歯齦はぐき)” の例文
旧字:齒齦
「どうしてまた、七年も八年もお帰んなさらないんでしょう。随分だわ。」お作は塩煎餅の、くいついた歯齦はぐきを見せながら笑った。
新世帯 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
みなりのひどいことは他の子供たちと同様であるが、だらっと垂れた唇はよだれだらけだし、紫色の歯齦はぐきと、欠けた前歯がまる見えであった。
しじみ河岸 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
と、ねぎのやうに寒い歯齦はぐきを出して笑つてゐる。画剣斎も、夢剣庵もまんざら悪くは無いが、もつといのはいつそ剣の事なぞ忘れてしまふのだ。
与兵衛はかう言ひましたが、悲しい事には猿に人間の言葉は通じませんから、親猿は却つて歯齦はぐきき出してうなるのでした。
山さち川さち (新字旧仮名) / 沖野岩三郎(著)
が、顔は真蒼で、くちがゆるんで、白い歯並や歯齦はぐきがむき出ているばかりでなく、手をふれると異様な冷さを感じたので、愕然ぎょっとして突離した。
犬舎 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
振子の上に布片ぬのきれを幾重にも捲き、その先の剣針を歯齦はぐきの間に置いて、狙いを定めくらの咽喉のど深くにグサリと押し込んだ。
白蟻 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
私があまりの恐ろしさに暫らく茫然として居ると、凡そ三分間ほど血を吸って、それを心地よげにみ下しながら、血に染った歯齦はぐきを出して、ニッと笑い
犬神 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
歯齦はぐきモナイ。口ヲ結ブト上唇ト下唇ガペチャンコニ喰ッ着キ、ソノ上ニ鼻ガ垂レ下ッテ来テ頤ノ方マデ落チテ来ル。コレガ自分ノ顔ナノカト呆レザルヲ得ナイ。
瘋癲老人日記 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
猊下げいか様、わたくしは自分の茶番がうまくいかないなと思うと、その瞬間は、両方の頬が下の歯齦はぐき干乾ひからびついて、身うちがひきつってくるようなんでございますよ。
くさった歯齦はぐきのにおいがした。しかし、しばらくして私はそのにおいが支那の隠画ネガチブに塗られた香料であることがわかるのである。部屋の空気が女の温度を感じさせた。
大阪万華鏡 (新字新仮名) / 吉行エイスケ(著)
昨日歯齦はぐきを切りて膿汁うみじるつひえ出でたるためにや今日は頬のはれも引き、身内の痛みさへ常よりは軽く堪へやすき今日の只今、半杯のココアに牛乳を加へ一匕ひとさじまた一匕
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
その代りマッチ工場独特の骨壊疽こつえそにかかった老人や、歯齦はぐきが腐って歯がすっかり抜け落ちてしまった勤続者や、たびたびの火傷やけどに指がただれんで、なりっぽのように
武装せる市街 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
口をゆるめると、今まで固く噛み合っていた歯なみが歯齦はぐきからゆるみでるい軽い痛みを感じた。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
ブラゼンバートの暴圧には、限りがなかった。こころよい愛撫のかわりに、歯齦はぐきから血の出るほどの殴打があった。水辺のしずかな散歩のかわりに、砂塵濛々の戦車の疾駈しっくがあった。
古典風 (新字新仮名) / 太宰治(著)
兄が廿日市で見かけたという保険会社の元気な老人も、その後歯齦はぐきから出血しだし間もなく死んでしまった。その老人が遭難した場所と私のいた地点とは二町と離れてはいなかった。
廃墟から (新字新仮名) / 原民喜(著)
ひたいにはしわがより、ほほはこけ、小鼻はおち、歯齦はぐきは現われ、顔色は青ざめ、首筋は骨立ち、鎖骨さこつは飛び出し、手足はやせ細り、皮膚は土色になり、金髪には灰色の毛が交じっていた。
ああ閣下、それならもう百パーセントだとお答えいたします。ガガーン、ガガーンと銅鑼どらを聞かせますと、彼らの恐ろしき牙は、ただちにきりきりとおっ立ち、歯齦はぐきのあたりから鋼鉄を
軍用鮫 (新字新仮名) / 海野十三(著)
かれはさのみみにく容貌きりょうではなかったが、白く塗った顔をわざと物凄く見せるように、その眼のふちを青くぼかしていた。口唇くちびるにも歯齦はぐきにも紅を濃く染めて、大きい口を真っ紅にみせていた。
半七捕物帳:23 鬼娘 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
口中に熱あり、歯の浮く御仁、歯齦はぐきゆるんだお人、お立合の中に、もしや万一です。口の臭い、舌の粘々ねばねばするお方がありましたら、ここに出しておきます、この芳口剤で一度うがいをして下さい。
