが祖先への孝行と申しまして」
と、供も厳しく、四家老もみな扈従こじゅうしてゆくことになった。岡田長門守、浅井田宮丸、津川玄蕃げんば、滝川三郎兵衛の四名である。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
用人ようにん源伍兵衛げんごべえ老人である。さては、自分の気の迷いで、廊下には何人も立ってなんぞいなかったのだと思うと、玄蕃げんば、一時に胆力たんりょく恢復かいふくして
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
世々じゅ四位下侍従じじゅうにも進み、網代あじろ輿こし爪折つまおり傘を許され、由緒ゆいしょの深いりっぱなお身分、そのお方のご家老として、世にときめいた吉田玄蕃げんば様の一族の長者として
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
玄蕃げんばの水汲み読書が足らない
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「聞けっ、玄蕃げんば」語気に癇癖かんぺきがほとばしっている。こういう癇癖は、戦いがあれば戦場で散じてしまうだろうが、もう世の中は泰平だった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
甲斐の二度めの妻は、津田玄蕃げんばの妹で、名を伊久いくといい、今年二十九歳になる。結婚するとすぐに、甲斐は江戸へ去り、伊久はあとに残った。
馬を停めた井上玄蕃げんばは、やぶの中から出た、釘拔くぎぬぎのやうな手に足を掴まれて、あつと言ふ間もなく引落されました。
六尺棒をトンと土について、こう言ったのは、この関所をあずかる柳生の役人の一人、津田玄蕃げんばというお徒士かち
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
玄蕃げんば様の一族なのでございます」
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
そして頼朝はこういったのだぞ——(もしもこの身が天下を取ったあかつきには日本半国は二つにして、兄弟の者に取らせる)と……。玄蕃げんば
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が、多勢に無勢、暫らくの後、井上玄蕃げんばは生捕られ、二人の青侍も薄傷うすでを負つた樣子、手馴れた錢を投げられないので、平次の武力も思ふに任せません。
そして、宿老らの次に評定役の津田玄蕃げんば、そのうしろに書役が三人、机を並べて、評議のしだいを記録していた。
「きのうの訴人——佐々木道誉の家来民谷玄蕃げんばという男が、いつのまにか下屋から姿を消し、どこにも見えぬと、立ち騒いでいたものにございまする」
津田玄蕃げんばに伊久と申して、二十八歳になる妹がおります。それを欲しいと、人をもって申しいれたと聞きました。
君御馬前に討死するとか、武士の意気地で死ぬことなら、私は嘆きもうらみもいたしません。兄玄蕃げんば
船岡からは、家老の片倉隼人はやとと、少年の辻村又之助が来ており、帰国祝いの招宴には、津田玄蕃げんばが周旋をした。
浅井七郎右衛門、同玄蕃げんばという者に、三田村右衛門大夫の兵が合体して、およそ八百人ばかりが、横山城の城戸きど枯柴かれしばの山をつんで、焼き立てているところという。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
君御馬前に討死するとか、武士の意氣地で死ぬことなら、私は歎きも怨みもいたしません。兄玄蕃げんば
かつて、しずたけのたたかいにも、柴田勝家のおい玄蕃げんばが、この手をやって、大敗北をまねいた先例もあったが——勝入はなんとしても、これを、秀吉にこうとした。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
間もなくやつて來たのは井上玄蕃げんばと、御用金六千兩を積んだ馬と、馬子と、青侍が二人、——凾嶺の關所さへ越せば、あとは駿府すんぷから數十人の警護の者が來てゐると聞いて
十二月十五日に、柴田外記げき、片倉小十郎、津田玄蕃げんばらが登城、それぞれ太刀、銀馬代、時服じふくを献上し、白書院にて将軍に謁した。甲斐はこの記事を消し、次つぎと三項目を消した。
けれどなお、その気に入りの勝敏にも増してもっと偏愛へんあいしていたのは、おい玄蕃げんば盛政だった。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
島田雲州どのお一人であったが、新たに大井新右衛門どのを加えられる、とのお沙汰がありましたそうで、津田玄蕃げんばがただちに大井どのへ挨拶にまいった、とのおもむきにございます。
「いえいえ三代相恩でも、兄玄蕃げんばが手討になり、嫁の関まで殺されました」
「——大野木土佐、浅井玄蕃げんば、三田村右衛門など、三人もそろって、お味方を裏切るとは」
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
生家の井沼は代々の物がしら格上席で、父の玄蕃げんばは御槍奉行を勤めていた。
柘榴 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
同じ背負い込むなら——町人の娘の淋しい多与里より若くて明るくて、愛嬌があって、その上石川日向守一門の末に連なる石川玄蕃げんばの娘、小浪を貰った方が、どんなに良いかわからないのです。
聞け、善性坊、汝をはじめ、同腹の浅井七郎右衛門、同じく玄蕃げんば、三田村右衛門大夫などの徒は、決して、主君浅井長政の命によって、わしの留守城を襲撃したわけではあるまいが
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
離別して、こんど津田玄蕃げんばという人の妹をおもらいなすったんですって
「こりゃ千浪——」と一人樹の根に掛けて離れていた大月玄蕃げんばは、冷然と一睨いちげいして
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「佐沼(津田玄蕃げんば)どののほうはどうなさるか」
彼の体躯は老骨の作左衛門を眼下に見るほどの大男である上、臂力ひりきは山陰に並びなき、十二人力と称せられ、しかも宝蔵院の槍術、一刀流の剣道は達人と称せられた大月玄蕃げんばである。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「よう来たな、玄蕃げんば腰が伸びるか」
三十二刻 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
玄蕃げんばは怒りにもえ、金剛力士こんごうりきしのごとく、太刀たちをふりかぶって、槍の真正面に立った。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
父親の小出玄蕃げんばは云う。
末っ子 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
玄蕃げんばが立ちかけると、玄蕃と並んでいた毛受勝助家照めんじゅしょうすけいえてるが、その足もとをさえぎるように
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
玄蕃げんば土足どそくをあげてったので、よろいはガラガラとくずれて土まみれになった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)