陶酔とうすい)” の例文
旧字:陶醉
今の辛酸しんさんも、かくまで呪われた恋の不幸さも、忘れていた。——現実に恋人と会っているような陶酔とうすいのなかに尺八を吹きふけっていた。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そんなふうに自己陶酔とうすいおちいるようでは、今日は最悪の日だったね。アルコールづけになって生きている動物はないよ。はっはっはっはっ。」
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
その瓶の中に七分通り満たされている透明な、冷たい麻酔薬の動揺を両手に感じた時の、私の陶酔とうすい気分といったら無かった。
一足お先に (新字新仮名) / 夢野久作(著)
私は生活の虚無感きょむかん陶酔とうすいしながら、連日酒をあおり、流連荒亡こうぼうの夢を追って時の過ぎるのを忘れるような暮し方をしていた。
親馬鹿入堂記 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
皆ちょっとの間季和の方へ注意を向けたが、すぐ忘れてしまったように隣同士で話をはじめる者もあれば、自個じぶん陶酔とうすいの世界に帰って往く者もあった。
蕎麦餅 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
「僕が?」と、わたしは悲しげに繰返くりかえした。そしてわたしの胸は、うちつことのできない名状すべからざる陶酔とうすいにいざなわれて、あやしくふるえ始めた。
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
おぼろ夜にはまだ早いけれど、銀白のしゃが下界を押しつつんで、人はいっそうの陶酔とうすいに新しくさざめき合う……。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
時にはウクレルを奏しては土人の尻振りダンスを想って原始なヂャバ土人の生活に楽しみ、時にはオクライナを吹いてはスペインの南国情緒に陶酔とうすいもする
亡び行く江戸趣味 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
帆村は陶酔とうすい的口調で私に聴かせているのではなく、彼自身の心に聞かせているのであることが明らかだった。
西湖の屍人 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「タッジオは病身なのだ。たぶん長生きはしないだろう。」とかれはまたしても、陶酔とうすい思慕しぼが時々奇妙に解放された結果おちいる、あの客観的な気持で考えた。
したがって二重につかえるという観念もないのであります。ただ、目下もっかは、キリスト教に対しては、その教理をやや研究的に、仏教にはほとん陶酔とうすい的状態に見うけられます。
が、自分のそうした自惚うぬぼれは、そうした陶酔とうすい滅茶苦茶めちゃくちゃに、つぶされてしまったのだ。皮肉に残酷に。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
彼の女の魔術にかけられて椅子に眠って居る時、己のたましいはたしかに微妙な幸福な天国へつれて行かれた。其れは酒よりも音楽よりも、ずっと強烈に己の心を陶酔とうすいさせた。
小僧の夢 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
ふるさとでは、しいの若葉が美しい頃なのだ。私は首をふりふりこの並木の青葉を眺めた。しかし、そういう陶酔とうすいも瞬時に破れた。私はふたたび驚愕きょうがくの眼を見はったのである。
猿ヶ島 (新字新仮名) / 太宰治(著)
事実パンゼラとプロティエの「髪の場」や「泉水の場」などは、夢心地の陶酔とうすいをさえさそったものである。今の人には想像も出来ない、それは感激の深い思い出であったと思う。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
知識犬の技巧にはげみ演技の腕をあげて自己陶酔とうすいを深めてゆく弟と、その指導者の一人ではあるが本当の黒幕ほどに利巧でない父の姿を悲しく眺めていたレシイナとその良人の心を想像し
安吾史譚:01 天草四郎 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
若しその理想を実現することが出来たなら、そこには、一婦人の魅力などとは、比べものにもならぬ程、強くはげしい陶酔とうすいの世界が、お前を待受けているのではないか。まあ考えて見るがいい。
パノラマ島綺譚 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
間もなくもよおして頂いた、ハワイの官民歓迎会の、ハワイアン・ギタアと、フラ・ダンス、いずれも土人の亡国歌、余韻嫋々よいんじょうじょうたる悲しさがありましたが、ぼくは、その悲しさに甘く陶酔とうすいしている自分を
