榊原さかきばら)” の例文
「妹に、気がねなんか、いりやしない。お里だって……ほんとのこというと、榊原さかきばら健吉の、おめかけみたいなものになってるんですからね」
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
榊原さかきばら運転士は、の達者な者四人をつれて、ごくろうだが、伝馬船てんませんで、岩まで引き返して、三角いかだに荷物をつみ、ここへひいてきてくれ。
無人島に生きる十六人 (新字新仮名) / 須川邦彦(著)
小出信濃守こいでしなののかみの邸の前を通って、榊原さかきばら式部少輔の邸の横を抜けて、一ツ橋御門を中へ入れば一ツ橋中納言家のお邸となる。
生死卍巴 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「名をあげてもよろしい、五人や七人はすぐあげることができますよ、いま云った中国筋の、薫という妓にかよいつめている大名、それから榊原さかきばら
榊原さかきばらの軍勢が芸州口から広島へ退いたとか、昨日は長州方の奇兵隊が石州せきしゅう口の浜田にあらわれたとか、そういうことを伝え聞く空気の中にあって
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
榊原さかきばら様の御家来に水司又市みずしまたいちと申す者がございまして、越後高田えちごたかたのお国では鬼組おにぐみと申しまして、お役は下等でありますが手者てしゃの多いお組でございます。
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
うなだれかがんだ露月のすがたが、恰度ちょうど池の西北の、榊原さかきばら屋敷に沿うた曲浦きょくほのあたりにさしかかった頃でした。
艶容万年若衆 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
別して湯島切通ゆしまきりどおし、榊原さかきばらの下屋敷、今の岩崎の別荘の高台から、上野の山の横ッ腹へ、中堂を目標に打ち込んだ大砲が彰義隊の致命傷となったのだといいます。
上杉征伐に功のあった三河の鈴木伝助のすえで、榊原さかきばらに仕えて代々物頭ものがしら列を勤めてきたが、伝内は神田お玉ヶ池の秋月刑部ぎょうぶ正直の高弟で義世流の達人であり、無辺無極流のやりもよく使うので
鈴木主水 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
見付相願はんとて惣寄合そうよりあひ商議だんがふせしに傳吉の親迄代々彼は當村の名主の家なり然らば此度は傳吉へ名主やく仰せ付られ下さるやうに願はんと評議ひやうぎ一決なし其段願ひ出しに付榊原さかきばら家の役人中早速傳吉を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
崇拝者にいたっては榊原さかきばら医学博士をはじめ数えてはいられぬほどある。
豊竹呂昇 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
「お父さん、お父さん、榊原さかきばら——俊明としあき先生です。」
与一郎よいちろう(細川)は、もしそちが、敵の二重堀の陣形を攻めるとせば、榊原さかきばらの陣へ当ってゆくか、松平まつだいらの塁をくずしにかかるか」
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
老臣たちは守って戦うべしとい。酒井、榊原さかきばら、本多、小笠原おがさわらの若く気英の人びとは出陣要撃を主張した。
死処 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
運転士、榊原さかきばら作太郎。この人は、十何年も遠洋漁業に力をつくしていて、船長をしたり、運転士をしたり、またある時は、水夫長もしたことのある、めずらしい経験家である。
無人島に生きる十六人 (新字新仮名) / 須川邦彦(著)
天下てんか御評定ごひやうぢやう日にて諸國より訴訟人夥多おびたゞしく出張なし居けるに程なく榊原さかきばら遠江守領分越後國頸城郡寶田村百姓傳吉一けん這入はひりませいと呼び込むこゑもろともに訴訟人憑司おはや相手方あひてかた傳吉其の外引合共白洲へ出るに傳吉は
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
榊原さかきばら家、有馬家、池田家その他所縁の大名の蔵からは、なおやがて未見の物が、いくつかは発見されて来る日があるのではないかと思われる。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「つなは榊原さかきばら主膳という、宇田川町の旗本の家に身を寄せている、榊原は休之助の友人なんだ、そこで大久保邸の休之助と連絡をとることになっていたのだが」
風流太平記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
榊原さかきばら運転士が、一同を代表して
無人島に生きる十六人 (新字新仮名) / 須川邦彦(著)
軍鷄駕籠とうまるかごに入れて役人大勢守護しゆごなし并傳吉つましうと與惣次及び榊原殿郡奉行伊藤はん右衞門公用方下吟味川崎金右衞門小野寺源兵衞訴訟人憑司夫婦皆々江戸表へ出立致させ榊原さかきばらより役人百人ばかり附添つきそひ享保きやうほ十午年十月廿二日江戸着に相成其段そのだん屆出とゞけいでしかば傳吉は直取ぢきとり大岡請取られ入牢申付られ郡奉行其外は江戸表屋敷又は
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
かれの予想ははずれなかった。秀次隊を一挙にみじんとした徳川勢の水野みずの大須賀おおすが丹羽にわ榊原さかきばらの諸隊は、騎虎きこの勢いをもって殺到した。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
酒井忠次や石川数正、以下井伊、榊原さかきばら、本多などの人々も順々それにならった。そしてまたしばらく対坐のまま黙然と無量の感を抱きあっていた。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
家康の嫡子信康のぶやすをはじめ、松平家忠いえただ家次いえつぐ、本多、酒井、大久保、牧野、石川、榊原さかきばらなどの諸将——奥平貞能さだよしなども、もとより行軍のうちにあった。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
榊原さかきばら小平太、大須賀五郎左衛門、奥平九八郎などが、信雄の家来たちと共に、大廊下を駈け、やぐらへ登って行った。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
石川数正、榊原さかきばら康政、平岩親吉ちかよし、本多忠勝ただかつ——などの部隊も、喊声かんせいをあげて、甲軍の左翼へ襲いかかった。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その間、独り置かれていた信雄は、家康の顔のにごりを、チラと見た。また、家康と共に、座へもどった本多、酒井、榊原さかきばらなどの侍臣も皆、にがりきった顔つきである。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さらに、家康は、井伊直政、榊原さかきばら康政、本多忠勝の三人を、兵制改革の奉行とした。そして
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
榊原さかきばら平七は、それが数度にわたる重大な軍議ということは、かねて洩れ聞いているので
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
後になる敵ほど手強てごわいのが残っていた。榊原さかきばら平右衛門、大須賀次郎右衛門、山吉新八など、上杉家からさし廻されてある付人十一名の剣客のうち、大半は善戦して斬り死にした。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、譜代ふだいの石川、本多、榊原さかきばらなどを顧みていったが、果たして、その通りだった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
北国路ほっこくじには、上部八風斎かんべはっぷうさいのつかえる柴田権六勝家しばたごんろくかついえが、厳重にさくをかまえていて、めッたな旅人は通しますまい、また、東海道はなおのこと、徳川家康とくがわいえやすの城下あり、井伊いい本多ほんだ榊原さかきばらなどの
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また、多年自分の側においた門下の四高足、出淵、庄田、村田なども、それぞれ越前家だの、榊原さかきばら家だの、知己ちきの大名へ推挙して、一家を立てさせ、この世のいとまの心支度をしているかに見えた。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
家康の三河勢も、榊原さかきばら康政、大久保忠世ただよ、本多平八郎、石川数正かずまさなど
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
榊原さかきばら様のお奥へ、お針子に通っておりますので」
柳生月影抄 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ふしぎだ。……いくら相手が、榊原さかきばらでも」
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
榊原さかきばら康政は、暗い水際から
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
榊原さかきばら健吉様」
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)