稚子ちご)” の例文
白骨になると、女は別の坊主の首を持ってくるように命じました。新しい坊主の首はまだうら若い水々しい稚子ちごの美しさが残っていました。
桜の森の満開の下 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
一人で住んでいるのではなく、この世の人間とは想われないほどに、気高い美しいお稚子ちごさんと、一緒に住んでいるという噂なのであった。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
クリクリとして、美しいお稚子ちご人形のようであった新九郎は、その母に連れられて、城下端れへ宮詣りに行ったことがある。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「今はあんた、立派なお寺さんになられましてね、何年か前に住職が死なれて、今はそのお稚子ちごはんの時代で、まだ学校へ行つとられますぢや?」
念仏の家 (新字旧仮名) / 小寺菊子(著)
柔道初段の長田が(彼は学校を自分一人の学校のように平常ふだんからあつかっていた)美少年の深井に、「稚子ちごさん」になれ、と脅迫しているところだった。
地上:地に潜むもの (新字新仮名) / 島田清次郎(著)
車百合、稚子ちご百合、白花蛇イチゴ、コケモモ、ゴゼンタチバナ、ヤマオダマキなどが、陰森たる白ビソ、米ツガ、落葉松などの下蔭にうずくまっている。
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
どうか旱魃かんばつの時にはこの村の田畑に水の枯れぬように、どうか小供の水難を救われるようにと祈祷きとうをして、さてこの池をば稚子ちごふち明神みょうじんと名づけたのである。
稚子ヶ淵 (新字新仮名) / 小川未明(著)
も少し若い人達には福髷が流行り、七、八つから十一、二迄の娘さんはお稚子ちご髷に結つてゐた。
写生帖の思ひ出 (新字旧仮名) / 上村松園(著)
比叡山西塔の南谷に鐘下房少輔しょうげぼうしょうゆうという頭脳のよい僧侶があったが、弟子の稚子ちごに死なれて眼前の無常に驚き、三十六の年遁世して法然の弟子となり、成覚房幸西といったが
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
お前がおれ稚子ちごだつて。お前はおれに連れられて吉原を見物に行つたつて事まで……
少年の死 (旧字旧仮名) / 木下杢太郎(著)
稚子ちごあそぶさいの河原は
第二邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
「なるほど。紫なら乱軍のなかでも、千寿王どののいる所は遠目にもすぐ知れよう。稚子ちご大将にふさわしいお旗だ。よい思いつきと存ずるがの」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
〽柳の下のお稚子ちご様は、朝日に向こうて、お色が黒い——おいでくだされ、おいでくだされ
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
噴泉ふきあげからさらさらと黄金が流るる。真昼のやうに日が照るわ。はれ、見られい、見られい。はねの生えた可愛い稚子ちごが舞ひながらおぢやつたわ。はれ、皆が一斉に祈を上げておぢやるわ。
南蛮寺門前 (新字旧仮名) / 木下杢太郎(著)
稚子ちごなれば
思ひ出:抒情小曲集 (旧字旧仮名) / 北原白秋(著)
ふもとの白川口には、一りょうくるまが待っていた。二人の稚子ちごと牛飼の男が、そばの草叢くさむらに腰をすえて、さびしげに雲を見ている。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
〽柳の下のお稚子ちご様は、朝日に向こうてお色が黒い、お色が黒くば笠を召せ……
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
その吉光御前というお方こそ、自分が主命をうけて、機会さえあれば世に出そうと苦心している鞍馬の稚子ちご遮那王しゃなおう従姉いとこにあたる人なのであった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
寝よげに見える東山の、まろらの姿は薄墨うすずみよりも淡く、霞の奥所にまどろんでおれば、知恩院ちおんいん聖護院しょうごいん勧修寺かんじゅじあたりの、寺々の僧侶たちも稚子ちごたちも、安らかにまどろんでいることであろう。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「その下の乳呑みは、鞍馬へ追いあげられ、稚子ちごとなっていたそうじゃが、いつの間にやら、それも巣立ちして、陸奥みちのくへ逃げ走ってしもうたとか」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「まあ、とうとう、鞍馬を下山おりてしまわれたか。——あの稚子ちごばかりは父御の末路を踏ましとうないと祈っていたが」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ほかにも同じ年頃の稚子ちごはたくさんいるので、その中にじっている牛若が、ややほかの童子とくらべてどこか異色が見えたりなどする折に、法師仲間で
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「おまえはそれでよかろうが、師の快川国師かいせんこくしにとって不利だろう。快川のほかにも、一山にはまだ、たくさんな長老、衆僧、稚子ちご、雲水などいるだろうに」
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
われは菊池入道の子、三郎頼隆と申す者、童名どうみやう菊一とて、有智山うちやま稚子ちごにてさふらひし、人みな知つて候ふ……
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
振り顧ると、稚子ちごを連れたひとりの老僧が、廻廊の横に立っている。与次は、それへ向って、すぐ云った。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
みな、一偈いちげを唱えた。もう焔はらんをこえて、快川のすそを焦がしていた。稚子ちご老幼の阿鼻叫喚あびきょうかんはいうまでもない。いまを叫んだ僧もうめいてのたうちまわっていた。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ぎられたすすきのあとは義貞のしとねと千寿王のすわる座敷になった。——やがて輿からおろされた千寿王はほんとにきれいな稚子ちごだった。かぞえ年五ツであった。でもしつけはある。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鞍馬の一稚子ちごを擁して、ここ毎夜毎夜、僧正ヶ谷の闇へ誘い出しているのでした。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
相国からご不興をうけたかどとは鞍馬の稚子ちごめぐって、近ごろ諸天狗が出没するという怪聞でしょう。うわさはなかなかあるようですな。てまえも仲間の者からく聞き及んでいます。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
またお供の李逵りきといえば、これは道者の稚子ちごと化けて、バサラ髪を二つに分けた総角あげまきい、着物は短褐たんかつという袖無しの短いはかま、それへあみの細ヒモ締めて、足は元来の黒い素はだし
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
導師の僧正は長者ノ輿こしに乗り、力者十二人がかつぎ、大童子、そば侍四人、仕丁しちょうらがつき添い、法橋ほっきょう以下の僧官やら一隊の侍やら、仲間ちゅうげん随聞ずいもん稚子ちごまで目をうばうばかり華麗な列だった。
すぐるとし、元亀二年の秋、叡山えいざん焼打の折には、この光秀も一手の先鋒せんぽうを命ぜられ、山上の根本中堂、山王二十一社、そのほかの霊社仏塔、ことごとくをほのおとなし、刃向う僧兵のみか、稚子ちご上人しょうにん凡下ぼんげ高僧
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
食事の終った頃、住職はあらためて、稚子ちごの佐吉をれて来た。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
稚子ちご。もう一服」
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「来たわ、稚子ちごが」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)