かえっ)” の例文
細野入からはかえって五竜、唐松、白馬の方へ入込むのが順であるが、当時細野入から黒部山へ入込む者があるという風聞があったので
去る者日々にうとしとは一わたりの道理で、私のような浮世の落伍者はかえって年と共に死んだ親を慕う心が深く、厚く、こまやかになるようだ。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
投げだした左の足の長い親指のったまで、しどけない御姿は花やかな洋燈ランプの夜の光に映りまして、昼よりはかえって御美しく思われました。
旧主人 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
別にこの縁談については中に立ったというわけでもなし、旁々かたがた下手に間に入って口をきくと、かえっ先方せんぽうからうらまれなどした事もあったので
二面の箏 (新字新仮名) / 鈴木鼓村(著)
屋敷町の入口のことで、地面は洗われてかえってきれいになっていたが、塀に添った溝にはまだ濁り水が川のように流れていた。
小曲 (新字新仮名) / 橋本五郎(著)
余の熱心の足らざるが故にあらずしてかえって余の熱心(爾のめぐみによりて得ば)の足るがゆえにこの苦痛ありしなり、ああ余は幸福なるものならずや。
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
のみならず彼女を避けているうちにかえって彼女に男らしい好奇心を持ち出したのは愉快だった。彼は前には甲野がいる時でも、台所の側の風呂へはいる為に裸になることをかまわなかった。
玄鶴山房 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
この雪は先年劒へ登った時よりもかえって少ないように思われたが、地獄谷から室堂方面に眼を放つと今年の雪の多いことが首肯うなずかれる。
黒部川奥の山旅 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
教会外の人にしてかえって余の真意を諒察するものあるを見て、余は天父の慈悲はなお多量に未信徒社会に存するをさとれり
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
かえって馬鹿にされるのが嬉しいように、人が来ると、其話をして、憎い奴でございますと言って、ほくほくしている。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
さあ、源はあせらずにおられません。こうなると気をいらってやたらに鞭を加えたくなる。馬は怒の為に狂うばかりになって、出足がかえって固くなりました。にわかに「樺、樺」と呼ぶ声が起る。
藁草履 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
私もかねて病気と聞き見舞みまいきたいと思ったが、何をいうにも前述の如き仕儀しぎなので、かえって娘のめに見舞みまいにもけず蔭ながら心案じていたのである、さいわいに心やさしい婢女げじょの看護に
二面の箏 (新字新仮名) / 鈴木鼓村(著)
『信府統記』は松本藩の編纂したものであるだけに、個人の作よりは年代が古くてかえって正確である。また此図には岩菅山が記入してない。
上州の古図と山名 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
如何どういうものだか、内でお祖母ばあさんがなめるようにして可愛がって呉れるが、一向嬉しくない。かえっ蒼蠅うるさくなって、出るなとめる袖の下を潜って外へ駈出す。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
わが故郷ならざりしがゆえにその美と厳とはかえって孤独悲哀の情を喚起せしごとく、この世は今は異郷と変じ、余はなお今世こんせいの人なれどもすでにこの世に属せざるものとなれり。
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
「あれ、そんな心配をしておくれだと……それじゃかえって御気毒ですねえ」
旧主人 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
此等これらの山脈は北アルプスと呼ばれている飛騨山脈よりは、概して高さに於て優っているにかかわらず、登山者の数はかえって甚だ少ないのである。
大井川奥山の話 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
其間の沢は細い上に深くかつ瀑が多いから、上るにしても下るにしても、夏季の雪渓の頃はかえって困難であり危険の場合がある。
利根川水源地の山々 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
結局小高大高をえて小楢俣に下った方が、山へも登れるし行程もかえっ捗取はかどったに相違なかったと後悔した程である。
利根川水源地の山々 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
また子酉川の東沢西沢なども、当然奥仙丈の中より発源すと特記されなければならない筈であるのに、かえって西沢を冠して西沢御林山の名がある位である。
秩父の奥山 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
それでもさいわいに其人が適材であるならば立派な書物が出来上るであろうが、もない時には其編纂がかえって累をなして、取捨に迷うような記事にしばしば遭遇する。
利根川水源地の山々 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
しかるに詳細であると信じていた地図も、平地はかく一歩山に入ると一向いっこう役に立たぬのみか、迂闊うかつに之を信用するとかえってひどい目に遭うので非常に驚いた。
思い出す儘に (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
御来迎ごらいごうは日の出と縁がない訳でもないが、日の出そのものを指して言うのではない。日の出よりもかえって日の入る時に起る場合の方が多いかも知れない位だ。
山の魅力 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
今度は鉛のように重かった足が鉄塊のように重くなった。素知らぬ顔をして横目もくれず登って行く南日君を駆抜いてやろうと思うが、かえっおくれる許りだ。
黒部川奥の山旅 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
それでいてかえって此山あるが為に、其奥に隠された秘密の如何に優しい美しいものであるかを想像せしむるに余りある程の親しみ易さを見せているようである。
秩父の渓谷美 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
然し困難と危険とにかえって興味を感ずる登山者に取りては、道の有無などはどうでもよいのだ。それで大正七、八年の頃から此峡谷に入り込む登山者が続出した。
黒部峡谷 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
実をいうと真に仙境と称すき所は、かえって日本アルプス以外の地に多いのでありますが、夫等の記事は他日に譲って、ここには私が南北日本アルプスを物色して
日本アルプスの五仙境 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
以仁王がお通りになられたという上州方面には、更に其言い伝えもなく、かえって如何にも荒くれた伝説が残されているのも一奇というきである。『利根郡村誌』には
尾瀬の昔と今 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
両岸の岩壁はかえって高くなる程であるが、何等の危険も困難もなく、或は滝を賞し或は淵を眺め、行く行く壮麗な景色に眼をたのしませながら、河の中を右に左に徒渉して
渓三題 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
かえって八ヶ岳のような大火山を附近に崛起くっきせしめたのであろうと、贔負目ひいきめの大太鼓を叩いて置く。
秩父の奥山 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
登ることは勿論横に搦むことも絶対に不可能であると事がきまれば、かえって恐ろしくも何ともない。
黒部川奥の山旅 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
この登りは相当に手剛いが、殿下にはかえっ斯様かような場所の方がお気に召すように拝された。
それよりかえって下流のだいらノ小屋附近から下の方がよく望まれて、河原に堆積せる花崗岩のごろた石も雪の積もれるかと怪まれ、其中を川が黒い一条の帯を曳いたように流れているのが見える。
黒部峡谷 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
両側に木がないので路はかえって探し憎くなった。右に左に幾度か紛れ込みながら一、二町も下ったろう、すると新しい火の光がすぐ脚の下に見えだした。三人は声を揃えて「オーイ」と怒鳴る。
奥秩父の山旅日記 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
殿下はこの有様をお咎めもなく、かえって「皆の顔が見えなくては淋しい」と仰せられて、隔ての襖を取り外しになり、御座を広間の近くにお移しになって、微笑ましげに一同をお見渡しになった。
或は刊行本の稿本となった者の方がかえって正本であったかも知れないとさえ想える。これは原本を見ない以上は断言出来ないが、果して想像した通りならば、峠の名の起りも推知するに難くない。
秩父の奥山 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)