町屋まちや)” の例文
柳原通りの筋違から和泉橋にむかった南側には、むかしは武家屋敷が続いていたのであるが、その後に取り払われて町屋まちやとなった。
半七捕物帳:43 柳原堤の女 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
其處そこ町屋まちやを、うま沓形くつがた一廻ひとまはりして、振返ふりかへつたかほると、ひたひかくれてくぼんだ、あごのこけたのが、かれこれ四十ぐらゐなとしであつた。
城崎を憶ふ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
焼けあとにも、庶民の小屋が目立ち、いち町屋まちやも、戦前に返りかけていた。久しぶり平和な景色を人々は見たと思った。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
東京は大正十二年九月の大震災だいしんさいにあって、目ぬきの大通りの町屋まちやは、ほとんとみな焼けくずれて、そのあとへはまるで以前のものとはちがった、屋根の平たい堂々どうどうたる
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
そうか、おせい様はな、駒形こまがた猿屋町さるやちょう陸尺ろくしゃく屋敷のとなりにあった、雑賀屋さいがやと申した小間物問屋の後家なのだ。いまは、 下谷同朋町したやどうぼうちょうの拝領町屋まちやに、女だけの住まいをかまえておる。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
遺骸いがい町屋まちやの火葬場で火葬に付して、その翌朝T老教授とN教授と自分と三人で納骨に行った。炉から引き出された灰の中からはかない遺骨をてんでに拾いあつめては純白の陶器のつぼに移した。
B教授の死 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
落葉おちばたくなるけふりすゑか、れかあらぬかふゆがれの庭木立にはこだちをかすめて、裏通うらどほりの町屋まちやかた朝毎あさごとなびくを、金村かなむら奧樣おくさまがお目覺めざめだとひとわるくちの一つにかぞへれども、習慣ならはしおそろしきは朝飯前あさはんまへの一風呂ふろ
われから (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
ふたりは片袖で顔をおおいながら、町屋まちやの軒下を伝って歩いていると、夕ぐれの色はいよいよ黒くなって来て、どこかで雷の声がきこえた。
半七捕物帳:30 あま酒売 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
それから清水港しみづみなととほつて、江尻えじりると、もう大分だいぶん以前いぜんるが、神田かんだ叔父をぢ一所いつしよとき、わざとハイカラの旅館りよくわんげて、道中繪だうちうゑのやうな海道筋かいだうすぢ町屋まちやなか
雨ふり (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
桑田くわた町屋まちやに変り、広野ひろの絃歌げんかともしびうつす堀となり、無数の橋や新しい道路は、小鳥の巣やさぎのねぐらを奪って、丘の肌は、みな生々なまなましい土層を露出し、削られたあとには、屋敷が建ち、門がならび
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
町屋まちやというのは名ばかりで百姓家が多い。時にしもた家があるかと思えば、それは「梅暦」の丹次郎の佗び住居のような家ばかりである。
十月の九日から十日の昼にかけて、町屋まちやはずいぶん焼けたそうだ。異人館は無事だったと云うから、ハリソンのうちなんぞは元のままだろう。火事を
半七捕物帳:59 蟹のお角 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
寺内は勿論、寺門前の町屋まちやはすべて寺社方の支配に属しているのであるから、町奉行所付きの者が、むやみに手を入れると支配違いの面倒がおこる。
半七捕物帳:54 唐人飴 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
その当時の内神田はこんにちの姿とまったく相違して、神保町じんぼうちょう猿楽町さるがくちょう、小川町のあたりはすべて大小の武家屋敷で、町屋まちやは一軒もなかったのである。
屋敷の者も町屋まちやの者も総出になって、この不思議なありさまを見物しているうちに、誰が云い出すともなく、こんな噂がそれからそれへとささやかれた。
半七捕物帳:21 蝶合戦 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
明治以後は青山北町四丁目に編入されてしまったが、江戸時代には緑町、山尻町などに接続して、武家屋敷のあいだに町屋まちやの一郭をなしていたのである。
