“げんばのすけ”の漢字の書き方と例文
語句割合
玄蕃允100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
当時、織田の長臣柴田修理亮しゅりのすけ勝家は、上杉景勝を討つべく、佐々内蔵助くらのすけ成政、前田又左衛門利家、佐久間玄蕃允げんばのすけ盛政、及び養子伊賀守勝豊以下を率いて、越中魚津に在陣中であった。
賤ヶ岳合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
佐久間玄蕃允げんばのすけ盛政、従う者は、弟保田安政、佐久間勝政、前田又左衛門尉利家、同子孫四郎利長等を始めとして、徳山五兵衛、金森五郎八長近、佐久間三左右衛門勝重、原彦治郎、不破彦三
賤ヶ岳合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
丸根砦の佐久間大学盛重は徒らに士を殺すを惜んで、五人の旗頭はたがしら、服部玄蕃允げんばのすけ、渡辺大蔵、太田左近、早川大膳、菊川隠岐守に退いて後軍に合する様にすすめたけれども、誰一人聴かなかった。
桶狭間合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)