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着流
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きなが
ふりがな文庫
“
着流
(
きなが
)” の例文
其は浴衣の
着流
(
きなが
)
しで駒下駄を
穿
(
は
)
いたM君であった。M君は
早稲田
(
わせだ
)
中学の教師で、かたわら雑誌に筆を執って居る人である。
みみずのたはこと
(新字新仮名)
/
徳冨健次郎
、
徳冨蘆花
(著)
宗助
(
そうすけ
)
は
着流
(
きなが
)
しの
儘
(
まゝ
)
麥藁帽
(
むぎわらばう
)
を
手
(
て
)
に
持
(
も
)
つた
友達
(
ともだち
)
の
姿
(
すがた
)
を
久
(
ひさ
)
し
振
(
ぶり
)
に
眺
(
なが
)
めた
時
(
とき
)
、
夏休
(
なつやす
)
み
前
(
まへ
)
の
彼
(
かれ
)
の
顏
(
かほ
)
の
上
(
うへ
)
に、
新
(
あた
)
らしい
何物
(
なにもの
)
かゞ
更
(
さら
)
に
付
(
つ
)
け
加
(
くは
)
へられた
樣
(
やう
)
な
氣
(
き
)
がした。
門
(旧字旧仮名)
/
夏目漱石
(著)
その二は
一樹
(
いちじゅ
)
の
垂楊図
(
すいようず
)
の上部を限る
霞
(
かすみ
)
の
間
(
あいだ
)
より糸の如きその枝を吹きなびかす処、
大
(
だい
)
なる
菱形
(
ひしがた
)
の
井筒
(
いづつ
)
を中央にして前髪姿の若衆
縞
(
しま
)
の
着流
(
きなが
)
し羽織
塗下駄
(
ぬりげた
)
の
拵
(
こしら
)
へにて
居住
(
いずま
)
ひ
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
やがて
着流
(
きなが
)
し
懷手
(
ふところで
)
にて、
冷
(
つめた
)
さうな
縁側
(
えんがは
)
に
立顯
(
たちあらは
)
れ、
莞爾
(
につこ
)
として
曰
(
いは
)
く、
何處
(
どこ
)
へ。あゝ
北八
(
きたはち
)
の
野郎
(
やらう
)
とそこいらまで。まあ、お
入
(
はひ
)
り。いづれ、と
言
(
い
)
つて
分
(
わか
)
れ、
大乘寺
(
だいじようじ
)
の
坂
(
さか
)
を
上
(
のぼ
)
り、
駒込
(
こまごめ
)
に
出
(
い
)
づ。
弥次行
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
(著)
小柄な体に和服の
着流
(
きなが
)
しで
通行
(
みちゆき
)
のように仕立てたコートを着ている。
蘆刈
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
▼ もっと見る
鉦、炬火、提灯、旗、それから兵隊帰りの
喪主
(
もしゅ
)
が羽織袴で位牌を
捧
(
ささ
)
げ、其後から棺を
蔵
(
おさ
)
めた
輿
(
こし
)
は八人で
舁
(
か
)
かれた。七さんは
着流
(
きなが
)
しに新しい駒下駄で肩を入れて居る。
みみずのたはこと
(新字新仮名)
/
徳冨健次郎
、
徳冨蘆花
(著)
着流
(
きなが
)
し
散髪
(
ざんぱつ
)
の男がいかにも思ひやつれた
風
(
ふう
)
で
足許
(
あしもと
)
危
(
あやふ
)
く
歩
(
あゆ
)
み出る。女と
摺
(
す
)
れちがひに顔を
見合
(
みあは
)
して
すみだ川
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
翌年
(
あくるとし
)
(明治四十二年)の春もなほ寒かりし頃かと覚えたりわれは既に国に帰りて父の
家
(
いえ
)
にありき。上田先生
一日
(
いちにち
)
鉄無地羽二重
(
てつむじはぶたえ
)
の
羽織
(
はおり
)
博多
(
はかた
)
の帯
着流
(
きなが
)
しにて突然
音
(
おと
)
づれ
来給
(
きたま
)
へり。
書かでもの記
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
“着流(着流し)”の解説
着流し(きながし)は、男子が和服を着る際に羽織や袴を着用しない様。またその着こなしかた。
古くは、羽織を着用し袴を略した姿を着流しと称したが、現在では羽織の有無にかかわらず袴を着けない姿を指すことが多い。江戸時代には、武家方では袴を着用することが常であったのに対し、町人にはその習慣がなかったため、町方特有の風俗であるとされた。
(出典:Wikipedia)
着
常用漢字
小3
部首:⽬
12画
流
常用漢字
小3
部首:⽔
10画
“着”で始まる語句
着
着物
着換
着更
着替
着衣
着附
着類
着手
着座