半七捕物帳:54 唐人飴 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
千駄木の坂下から藍染あいそめ川を渡って、笠森稲荷を横に見ながら、新幡随院のあたりへ来かかると、ここらも寺の多いところで、町屋まちやは門前町に過ぎなかった。
半七捕物帳:58 菊人形の昔 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
そのほかは町屋まちやでございましたが、団子坂の近所には植木屋もあれば百姓の畑地もあるというようなわけで、今日の郊外よりも寂しいくらいでございました。
怪談一夜草紙 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
町方まちかたと違って屋敷方の詮議は面倒で困ります、町屋まちやならば遠慮なしに踏み込んで詮議も出来ますが、武家屋敷の門内へは迂濶うかつにひと足も踏み込むことは出来ません。
表通りは吉原の日本づつみにつづく一と筋道で、町屋まちやも相当に整っているが、裏通りは家並やなみもまばらになって、袖摺稲荷のあるあたりは二、三の旗本屋敷を除くのほか
半七捕物帳:47 金の蝋燭 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
馬場に近いところには町屋まちやも続いているが、それが切れると一面の田畑である。そこらには蛙の声がみだれてきこえた。夏の日が落ちても、あたりはまだ薄明るい。
半七捕物帳:64 廻り灯籠 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
ここにも門前の町屋まちやが店をならべて、ふだんも相当に賑わっているところへ、今度の開帳を当て込んで急拵えの休み茶屋や、何かの土産物を売る店なども出来たので
半七捕物帳:65 夜叉神堂 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
戸沢長屋は花川戸から馬道の通りへ出る横町で、以前は戸沢家の抱え屋敷であったのを、享保年中にひらいて町屋まちやとしたのである。そこへ来る途中、馬道うまみちの庄太に逢った。
町屋まちやばかりでなく、諸大名の屋敷でも軍用金はこうして貯えて置くのだと、そう云うのです
半七捕物帳:47 金の蝋燭 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
それでも無事に大木戸を越して、もう江戸へはいったと思うと、彼女は又すこし気が強くなった。灯ともし頃とはいいながら、賑やかな真夏のゆうがたで、両側には町屋まちやもある。
半七捕物帳:16 津の国屋 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
そのほかにも小さい御家人ごけにんの屋敷がたくさんありまして、そのあいだには町屋まちやもまじっていましたが、一方には田や畑が広くつづいていて、いかにも場末らしい寂しいところでした。
半七捕物帳:34 雷獣と蛇 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
勘定をすませて表へ出ると、秋の日はもう暮れ切って、雨戸を半分ひき寄せてある町屋まちやの灯の影が暗い往来を淡く照らしていた。雨は相変らず、むせぶようにびしょびしょと降っていた。
両国の秋 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
町屋まちやは善光寺門前と、この物語にあらわれている久保町の一部に過ぎない。
半七捕物帳:54 唐人飴 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
坂の両側にこそ町屋まちやがならんでいましたが、裏通りは武家屋敷や寺や畑ばかりで、ふだんは田舎のように寂しい所でしたが、菊人形の繁昌する時節だけは江戸じゅうの人が押し掛けて来るので
半七捕物帳:58 菊人形の昔 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
寺内に住んでいる町屋まちやの人達に密告したので、二、三人が駈けて来た。
半七捕物帳:23 鬼娘 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
こいつはちっとばかり書画や骨董こっとうの方にも眼があいているので、商売の片手間に方々の屋敷や町屋まちやへはいり込んで、書画や古道具なんぞを売り付けて、ときどきには旨い儲けもあるらしいんです。
半七捕物帳:27 化け銀杏 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
まことにお恥かしい次第ですが、わたくしの叔父というのは箸にも棒にもかからない放蕩者で、若いときから町屋まちやの住居をして、それからそれへと流れ渡って、とうとう左官屋になってしまいました。
魚妖 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)