“玄蕃允”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
げんばのじょう60.0%
げんばのすけ40.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
が、当の玄蕃允げんばのじょうは、勝助家照の憂いなどは、もとより意にもなかった。彼は直接、叔父勝家の帷幕いばくへ臨んで、居合わせた衆臣を尻目しりめ
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今さらの如く愕然がくぜんとした玄蕃允げんばのじょうはいうことばすら欠いて、こう唇を噛んだまま、しばし黙然と蒼白な面をじっと仰向あおむけていた。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
当時、織田の長臣柴田修理亮しゅりのすけ勝家は、上杉景勝を討つべく、佐々内蔵助くらのすけ成政、前田又左衛門利家、佐久間玄蕃允げんばのすけ盛政、及び養子伊賀守勝豊以下を率いて、越中魚津に在陣中であった。
賤ヶ岳合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
佐久間玄蕃允げんばのすけ盛政、従う者は、弟保田安政、佐久間勝政、前田又左衛門尉利家、同子孫四郎利長等を始めとして、徳山五兵衛、金森五郎八長近、佐久間三左右衛門勝重、原彦治郎、不破彦三
賤ヶ岳合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)