“けいろ”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
径路42.9%
毛色40.5%
逕路4.8%
徑路2.4%
景盧2.4%
気色2.4%
渓路2.4%
荊路2.4%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
「径路(けいろ)窄(せま)きところは、一歩を留めて、人に行かしめ、滋味(じみ)濃(こまや)かなるものは、三分を減じて人に譲(ゆず)りて嗜(たしな)ましむ、これは是(こ)れ、世を渉(わた)る一の極安楽法(ごくあんらくほう)なり」
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
「私(わたし)の坊(ばう)やはね、蹄(ひづめ)が二つに割(わ)れてゐて、毛色(けいろ)はぶちで尻(し)つぽもちやんとついてゐて、私(わたし)を呼(よ)ぶときは、もう/\つて可愛(かあい)い聲(こゑ)で呼(よ)びますよ。」
お母さん達 (旧字旧仮名) / 新美南吉(著)
千々岩は分明(ぶんみょう)に叔母が心の逕路(けいろ)をたどりて、これよりおりおり足を運びては、たださりげなく微雨軽風の両三点を放って、その顧慮をゆるめ、その萌芽(ほうが)をつちかいつつ
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
宗助(そうすけ)は此(この)派出好(はでずき)な弟(おとうと)が、其後(そのご)何(ど)んな徑路(けいろ)を取(と)つて、何(ど)う發展(はつてん)したかを、氣味(きみ)の惡(わる)い運命(うんめい)の意思(いし)を窺(うかゞ)ふ一端(いつたん)として、主人(しゆじん)に聞(き)いて見(み)た。主人(しゆじん)は卒然(そつぜん)
門 (旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
白隱和尚(はくいんをしやう)の弟子(でし)の東嶺和尚(とうれいをしやう)とかいふ人(ひと)の編輯(へんしふ)したもので、重(おも)に禪(ぜん)を修行(しゆぎやう)するものが、淺(あさ)い所(ところ)から深(ふか)い所(ところ)へ進(すゝ)んで行(ゆ)く徑路(けいろ)やら、それに伴(とも)なふ心境(しんきやう)の變化(へんくわ)やらを秩序立(ちつじよだ)てゝ書(か)いたものらしかつた。
門 (旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
しかしここでは『夷堅志』の作者たる洪邁一人について少々申し上げますと、彼は字(あざな)を景盧(けいろ)といい、もちろん幼にして学を好み、紹興(しょうこう)の中年に詞科に挙げられて、左司員外郎(さしいんがいろう)に累進(るいしん)しました。
少し気色(けいろ)の変(かわっ)た男ではあるが、何分にも出身(で)が幕府の御家人(ごけにん)だから殿様好きだ、今こそ牢(ろう)に這入(はいっ)て居るけれども、是(こ)れが助かって出るようになれば、後日或(あるい)は役人になるかも知れぬ
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
気がついてみれば、自分はせまい一渓路(けいろ)に立っており、渓流をへだてた彼方、硯(すずり)の如き絶壁の中層には、紅羅(こうら)の金襴傘(きんらんがさ)を中心に、一座百人以上な人影が立ちならんでいて、上には
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
臣はかりそめにも蜀帝国の御使(おんつか)いであり、また蜀中より選ばれたる第一の使臣たり儒者たるもの。迎うるに、剣槍の荊路(けいろ)を以てし、饗(きょう)するに、大釜の煮え油を以てするとは、何事であるか。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)