露肆 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
歯齦はぐきの作りがみんな黄金キンでしょう、一体、どれだけ目方があるか知ら。」
蜜のあわれ (新字新仮名) / 室生犀星(著)
勿論それはお前達の身体から出て来るのだ、ね、歯齦はぐきが歯になるものを滲み出さすのだ。かたつむりの家もさうして出来るのだ、小さな動物が、ひとりでに立派な貝殻になる石を滲み出すのだ。
相手の嗅覚器官に指をかけないで顔をあたるということは、どうも勝手が違って、やり難かったけれど、それでもまあ、ざらざらした親指を相手の頬と下歯齦はぐきにかけただけで、ついに万難を排して
(新字新仮名) / ニコライ・ゴーゴリ(著)
山鹿は、人をくったように、黄色い歯齦はぐきを出して笑うと
鱗粉 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
歯齦はぐきの血で描いたお雛様ひなさまの掛軸——(女子大学卒業生作)
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
母は腹痛をこらえながら、歯齦はぐきの見える微笑をした。
お律と子等と (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
とにかく貰って見給え、同じ働くにも、どんなに張合いがあって面白いか。あの女なら請け合って桝新ますしんのおかまを興しますと、小汚こぎたな歯齦はぐきあわめて説き勧めた。
新世帯 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
その——いやに紫ずんでいて、そこには到底、光も艶もうけつけまいと思われるような歯齦はぐきだけのものが、銅味あかみに染んだせいかドス黒く溶けて、そこが鉄漿おはぐろのように見える。
絶景万国博覧会 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
ソシテワザト上下ノ歯齦はぐきヲ強ク噛ミ合ワセ、顔ノ寸法ヲ出来ルダケ縮メテ見セタ。鼻ガペシャンコニナッテ唇ノ上ニブラ下ッタ。チンパンジーデモコノ顔ニ比ベレバ優シダ。
瘋癲老人日記 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
先生の口許にはべったり血がついて居りましたが、そればかりでなく先生の歯齦はぐきと歯とは真紅まっかに染まって、ちょうど絵にかかれた鬼の口をまのあたりに見るようで御座いました。
手術 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
赤坊は堅くなりかかった歯齦はぐきでいやというほどそれをんだ。そして泣き募った。
カインの末裔 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
ジャヴェルは笑うことがごくまれであったが、その笑いは恐ろしく、薄いくちびるが開いて、ただに歯のみではなく歯齦はぐきまでも現わし、野獣の鼻面にあるような平たい荒々しいしわが鼻のまわりにできた。
あの家は桃色の歯齦はぐきをしてゐる。
軽井沢で (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
その深い皺、褪せた歯齦はぐきを見ると、それに命を取る病気の兆候を見出したような気がして、年老いて情慾の衰えないことが、いかに醜悪なものであるか——如実に示されていた。
潜航艇「鷹の城」 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
浦上は手足ののんびりした、華車造きゃしゃづくりの青年であったが、口元に締りがなく、笑うと上の歯齦はぐきき出しになり、きたならしい感じで、何となく虫が好かず、親切すぎるのもうるさかった。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
それは上唇の肉と上顎部じょうがくぶ歯齦はぐきが裂けて、その苦痛のために唇が十分に動かせないのと、息が傷口から筒抜けに洩れてしまう結果なのだが、その時の彼は顔のまん中から血がたら/\と流れるので
いまは、歯齦はぐきの出血が、日増しにひどくなってゆく。そうだ! 病の因となった青果類はむろんのこと、この悪魔の尿溜ムラムブウェジには一点の緑すらもないのだ。昆虫霧で、日中さえ薄暮のように暗い。
人外魔境:01 有尾人 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
さて法水君、僕の心像鏡的証明法は、遺憾ながら知覚喪失オーンマハトだ。だいたい廻転椅子がどうだろうがこうだろうが、結局あの蒼白く透き通った歯齦はぐきを見ただけで、僕は辞表をけてもいいと思う。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
犬歯を歯齦はぐきまでかぎのようにむきだして、瞳は充血で金色にひかっている。
人外魔境:01 有尾人 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)