松籟しょうらい)” の例文
まあ、茶でも一口すすろうではないか。明るい午後の日は竹林にはえ、泉水はうれしげな音をたて、松籟しょうらいはわが茶釜ちゃがまに聞こえている。
茶の本:04 茶の本 (新字新仮名) / 岡倉天心岡倉覚三(著)
次は高く風を受けてもただ琴のに通うといわるるいわゆる松風まつかぜすなわちいわゆる松籟しょうらいがあるばかりで毫も動ぜぬその枝葉です。
植物記 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
近所にも松の木がないわけではないが、しかし皆小さい庭木で、松籟しょうらいさわやかな響きを伝えるような亭々ていていたる大樹は、まずないと言ってよい。
松風の音 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
波の音も聞え、松籟しょうらいの音もし、何処か山陰あたりの温泉地にでも旅したようなゆっくりと落ちついた、よい気持であった。
糞尿譚 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
何処かでは、淙々そうそうと水のひびき、松籟しょうらいかなでがしている。それに消されてか、いつまでも返辞はなかった。するうちに
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
枕もとに松籟しょうらいをきいて、しばらく理窟も学問もなくなった。が、ふと、昼飯ひるぜんに、一銚子ひとちょうし添えさせるのを言忘れたのに心づいて、そこで起上たちあがった。
みさごの鮨 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
多くは極めてかすかな山風が松の梢を渡って行くために起る松籟しょうらいが耳辺を掠めてゆくのである。そうしたことが知れるとその騒々しさはたちまち静寂な趣に変ってゆく。
茸をたずねる (新字新仮名) / 飯田蛇笏(著)
それをいとうて山へ上ると松籟しょうらい絶えず聞えるので「波の音聞かずがための山ごもり、苦は色かへて松風の声」
水嵩みずかさの増した渓流けいりゅうのせせらぎ松籟しょうらいひび東風こちの訪れ野山のかすみ梅のかおり花の雲さまざまな景色へ人を誘い
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
月は入江をてらしてあかるく、岸辺の松を吹く風は松籟しょうらいを聞かせる。この秋の夜長、清らかな宵の景色はいったい何のためであろうか。自然のままのすがたである。
R寺の境内がよほど高いことは、いま石畳を右にはづれて地続きの丘に出ようとする二人の足もとに、扇ヶ谷一帯の松籟しょうらいが黒くひろがつてゐることでも解るのである。
水と砂 (新字旧仮名) / 神西清(著)
右は土手上の松籟しょうらいも怪鳥の夜鳴きではないかと怪しまれるようなおほりを控えての寂しい通り——。
夜っぴて松籟しょうらいが耳についた。その音を聞きなれたと感ずるころは深いねむりにちていたのであろう。かすかにほおに来る冷たさを覚えて眼をあけると、あたりは明るい朝になっていた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
今夜もわしの相手は無しか、しりごみしないでかかって来い、としゃがれた声で言ってぎょろりとあたりを見廻せば、お宮の松籟しょうらいも、しんと静まり、人々は無言で帰り仕度をはじめ、その時
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
裏の松林からときどき松籟しょうらいが聞こえた。雑草の蔭に濃い紫菫が咲いていた。
牡丹 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
いつもならふすまの襟をかき寄せ、息をひそめて聴きいるのだが、今宵はその寒ざむとした松籟しょうらいの音までが、自分の幸福をうたって呉れるように思いなされる、——そのときの心のあり方によって
菊屋敷 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
庭は常にの目を見ず、松籟しょうらいのしじまに沈み、からすふくろうの巣の中であった。
石の思い (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
舟板に二、三枚重ねて敷いた座蒲團の上に胡座あぐらして傍らの七輪にぎる鉄瓶の松籟しょうらいを聞くともなしに耳にしながら、(とも・へさき)にならんだ竿先に見入る雅境は昔から江戸ッ子が愛好してきた。
寒鮒 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
「光武帝がわが枕元に立たれて、招くかと思えば、松籟しょうらい颯々さっさつと、神亭の嶺に、虹のごとき光をいて見えなくなった」
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
赤い火光ほめきが、彼の秀でた鼻のあたりをくつきりと隈どつた。火は投げ棄てられてからも、暫く蘗の中で燃えて、やがて尽きた。風がわたつて、五色山の底しれぬ松籟しょうらいが四囲を揺すつた。
垂水 (新字旧仮名) / 神西清(著)
しかも風さえ加って松籟しょうらいものすごく、一行の者の袖合羽そでがっぱすそ吹きかえされて千切れんばかり、うようにして金谷かなやの宿にたどりつき、ここにて人数をあらため一行無事なるを喜び、さて
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
恐らくさういふものでもあつたらうか。もはや雨はやんでゐた。残された風のみが荒れ狂ひ、広く大きな松籟しょうらいとなつて彼の心になりひびいてゐた。自然の心を心にきいた切ない一夜であつたのである。
姦淫に寄す (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
特殊のメロディーを出すように茶釜の底に鉄片が並べてあるから。これを聞けば、雲に包まれた滝の響きか岩に砕くる遠海の音か竹林を払う雨風か、それともどこか遠き丘の上の松籟しょうらいかとも思われる。
茶の本:04 茶の本 (新字新仮名) / 岡倉天心岡倉覚三(著)
冷たい風が松籟しょうらいの音といっしょに、激しく吹き込んで来た。
雨の山吹 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
風が強く、松籟しょうらいが小田原の海辺を思い起させた。
城内七百の強者つわものばらの耳へもはらわたへも鳴って行ったとみえて、長亭軒の城、松尾山の松籟しょうらいは、一瞬、しいんと静寂しじまに冴えて、ただ琴の音と、琴の歌があるばかりだった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここは武蔵野のはずれ、深夜の松籟しょうらいは、なみの響きに似ています。
風の便り (新字新仮名) / 太宰治(著)
松籟しょうらいの中に、黙って坐りこんで降りて来たのであったが、無相無身になってみようと努力したその時のほうが、どうしても、死というものから離れられなくて、結局
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
うしろの松林から松籟しょうらいが起った。
惜別 (新字新仮名) / 太宰治(著)
にもかかわらず、松籟しょうらいのほかはせきとして、一人の公卿も駈けつけては来なかったのである。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
初めにちょっと会釈えしゃくしただけで、ついまだ一語も発せずに秀吉のわきにひたと坐っている一武人である。おもては白く筋肉はせて、たとえば松籟しょうらいに翼をやすめているたかの如く澄んだひとみをそなえている。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)