湯島ゆしま)” の例文
僧 今日は朝から湯島ゆしま神田かんだ下谷したや淺草あさくさの檀家を七八軒、それからくるわを五六軒まはつて來ましたが、なか/\暑いことでござつた。
箕輪の心中 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
上野広小路の山崎(油屋)の横を湯島ゆしま男坂おとこざかの方へ曲って中ほど(今は黒門町くろもんちょうか)に住んでいました。この人が常に私の宅へ遊びに来ている。
井戸は江戸時代にあつては三宅坂側みやけざかそばさくら清水谷しみづだにやなぎ湯島ゆしま天神てんじん御福おふくの如き、古来江戸名所のうちに数へられたものが多かつたが
水 附渡船 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
狩谷棭斎、名は望之ぼうしあざな卿雲けいうん、棭斎はその号である。通称を三右衛門さんえもんという。家は湯島ゆしまにあった。今の一丁目である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
丁度其の頃湯島ゆしま切通きりどおしに鋏鍛冶はさみかじ金重かねしげと云う名人がございました。只今は刈込かりこみになりましたが、まだまげの有る時分には髪結床かみゆいどこで使う大きな鋏でございます。
しかもそれが済むと、自分も、絆纏はんてんに後ろ鉢捲はちまきをして、いけはたから湯島ゆしま辺にかけて配達してまわるのだった。何だかえたいの知れない男だと私は思った。
著者ちよしや明治二十七年めいじにじゆうしちねん六月二十日ろくがつはつか東京地震とうきやうぢしん本郷ほんごう湯島ゆしまおいて、木造もくぞう二階建にかいだて階上かいじよう經驗けいけんしたことがある。
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
彼の目には幕府以上の「非文明」の権化にすぎない官軍参謀村田蔵六が、湯島ゆしまの岡から上野の森に大砲をぶっ放しつつある時、有名な「出島」演説が塾で聞かれた。
福沢諭吉 (新字新仮名) / 服部之総(著)
ちょうどわたしは、東京湯島ゆしまのほうにいて、郷里くにから上京した母とともに小さな家を借りている時でした。ある日、来助老人がその湯島の家へたずねて来てくれまして
力餅 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
最後に本郷の方を一二軒あさって、そこでも全く失望した二人が、疲れた足を休めるために、木蔭に飢えかつえた哀れな放浪者のように、湯島ゆしま天神の境内へ慕い寄って来たのは
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
晴れていたら駿河台するがだいから湯島ゆしま本郷ほんごうから上野うえのの丘までひと眼に見わたせるだろう、いまは舞いしきる粉雪で少し遠いところはおぼろにかすんでいるが、焼け落ちた家いえのはりや柱や
柳橋物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「両国の水茶屋を仕舞った時の借りがあったので、私と別々に奉公したんです。私は——今はしたけれど浅草の料理屋へ、妹は堅気がいいと言うんで、湯島ゆしま山名屋五左衛門やまなやござえもん様へ——」
連雀町れんじゃくちょうから逃げだして、どうやら湯島ゆしまの方へ入った様子でござります」
くろがね天狗 (新字新仮名) / 海野十三(著)
その当時藤村は本郷の新花町にいた。春木町はるきちょうの裏通りを、湯島ゆしま切通しの筋へ出る二、三ちょう手前で、その突き当りが俗にいうからたち寺である。藤村は親戚の人と同居して、そこの二階で起臥きがしていた。
湯島ゆしまの天神の茶屋へ寄りましたのでございます。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
井戸は江戸時代にあっては三宅坂側みやけざかそばさくら清水谷しみずだにやなぎ湯島ゆしま天神てんじん御福おふくの如き、古来江戸名所のうちに数えられたものが多かったが
住所は初め湯島ゆしま天沢寺前てんたくじまえとしてあって、後には湯島天神裏門前としてある。保さんの記憶している家は麟祥院前りんしょういんまえ猿飴さるあめの横町であったそうである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
此時このとき帝國大學地震學教室ていこくだいがくぢしんがくきようしつける地動ちどう二寸にすん七分しちぶおほいさに觀測かんそくせられたから、おな臺地だいち湯島ゆしまおいても大差たいさなかつたはずとおもふ。したがつて階上かいじよう動搖どうよう六七寸ろくしちすんにもたつしたであらう。
地震の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
処が翌年になってと来た客は湯島ゆしま六丁目藤屋七兵衞ふじやしちべえと云う商人あきゅうど糸紙いとかみおろい身代で、その頃此の人は女房がなくなって、子供二人ありまして欝いで居るから、仲間の者が参会の崩れ
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
殺されそうな気がしてかなわないと、湯島ゆしまの吉に頼んで来たから、この間から折を見て二三度行ってみるうちに、娘のお君の方がなんか物を言いたそうにしているから、昨日きのう店の前で逢ったとき
銭形平次捕物控:282 密室 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
なんでも湯島ゆしまいけはたあたりに中間奉公を
半七捕物帳:51 大森の鶏 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
こころみに初めてあわせを着たその日の朝といわず、昼といわず、また夕暮といわず、外出そとでの折の道すがら、九段くだんの坂上、神田かんだ明神みょうじん湯島ゆしま天神てんじん、または芝の愛宕山あたごやまなぞ
天保十四年癸卯きぼう五月四日大沼枕山は岡本黄石おかもとこうせきに招かれて湯島ゆしまの松琴楼に飲んだ。黄石名は迪、字は吉甫、通称を半介という。井伊掃部頭直亮いいかもんのかみなおあきの家に仕えた老臣で、詩を星巌に学んでいた。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
弘化三年丙午正月十五日、本郷丸山ほんごうまるやまから起った火災は江戸大火中の大火に数えられているものである。湯島ゆしまの聖堂は幸にして類焼を免れたが昌平黌しょうへいこうの校舎と寄宿寮とは共に灰燼かいじんとなった。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)