トップ
>
湯島
>
ゆしま
ふりがな文庫
“
湯島
(
ゆしま
)” の例文
僧 今日は朝から
湯島
(
ゆしま
)
神田
(
かんだ
)
下谷
(
したや
)
淺草
(
あさくさ
)
の檀家を七八軒、それから
廓
(
くるわ
)
を五六軒まはつて來ましたが、なか/\暑いことでござつた。
箕輪の心中
(旧字旧仮名)
/
岡本綺堂
(著)
上野広小路の山崎(油屋)の横を
湯島
(
ゆしま
)
の
男坂
(
おとこざか
)
の方へ曲って中ほど(今は
黒門町
(
くろもんちょう
)
か)に住んでいました。この人が常に私の宅へ遊びに来ている。
幕末維新懐古談:63 佐竹の原へ大仏を拵えたはなし
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
井戸は江戸時代にあつては
三宅坂側
(
みやけざかそば
)
の
桜
(
さくら
)
ヶ
井
(
ゐ
)
も
清水谷
(
しみづだに
)
の
柳
(
やなぎ
)
の
井
(
ゐ
)
、
湯島
(
ゆしま
)
の
天神
(
てんじん
)
の
御福
(
おふく
)
の
井
(
ゐ
)
の如き、古来江戸名所の
中
(
うち
)
に数へられたものが多かつたが
水 附渡船
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
狩谷棭斎、名は
望之
(
ぼうし
)
、
字
(
あざな
)
は
卿雲
(
けいうん
)
、棭斎はその号である。通称を
三右衛門
(
さんえもん
)
という。家は
湯島
(
ゆしま
)
にあった。今の一丁目である。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
丁度其の頃
湯島
(
ゆしま
)
切通
(
きりどお
)
しに
鋏鍛冶
(
はさみかじ
)
金重
(
かねしげ
)
と云う名人がございました。只今は
刈込
(
かりこみ
)
になりましたが、まだ
髷
(
まげ
)
の有る時分には
髪結床
(
かみゆいどこ
)
で使う大きな鋏でございます。
粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分):02 粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
▼ もっと見る
しかもそれが済むと、自分も、
絆纏
(
はんてん
)
に後ろ
鉢捲
(
はちま
)
きをして、
池
(
いけ
)
の
端
(
はた
)
から
湯島
(
ゆしま
)
辺にかけて配達して
廻
(
まわ
)
るのだった。何だかえたいの知れない男だと私は思った。
何が私をこうさせたか:――獄中手記――
(新字新仮名)
/
金子ふみ子
(著)
著者
(
ちよしや
)
は
明治二十七年
(
めいじにじゆうしちねん
)
六月二十日
(
ろくがつはつか
)
の
東京地震
(
とうきやうぢしん
)
を
本郷
(
ほんごう
)
湯島
(
ゆしま
)
に
於
(
おい
)
て、
木造
(
もくぞう
)
二階建
(
にかいだて
)
の
階上
(
かいじよう
)
で
經驗
(
けいけん
)
したことがある。
地震の話
(旧字旧仮名)
/
今村明恒
(著)
彼の目には幕府以上の「非文明」の権化にすぎない官軍参謀村田蔵六が、
湯島
(
ゆしま
)
の岡から上野の森に大砲をぶっ放しつつある時、有名な「出島」演説が塾で聞かれた。
福沢諭吉
(新字新仮名)
/
服部之総
(著)
ちょうどわたしは、東京
湯島
(
ゆしま
)
のほうにいて、
郷里
(
くに
)
から上京した母とともに小さな家を借りている時でした。ある日、来助老人がその湯島の家へたずねて来てくれまして
力餅
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
最後に本郷の方を一二軒
猟
(
あさ
)
って、そこでも全く失望した二人が、疲れた足を休めるために、木蔭に飢えかつえた哀れな放浪者のように、
湯島
(
ゆしま
)
天神の境内へ慕い寄って来たのは
あらくれ
(新字新仮名)
/
徳田秋声
(著)
晴れていたら
駿河台
(
するがだい
)
から
湯島
(
ゆしま
)
、
本郷
(
ほんごう
)
から
上野
(
うえの
)
の丘までひと眼に見わたせるだろう、いまは舞いしきる粉雪で少し遠いところは
朧
(
おぼろ
)
にかすんでいるが、焼け落ちた家いえの
梁
(
はり
)
や柱や
柳橋物語
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
「両国の水茶屋を仕舞った時の借りがあったので、私と別々に奉公したんです。私は——今は
止
(
よ
)
したけれど浅草の料理屋へ、妹は堅気がいいと言うんで、
湯島
(
ゆしま
)
の
山名屋五左衛門
(
やまなやござえもん
)
様へ——」
銭形平次捕物控:099 お篠姉妹
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
「
連雀町
(
れんじゃくちょう
)
から逃げだして、どうやら
湯島
(
ゆしま
)
の方へ入った様子でござります」
くろがね天狗
(新字新仮名)
/
海野十三
(著)
