多時しばらく)” の例文
私もこんな事を口に出しますまでには、もしや貴方が御承知の無い時には、とそれ等を考へまして、もう多時しばらく胸に畳んでをつたのでございます。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
せて書斎に引籠ひきこもり机に身をば投懸なげかけてほつとく息太く長く、多時しばらく観念のまなこを閉ぢしが、「さても見まじきものを見たり」と声をいだしてつぶやきける。
妖怪年代記 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
わたしかなしくなつて、多時しばらくふか沈黙ちんもくしづんだ。
背負揚 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
で、今夜もまた、早瀬の病室の前で、道子に別れた二人の白衣びゃくえが、多時しばらく宙にかかったようになって、欄干の処に居た。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
多時しばらくかどに居て動かざるは、その妄執もうしゆう念力ねんりきめて夫婦をのろふにあらずや、とほとほと信ぜらるるまでにお峯が夕暮の心地はたとへん方無く悩されぬ。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
山の神や、小児連中こどもれんじゅうあごが干上るもんですから、多時しばらく扶持ふちを頂いて来いって、こんなに申しますので、お言語ことばわたりに舟、願ったりかなったりでございます。
貧民倶楽部 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
多時しばらく静なりしのちはるかに拍子木の音は聞えぬ。その響の消ゆる頃たちまち一点の燈火ともしびは見えめしが、揺々ゆらゆらと町の尽頭はづれ横截よこぎりてせぬ。再び寒き風はさびしき星月夜をほしいままに吹くのみなりけり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
いや、ばち覿面てきめんだ。境内へ多時しばらくかかっていた、見世物師と密通くッついて、有金をさらってげたんです。しかも貴女、女房がはらんでいたと云うじゃありませんか。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
多時しばらくにはへもられなからうとおもはれましたので、そつつゆなかを、はなさはつて歩行あるいてたんでございます。
浅茅生 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
寝てから多時しばらくつ。これは昼間からの気疲れに、自分のうなされる声が、自然と耳に入るのじゃないか。
星女郎 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
却説さて、葛木法師の旅僧は遠くもかず、どこで電車を下りて迂廻まわりみちしたか、多時しばらくすると西河岸へ、船から上ったごとく飄然ひょうぜんとしてあらわれて、延命地蔵尊の御堂みどうに詣でて礼拝らいはいして
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
多時しばらく思入った風であったが、ばさばさと引裂ひっさいて、くるりと丸めてハタと向う見ずにほうり出すと、もう一ツの柱のもとに、その蝙蝠傘こうもりに掛けてある、主税の中折帽なかおれへ留まったので
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
執事は大助を彼方あなた一室ひとまへ案内し、はたと閉ざして立去りける跡に、大助は多時しばらく無事にくるしみつ、どうどうとしこを踏みて四壁を動かし、獅子のごとき力声をいだして、満腔の鋭気をもらしながら
金時計 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
前刻さっきから多時しばらくそうやっていたと見えて、ただしくしく泣く。おくれ毛が揺れるばかり。慰めていそうな貴婦人も、差俯向さしうつむいて、無言の処で、仔細しさいは知れず……花室はなむろが夜風に冷えて、咲凋さきしおれたという風情。
星女郎 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)