政所まんどころ)” の例文
その皆の眼は折ふし来合せたきた政所まんどころおもてをお気の毒で見るにたえないというようにらしあっていたが、北の政所は、花桶に眼をとめると
日本名婦伝:太閤夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
淀君よどぎみにうつつを抜かした秀吉が、北の政所まんどころに対する態度などにみても相当彼女を立てているところがある。
女性崇拝 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
クエリヨはこの謁見の後、秀吉の夫人北の政所まんどころを通じて、キリスト教布教の特許状を得ようと努めた。
鎖国:日本の悲劇 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
北の政所まんどころより仰せられ、御命ばかりはお助け申し上げようと様々にお骨を折られましたが、如何いかにしてもお赦しが出ず、検使のために福島左衛門大夫、福原右馬助
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
北の政所まんどころとか、淀君よどぎみとかを筆頭として、京極の松の丸殿もそれに並ぶ五妻のうちの一人でした。
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
慶長十九年には大阪冬の陣で東西両軍の争奪地となり、夏の陣ですっからかんに焼き払われた。掛値なしの焦土となって徳川氏に直轄され、「佐貝政所まんどころ」なる代官制がかれた。
男は政所まんどころおぼしいあたりに、傾いた板屋のあるのを見つけた。板屋の中には近寄つて見ると、誰か人影もあるらしかつた。男は闇をかしながら、そつとその人影に声をかけた。
六の宮の姫君 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
四十の隠居は奇ッ怪千万、秀吉はかうあしらひ、人を介して何回となく頼んでみたが、秀吉は許してくれぬ。ところが、如水も執拗だ。倅の長政が人質の時、政所まんどころの愛顧を蒙つた。
黒田如水 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
この文字を使用し始めた人々は、殿ヶ谷戸・政所まんどころヶ谷戸も皆ヤトの名と考えたのかも知れぬが、他の例から押すとそれは疑わしい。鎌倉の笹目ヶやつ・扇ヶ谷の類もこれを同じである。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
(首を振り夢中になり唄う)これは世間の女房の名寄なよせ。おきさき様には政所まんどころ、北の方には御台みだい様、奥方ご新造ご内室、おかみさんにはお内方うちかた嬶左衛門内かかあざえもんうちの奴(坐り込む)馬鹿だね、あははははは。
瞼の母 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
始として兩御目付三奉行諸有司しよいうし小役人にいたるまで皆其家々の定紋ぢやうもん付きたる箱提灯はこぢやうちんとぼし立行列正しく評定所へ出席せられ威儀ゐぎ嚴重げんぢうに列座さるゝ有樣實にや日本の政所まんどころくもらぬ鏡の天下の善惡邪正じやしやう
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
あめの宮風の宮、月読つきよみ日読ひよみの大御神、当国の霊社には日本六十余州の国、すべての神の政所まんどころ出雲いずもの国の大社おおやしろ、神の数は九万八千七社の御神、仏の数は一万三千四個の霊場、冥道を驚かし此に降し奉る
とんだ政所まんどころなんで御座います。
魔都 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
「ばかなことを」と、道誉はちょっと目かどを立てて「柳営には、政所まんどころもある、評定衆もおる。一個道誉のおすすめなどで左右されるものではない」
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やがて渋いところで政所まんどころのお茶を一服いただき、お茶うけには甘いところで磨針峠すりはりとうげのあん餅、多賀の糸切餅、草津のうばもち、これらをばお茶うけとしてよばれ候上は右と左の分け使い
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
淀君派と政所まんどころ派の対立だの、反三成党の発生だの、それらは曾て目算に入れやうもなかつたことで、まつたく目新しい現実であり、彼は現実に直面して一つ一つ処理するだけで精一杯であつたらう。
家康 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
「おるす中といえ、急使の飛状は、その都度つど政所まんどころにて、ご処理でございますが、なにか、一刻も早く、お耳に達せねばならぬ火急と伺っておりまする」
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
倅の長政が人質の時、政所まんどころの愛顧を蒙つた、石田三成が淀君党で、之に対する政所派といふ大名があり、長政などは政所派の重鎮、さういふ深い縁があるから、政所の手を通して執念深く願ひでる。
二流の人 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
政所まんどころの灯もあかつきを知らなかった。そして須臾しゅゆのまに、鎌倉の府も、海道口も、日々秋霜しゅうそうの軍馬で埋まった。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いや、自分らは政所まんどころ直属の者でおざる。つまり貢税こうぜいの急務をおびて、当地のみならず、東国諸所へまかりくだるもの、いちいちの先触れなどはしておらぬ」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「脇屋殿! 政所まんどころの徴税の令は、台命ですぞ。執権しっけん殿のおことばもおなじものだ! 台命にそむき召さるか」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すでに、秀吉は、太閤といわれ、その母は、大政所おおまんどころうやまわれ、そして寧子ねねは、きた政所まんどころと称されていた。
日本名婦伝:太閤夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いよいよ政所まんどころ告示にもなり、また、執権高時から両家への正式な祝いの使者を見るやら、忙しげな出入り商人の往来などを知るにおよんで、人々はいまさらみたいに
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は父の親房ちかふさにはかって、地方政所まんどころノ執事、評定所所員、侍所の面々、寺社、安堵あんど奉行までを加えて、国司の議場で大評議をひらいた。そしてその場ですぐ宣言した。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大政所おおまんどころの称位をい、妻の寧子ねね政所まんどころとして、内にも、内事ないじ調ととのえを、着々とすすませていた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そのために、評定所がある。まった武者所と政所まんどころもある。てばやく処置をとっておろうに」
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「こよい初めて、沁々しみじみと、虫のの秋を、耳の底に覚えたわえ。何せい、昼は、やれ朝廷の、やれ政所まんどころの、また将軍家直々のお召のと、いやどうも執事職とは忙しいものでの」
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
当夜も、おあるじ上杉殿には、鎌倉政所まんどころにつめ切って、評定衆の座でお激論もありしとか。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
北の政所まんどころもあるかなしかのように、淀君の勢力は、自然大坂城におおきなものとなった。
日本名婦伝:太閤夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
問注所は、幕政下の“政所まんどころ”“侍所”とならんでの鎌倉三大官衙かんがの一庁である。——原告と被告との双方へ物問いしてそれを注記ちゅうきする——というのが「問注」の名のおこりらしい。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして朝食もとらずにすぐ政所まんどころへ出てゆくと、そこには細川顕氏あきうじらも出仕していて、直義を中心に、異様なまでの緊張と、かくしきれない僥倖感とを、ひそひそ、ささやきあっていた。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たしかに、彼は女好きであり、この点は、夫人の政所まんどころ寧子ねね)からも公認されていることだが、彼の女ずきは、彼以外の者が考えているよりは、実は、もっともっと女が好きなのである。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
津軽の安藤季長や同苗どうみょう五郎らが、一族同士の合戦におよぶまでには、しばしば相互から、鎌倉政所まんどころへ直々の訴えに出ていたのだが、内管領の高資は多年にわたって、両者のどっち側からも
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ふたりが御池殿おいけどのの一ト間に顔をそろえたとき、尊氏はまだ仏間ぶつまから出ていなかった。しかし、三名の密談となってからは、さして時をおかず、直義ただよしと師直とは、すぐ政所まんどころのほうへ出て行った。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
武者所や政所まんどころでは、やっきとなって
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)