貝層かひそう)” の例文
貝層かひそうきはめてあさいが、其下そのした燒土やけつちそうつて、其中そのなかすくなからず破片はへんがある。幻翁げんおうげんると、香爐形こうろがたさう同一どういつだといふ。
『なア水谷君みづたにくん素人しらうとはこれだからこまる。このどうもなになくツても、貝層かひそう具合ぐあひなんていね。うしてたゞつてても心持こゝろもちだねえ』とぼくふ。
玉川向たまかはむかふ、すなは神奈川縣下かながはけんかぞくする方面はうめんには、あま有望いうぼう貝塚かひづかい。いや貝塚かひづかとしては面積めんせきひろく、貝層かひそうふかいのがいでもいが、土器どき出方でかたはなはわるい。
うした地主ぢぬしにばかり出會であはしてれば文句もんくいなどたはむれつゝ、其方そのはう發掘はつくつかゝつたが、此所こゝだ三千年せんねんらいのつかぬところであつて、貝層かひそう具合ぐあひ大變たいへんい。
たゞ、一箇所かしよ丈餘じやうよ貝層かひそう下部かぶから一二しやくところに、小石こいしごとかこつたなかで、焚火たきびをしたらしい形跡けいせき個所かしよが、半分はんぶんきりくづされて露出ろしゆつしてるのを見出みいだした。
なにたかとのぞいてると、眞白まつしつ貝層かひそうなかから、緑泥片岩りよくでいへんがん石棒せきぼう頭部とうぶしてる。
それが貝層かひそうの四五しやくしたからである。かつ攪亂かくらんせる痕跡こんせき貝層中かひそうちうからである。
此新發見このしんはつけん奇怪きくわいなる貝塚かひづかと、まへ奇怪きくわいなる貝塚かひづかと、山上さんじやう山下さんか直徑ちよくけいとしたら、いくらもはなれてらぬ。三四十けんよりとほくはるまいが、しかし、山上さんじやう山下さんか貝層かひそう連絡れんらくことは、あきらかである。