玉垣たまがき)” の例文
彌次馬を別けてはひつて見ると、玉垣たまがきの下、紅白の鈴の緒でしばられた堂守の死體を前に、錢形平次は腕をこまぬいて考へて居るところでした。
天皇は、沙本毘古王さほひこのみこという方のお妹さまで沙本媛さほひめとおっしゃる方を皇后におしになって、大和やまと玉垣たまがきの宮にお移りになりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
玉垣たまがきを照らしている春日燈籠かすがどうろう灯影ほかげによく見ると、それこそ、裾野すその危地きちを斬りやぶって、行方ゆくえをくらました木隠龍太郎こがくれりゅうたろうと、武田伊那丸たけだいなまるのふたりであった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
二人は燈籠と燈籠の間をお廊下だと云つて通つたり、二階から降りませうと云つて下へ降りたり、花園へ行くと云つて玉垣たまがきそばに生えた草を摘んだりして居ました。
私の生ひ立ち (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
古色のある玉垣たまがきの中に、新しい花崗石くわかうせきの柱を立てゝ、それに三沢初子之墓と題してある。それを見ると、近く亡くなつた女学生の墓ではないかと云ふやうな感じがする。
椙原品 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
板宮いたみやかまたは厨子ずしのような物でもいい、とにかく御同殿の物のない一座ぎりのところで、本殿の後ろの社外に空地あきちもあろうから、そんな玉垣たまがきの内にでも安置してもらいたい。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
玉垣たまがきをめぐらしたその小高い御陵は、鬱蒼うっそうたる雑木におおいつくされ、昼なお暗い樹間には、いにしえ栄耀えいようを思わすごとく蔦葛つたかずらの美しく紅葉して垂れさがっているのが仰ぎ見られた。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
唯有とある横町を西に切れて、なにがしの神社の石の玉垣たまがきに沿ひて、だらだらとのぼる道狭く、しげき木立に南をふさがれて、残れる雪の夥多おびただしきが泥交どろまじりに踏散されたるを、くだんの車は曳々えいえい挽上ひきあげて
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
伊久米伊理毘古伊佐知いくめいりびこいさちの命師木しき玉垣たまがきの宮にましまして、天の下治らしめしき。この天皇、沙本毘古さほびこの命が妹、佐波遲さはぢ比賣の命に娶ひて、生みませる御子、品牟都和氣ほむつわけの命一柱。
熱あるものは、楊柳ようりゅうの露のしたたりを吸うであろう。恋するものは、優柔しなやか御手みてすがりもしよう。御胸おんむねにもいだかれよう。はた迷える人は、緑のいらかあけ玉垣たまがき、金銀の柱、朱欄干しゅらんかん瑪瑙めのうきざはし花唐戸はなからど
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
本社ほんしゃは大工が誰で、蒔絵まきえ円斎えんさい、拝殿、玉垣たまがき唐門からもん護摩堂ごまどう神楽殿かぐらでん神輿舎みこしや、廻廊、輪蔵りんぞう水屋みずやうまや御共所おともじょ……等、それぞれ持ち場持ち場にしたがって、人と仕事がこまかにわかれている。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
社の玉垣たまがきを後ろに取って、天蓋は取らず。
大菩薩峠:07 東海道の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
いのらん者と一に思ひこみしかば夫よりして秋葉山へ遙々はる/″\と登しが本社は女人禁制によにんきんせいなるゆゑ上る事ならず因て玉垣たまがきの外にていのり居しに早晩いつしか夜に入ければいざや私が家へ戻らんとがけの道へ來かゝるに茶店ちやみせ仕舞しまひたるが在しにぞ是れ屈竟くつきやうなりとさゝの葉を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
その八幡はちまん玉垣たまがきの前へならんでいた夜店の燈籠売とうろううりがとなりの者へはなしかけた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
平次は相手の態度にすっかり気を許して、石の玉垣たまがきの崩れたのに腰を掛けます。
浴衣を着て涼台すゞみだいへ出ますと、もう祭提灯まつりちやうちんで街々が明くなつて居ます。私の町内の提灯は、皆かぶとの絵がかいてあるのでした。隣町は大と云ふ字、そのまた隣町は鳥居とりゐ玉垣たまがきの絵だつたと覚えて居ます。
私の生ひ立ち (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
玉垣たまがきの下へ死體を投り出して置くといふのは、あまりに念入りな頭の惡さです。