知行ちぎょう)” の例文
とはいえわしも大身ではない。織田信長様の家来、木下藤吉郎という者。知行ちぎょうは低いが、まだこの通り、若いのが取柄とりえといおうか。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
平太郎は知行ちぎょう二百石の側役そばやくで、算筆さんぴつに達した老人であったが、平生へいぜいの行状から推して見ても、うらみを受けるような人物では決してなかった。
或敵打の話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
水野筑後ちくごは二千石の知行ちぎょうということであるが、特にその旅は十万石の格式で、重大な任務を帯びながら遠く西へと通り過ぎた。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
主人が三十七、妻が三十二、長男が十六、長女が十一、二男が七つである。やしき神田かんだ弁慶橋べんけいばしにあった。知行ちぎょうは三百石である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
したがって彼は、義理にしたがって動くのではなく、外聞を本にして動く。たとえば、けちだと言われまいと思って知行ちぎょうを多く与える類である。
堀留の横町からもちの木坂へ差し掛る角屋敷は、西丸御書院番、二千石の知行ちぎょうをとるお旗本、大迫玄蕃の住居である。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
ところが、元禄五年に至って、玉置市正なるものが千石の加増を賜わって、知行ちぎょう二千石となるや、その翌年正月、光友から市正に小姓衣を振舞われた。
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
それ以下の先祖と申すものもそれぞれ御奉公その筋を遂げたればこそ、元祖同様に知行ちぎょうを賜りぬる事なり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
その主従関係が知行ちぎょうによって維がれていることと、その時代の戦闘の方法による戦争の体験とによって、養成せられたものであるから、そういう組織が維持せられ
日本精神について (新字新仮名) / 津田左右吉(著)
天皇はそのために、宮中の玉飾りの細工人さいくにんたちまでおにくみになって、それらの人々が知行ちぎょうにいただいていた土地を、いきなり残らず取りあげておしまいになりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
東西掛け離れたる二ヶ所以上の知行ちぎょうの分立している場合に、この必要が多かったのであります。
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
御成人のあかつきまで江州において三十万石をお知行ちぎょうあそばし、きよすのおしろには北畠ちゅうじょうどの、岐阜には三七のぶたか公がおすまいあそばすことになりまして
盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
老年になって知行ちぎょうに離れた、みじめな浪人の身の上だとは、一見してわかる姿であった。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
子細は、其主人、自然の役にたてぬべしために、其身相応の知行ちぎょうをあたへ置れしに、此恩は外にないし、自分の事に、身を捨るは、天理にそむく大悪人、いか程の手柄すればとて、是を高名とはいひ難し
西鶴と科学 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
「ある限りの金銀すべて、その方の手にうけ取って、番頭ばんがしら、鉄砲頭、弓槍頭などへも、洩れなきよう、知行ちぎょうに応じて分配せい」
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三百石取りの知行ちぎょうで甘んずることを心得ておられたということによって、いかに諸葛孔明が清廉潔白のお方であったかということがよくわかるのでございます。
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
冬になってから渋江氏は富田新町とみたしんまちの家にうつることになった。そして知行ちぎょうは当分の内六分びけを以て給するという達しがあって、実は宿料食料のほか何の給与もなかった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
いずれにもせよ一方ならぬことありてこそ、百石なり五十石なり知行ちぎょうを賜り子孫に伝うるなり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
水野筑後ちくごかみ——あの人は二千石の知行ちぎょう取りだそうだが、きょうの御通行は十万石の格式だぜ。非常に破格な待遇さね。一足飛びに十万石の格式なんて、今まで聞いたこともない。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
御承知の通り徳川初期の武家は、将軍自身を初めとして、十中の八九までは成上りの大家である。以前に十数倍する知行ちぎょうを持ったからには、たくさんの侍を召し抱えねばならぬ必要があった。
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
文政ぶんせい四年の師走しわすである。加賀かが宰相さいしょう治修はるなが家来けらい知行ちぎょう六百こく馬廻うままわやくを勤める細井三右衛門ほそいさんえもんと云うさむらいは相役衣笠太兵衛きぬがさたへえの次男数馬かずまと云う若者を打ちはたした。それも果し合いをしたのではない。
三右衛門の罪 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「で、ご知行ちぎょうは何千石で?」
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
今申した浪人者はそれと、だいぶ深間ふかまで、何でも、二、三百石の知行ちぎょうを、その女一人のため棒に振ってまで、国元を、出奔してきた程な仲だったらしいので。
無宿人国記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
下島は額のきずが存外重くて、二三日立って死んだ。伊織は江戸へ護送せられて取調を受けた。判決は「心得違のかどを以て、知行ちぎょう召放され、有馬左兵衛佐允純ありまさひょうえのすけまさずみながの御預仰付らる」
じいさんばあさん (新字新仮名) / 森鴎外(著)
めいめいの先祖たるものは多くは東照宮へ仕え奉り数度の戦場に身を砕き骨を粉にして相働きその勲功により知行ちぎょうあてがわれ候間、今に至ってその身その身安楽に妻子を扶助し
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
天文てんもん十六年の事、原美濃守がこの関所を千貫に積って知行ちぎょうしている、もし武田勝頼が天目山で討死をせずに東へ下ったものとすれば、この峠が第一の要害になったのであろうけれど
なるほど知行ちぎょうの制度が扶持ふちの制度に改まり、あるいは名は知行と称しながらその実管理権を政府に取って廩米りんまいをもって相当額を給するようになっては、武士と土地との因縁は一段と疎遠になるが
家の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
連年海陸軍の兵備を充実するために莫大ばくだいな入り用をかけて来た旧幕府では、彼らが知行ちぎょうの半高を前年中借り上げるほどの苦境にあったからで。彼ら旗本方はほとんどその俸禄ほうろくにも離れてしまった。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
能登のとは、其許そこもと自身が、自力で従えた領土ゆえ、べつに秀吉から進上する理由はない。随意に、知行ちぎょうせらるるがよかろう。佐々の越中三郡もよろしいように治められよ。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
家禄はありながらかくなりゆくは、穀潰ごくつぶしとも知行ちぎょうぬすみともいうべし。(『太平絵詞』)
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
さむらいが主君に忠義を尽すというのも、知行ちぎょうを貰って食べさせられているからです。知行を貰って食べさせられているから、それで、まさかの時は君の馬前で死ななければなりません。
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
辰盛は宝永三年に信政にしたがって津軽に往き、四年正月二十八日に知行ちぎょう二百石になり、宝永七年には二度目、正徳二年には三度目に入国して、正徳二年七月二十八日に禄を加増せられて三百石になり
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
そして、知行ちぎょう三十貫、城下の侍小路に、宅地をもつかわす——という君恩を受けたのだった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
周防すおうの地で五千石の知行ちぎょうを与えよう。旧怨きゅうえんをわすれて、長く毛利家に仕える心はないか」
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長束正家は、知行ちぎょう、勘定方の歳出入、物資の購入、徴税などの経済面一切を裁決する。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「おれは、知行ちぎょうだの金だの、そんな物はらん」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)