音羽おとわ)” の例文
音羽おとわの山林の藪の中に、佐分利ヤス、マサと申す母子が、ノド笛をかみとられ、腹をさかれ肝臓を奪われてことぎれておりました。
「京へは近うございますが、大阪へは廻り道で、山から山を音羽おとわ笠取かさとりの里へとって、宇治の富乃荘とみのしょうへも出られると申します」
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小日向こびなたから音羽おとわへ降りる鼠坂ねずみざかと云う坂がある。鼠でなくては上がり降りが出来ないと云う意味で附けた名だそうだ。
鼠坂 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
この通を行尽すと音羽おとわへ曲ろうとする角に大塚火薬庫のある高い崖が聳え、そのいただきにちらばらと喬木きょうぼくが立っている。
とか『音羽おとわ屋(その頃は三代目菊五郎だったが)の三浦之介とはお月様と泥鼈すっぽんだ。第一顔の作り方一つ知らねえ』
ある恋の話 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
世をびて、風雅でもなく洒落でもなく、詮方せんかたなしの裏長屋、世も宇喜川のお春が住むは音羽おとわの里の片ほとり。
艶容万年若衆 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
主婦は江戸で生まれてほとんど東京を知らず、ただ音羽おとわの親類とお寺へ年に一度行くくらいのものであった。
銀座アルプス (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
本郷の森川宿しゅくや、小石川の音羽おとわや、そのほかにも大塚や巣鴨や雑司ヶ谷や、寂しい場所のあき屋敷をえらんで商人をつれ込み、相手を玄関口に待たせて置いて
半七捕物帳:41 一つ目小僧 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
昔はこのきょうにして此ありと評判は八坂やさかの塔より高くその名は音羽おとわの滝より響きし室香むろかえる芸子げいこありしが、さる程に地主権現じしゅごんげんの花の色盛者しょうじゃ必衰のことわりをのがれず
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
いま通り過ぎて来た音羽おとわの護国寺からひつじさるの方角に当たる清土きよづちという場処で、そこへ行くと、今でも草むらの中に小さなほこらがあって、はじめはここにまつってあった。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
音羽おとわの九丁目から山吹町やまぶきちょう街路とおりを歩いて来ると、夕暮くれを急ぐ多勢の人の足音、車の響きがかっとなった頭を、その上にものぼせ上らすように轟々どろどろとどよみをあげている。
うつり香 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
男の名は角三かくぞうといい、年は二十五。住居は小石川音羽おとわの五丁目、藪下やぶしたと呼ばれるところにあった。
今の音羽おとわ護国寺ごこくじの境内にあったもので、一万八千坪のうちに有名な薬師堂やくしどう神農堂しんのうどうをはじめ、将軍臨場の時のために、高田御殿という壮麗なる御殿まで出来ていました。
小石川こいしかわ音羽おとわに近く、鼠坂ねずみざかという有名な坂があった。その坂は、音羽の方から、小日向台町こひなただいまちの方へ向って、登り坂となっているのであるが、道幅が二メートルほどの至って狭い坂だった。
西湖の屍人 (新字新仮名) / 海野十三(著)
山口屋の音羽おとわでございます、是は稻垣小三郎の許嫁で、石川藤左衞門の娘おみゑという天下に勝れた美人でございますが、小三郎へ操を立て、のお客へは枕をかわせ肌を許しませんというが
『そんな話なんだがね、音羽おとわの護国寺前から江戸川を渡って真直に矢来の交番下まで来る電車が更に榎町から弁天町を抜けて、ここからずっと四谷の塩町とかへ連絡れんらくする予定になっているそうだ。』
早稲田神楽坂 (新字新仮名) / 加能作次郎(著)
近き頃音羽おとわ青柳あおやぎの横町を
式部小路 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「親分の身やお蝶のことで、何か耳に入れたらおれの宿まで知らして来てくんねえか。宿は例の音羽おとわ筑波屋つくばやだ。頼むぜ」
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小石川区内では○植物園門前の小石川○柳町やなぎちょうさす谷町やちょう辺の溝○竹島町たけしまちょうの人参川○音羽おとわ久世山くぜやま崖下の細流○音羽町西側雑司ぞうしより関口台町せきぐちだいまち下を流れし弦巻川つるまきがわ
葛飾土産 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その一人は知行所の村から奉公に出て來るのが例で、ほかの一人は江戸の請宿うけやどから隨意に雇つてゐることが判つた。請宿は音羽おとわの堺屋といふのが代々の出入りであつた。
半七捕物帳:01 お文の魂 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
「私の眼の下の此の皺は、あなたが拵えたのだ。私は此の皺だけは恨みがある。……これは、あの音羽おとわにいた時分に、あんまり貧乏の苦労をさせられたお蔭で出来たんだ。」
別れたる妻に送る手紙 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
もう一度引返して、寅五郎をうんと怨んでいるという音羽おとわの荒物屋利八のその晩の様子と、それから、犬の死んだ前の日、変な野郎が来なかったか、それを訊いて来るんだ。いいか
枳園は音羽おとわ洞雲寺どううんじ先塋せんえいに葬られたが、この寺は大正二年八月に巣鴨村すがもむら池袋いけぶくろ丸山まるやま千六百五番地にうつされた。池袋停車場の西十町ばかりで、府立師範学校の西北、祥雲寺しょううんじの隣である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
あらゆる困難をしのいで、見つけてくれた、繁昌はんじょう音羽おとわ護国寺門前通りのにぎわいから、あまり離れていぬ癖に、ここは、又、常緑の森と、枯茅かれかやの草場にかこまれた、目白台のかたほとりの隠れ家に
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
その一人は知行所の村から奉公に出て来るのが例で、ほかの一人は江戸の請宿うけやどから随意に雇っていることが判った。請宿は音羽おとわの堺屋というのが代々の出入りであった。
半七捕物帳:01 お文の魂 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
東山は白い靄に包まれて清水きよみずの塔が音羽おとわ山の中腹に夢のようにぼんやりと浮んで見える。
黒髪 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
震災のころまでは芝居や寄席よせの楽屋に行くと一人や二人、こういう江戸下町の年寄に逢うことができた——たとえば音羽おとわ屋の男衆おとこしゅ留爺とめじいやだの、高嶋屋の使っていた市蔵などいう年寄達であるが
濹東綺譚 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
きょうが音羽おとわの護国寺では、蟹清水かにしみずの開帳日。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
単に小石川の音羽おとわに住むお勝という者だと話しただけであるが、それがどうも疑わしいので、勝次郎は念のために音羽へ探しに行ってみたが、音羽もなかなか広いので
半七捕物帳:43 柳原堤の女 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
駒井町をゆき抜ければ、音羽おとわの大通りへ出る。その七丁目と八丁目の裏手には江戸城の御賄おまかない組の組屋敷がある。かれらは身分こそ低いが、みな相当に内福であったらしい。
半七捕物帳:69 白蝶怪 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)