その当時藤村は本郷の新花町にいた。
春木町
(
はるきちょう
)
の裏通りを、
湯島
(
ゆしま
)
切通しの筋へ出る二、三
丁
(
ちょう
)
手前で、その突き当りが俗にいうからたち寺である。藤村は親戚の人と同居して、そこの二階で
起臥
(
きが
)
していた。
夢は呼び交す:――黙子覚書――
(新字新仮名)
/
蒲原有明
(著)
湯島
(
ゆしま
)
の天神の茶屋へ寄りましたのでございます。
金色夜叉
(新字旧仮名)
/
尾崎紅葉
(著)
井戸は江戸時代にあっては
三宅坂側
(
みやけざかそば
)
の
桜
(
さくら
)
ヶ
井
(
い
)
、
清水谷
(
しみずだに
)
の
柳
(
やなぎ
)
の
井
(
い
)
、
湯島
(
ゆしま
)
の
天神
(
てんじん
)
の
御福
(
おふく
)
の
井
(
い
)
の如き、古来江戸名所の
中
(
うち
)
に数えられたものが多かったが
日和下駄:一名 東京散策記
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
住所は初め
湯島
(
ゆしま
)
天沢寺前
(
てんたくじまえ
)
としてあって、後には湯島天神裏門前としてある。保さんの記憶している家は
麟祥院前
(
りんしょういんまえ
)
の
猿飴
(
さるあめ
)
の横町であったそうである。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
此時
(
このとき
)
帝國大學地震學教室
(
ていこくだいがくぢしんがくきようしつ
)
に
於
(
お
)
ける
地動
(
ちどう
)
は
二寸
(
にすん
)
七分
(
しちぶ
)
の
大
(
おほ
)
いさに
觀測
(
かんそく
)
せられたから、
同
(
おな
)
じ
臺地
(
だいち
)
の
湯島
(
ゆしま
)
に
於
(
おい
)
ても
大差
(
たいさ
)
なかつたはずと
思
(
おも
)
ふ。
隨
(
したが
)
つて
階上
(
かいじよう
)
の
動搖
(
どうよう
)
は
六七寸
(
ろくしちすん
)
にも
達
(
たつ
)
したであらう。
地震の話
(旧字旧仮名)
/
今村明恒
(著)
処が翌年になって
風
(
ふ
)
と来た客は
湯島
(
ゆしま
)
六丁目
藤屋七兵衞
(
ふじやしちべえ
)
と云う
商人
(
あきゅうど
)
、
糸紙
(
いとかみ
)
を
卸
(
おろ
)
す
好
(
よ
)
い身代で、その頃此の人は女房が
亡
(
なくな
)
って、子供二人ありまして欝いで居るから、仲間の者が参会の崩れ
敵討札所の霊験
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
殺されそうな気がして
叶
(
かな
)
わないと、
湯島
(
ゆしま
)
の吉に頼んで来たから、この間から折を見て二三度行ってみるうちに、娘のお君の方がなんか物を言いたそうにしているから、
昨日
(
きのう
)
店の前で逢ったとき
銭形平次捕物控:282 密室
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
なんでも
湯島
(
ゆしま
)
か
池
(
いけ
)
の
端
(
はた
)
あたりに中間奉公を
半七捕物帳:51 大森の鶏
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
試
(
こころみ
)
に初めて
袷
(
あわせ
)
を着たその日の朝といわず、昼といわず、また夕暮といわず、
外出
(
そとで
)
の折の道すがら、
九段
(
くだん
)
の坂上、
神田
(
かんだ
)
の
明神
(
みょうじん
)
、
湯島
(
ゆしま
)
の
天神
(
てんじん
)
、または芝の
愛宕山
(
あたごやま
)
なぞ
日和下駄:一名 東京散策記
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
天保十四年
癸卯
(
きぼう
)
五月四日大沼枕山は
岡本黄石
(
おかもとこうせき
)
に招かれて
湯島
(
ゆしま
)
の松琴楼に飲んだ。黄石名は迪、字は吉甫、通称を半介という。
井伊掃部頭直亮
(
いいかもんのかみなおあき
)
の家に仕えた老臣で、詩を星巌に学んでいた。
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
弘化三年丙午正月十五日、
本郷丸山
(
ほんごうまるやま
)
から起った火災は江戸大火中の大火に数えられているものである。
湯島
(
ゆしま
)
の聖堂は幸にして類焼を免れたが
昌平黌
(
しょうへいこう
)
の校舎と寄宿寮とは共に
灰燼
(
かいじん
)
となった。
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
“湯島”の解説
湯島(ゆしま)は、東京都文京区の町名。現行行政地名は湯島一丁目から湯島四丁目。郵便番号は113-0034。
古くは武蔵国豊島郡湯島郷。
(出典:Wikipedia)
湯
常用漢字
小3
部首:⽔
12画
島
常用漢字
小3
部首:⼭
10画
“湯島”で始まる語句
湯島天神
湯島詣
湯島切通
湯島新地
湯島花街
湯島天神裏