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
二人は、笛と胡弓を合奏あわせて、ひとしきり他愛もなく陶酔とうすいしていた。婆惜が愉しそうであれば宋江の心も愉しむ。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それは精神の中に生きているかんぺきであり、それの人間的な模写と似姿が、ここに軽くやさしく、礼拝のために打ち建てられているのである。それは陶酔とうすいであった。
はたで見ていると、何ともえず幸福そうに見える。それは味覚の世界に陶酔とうすいしている姿に見える。
異国食餌抄 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
「芸術的」陶酔とうすいをやめなければならぬ。始めから終りまで「優秀場面」の連続で、そうして全体が、ぐんなりしている。「重慶から来た男」のほうは、これとは、まるで反対であった。
芸術ぎらい (新字新仮名) / 太宰治(著)
最初金六に逢ってみましたが、紋次郎を縛った手柄に陶酔とうすいして、こんどは平次の言うことなどを耳にも入れず、少しは痛め付けても、今日中に口書きを取ろうとあせっている様子です。
千代子は進むに従って、最初の盲目的な戦慄が、徐々に驚異と変じ、更らに慣れて来るに従って、次には夢の様な、幻の様な、海底の細道の魅力に、不可思議なる陶酔とうすいを感じ始めていました。
パノラマ島綺譚 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
手紙を読んだ刹那せつな陶酔とうすいから、めるに従って、夫人に対するいきどおろしい心持が、また信一郎の心によみがえって来た。こうした、人の心に喰い込んで行くような誘惑で、青木淳を深淵しんえんへ誘ったのだ。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
ッ、川波大尉」おどろいたように軍医はそれをさえぎった。「まだ栄螺は、こっちにもドッサリありますから、こっちのをおとり下さい。なにも、星宮君が陶酔とうすいしている分をお取りなさらなくても……」
恐しき通夜 (新字新仮名) / 海野十三(著)
朝倉先生夫妻が、その真剣しんけんな反省と創意工夫とによって、一回ごとに向上のあとを示したことは、いうまでもない。二人には、一般いっぱんの塾生活指導者にありがちな自己陶酔とうすいということが微塵もなかった。
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
彼はまた、この歓びを、ひとりで陶酔とうすいしている気はない。もうひとり自分以上に歓んでもらいたい人がある。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
甘い気分になってそれに陶酔とうすいするのであった。
次郎物語:01 第一部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
たれも感心し、たれも陶酔とうすいした。凡俗のよろこぶものは、大将やさむらい階級でも楽しいものにちがいなかった。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と共に、トム公は初めて阿片パイプを口に押しこまれた時のような陶酔とうすい戦慄せんりつかれて動悸どうきをうった。
かんかん虫は唄う (新字新仮名) / 吉川英治(著)
典膳は正しく、自己の剣に、陶酔とうすいしたのだと云ってよい。涙がにじみ出てならなかった。今日以後、一箇の剣人たることを、天地からゆるされたかのような心地である。
剣の四君子:05 小野忠明 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ええ、誰が、お前なんぞに! ……」腕に腕をからんでもぎ離そうとしたけれど、孫兵衛の膝はビクともせずに折り敷いて、なおかつ、女の足掻あがもだえるさまを心の奥で陶酔とうすいしている。
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いつか旅で笛を吹く心境のふしぎな陶酔とうすいの味を知って、今では、安成三五兵衛やすなりさんごべえの腰には、大小と印籠のほかに、袋にはいった一笛がたばさまれて、かれの旅に離れぬものとなっていた。
八寒道中 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だが三人のうなずいたのは、まさかそんな陶酔とうすい気分をいったのではあるまい。
鳴門秘帖:04 船路の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、チャリンという鍔鳴つばなりの音が、かれの瞬間な陶酔とうすいをさました。
鳴門秘帖:04 船路の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)