“とうけん”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
刀剣20.0%
鄧賢15.0%
唐犬10.0%
刀劍5.0%
陶謙5.0%
韜鈐5.0%
倒懸5.0%
刀劒5.0%
東検5.0%
棠軒5.0%
藤県5.0%
透見5.0%
闘拳5.0%
闘犬5.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
女像によざうにして、もし、弓矢ゆみやり、刀剣とうけんすとせむか、いや、こし踏張ふんばり、片膝かたひざおしはだけて身搆みがまへてるやうにて姿すがたはなはだとゝのはず、はうまことならば、ゆかしさはなかる。
甲冑堂 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
「敵の先陣は、蜀の名将、冷苞れいほう鄧賢とうけんの二将と聞く。これを破るものは、成都に入る第一の功名といえよう。誰かすすんでそれを撃破してみせるものはないか」
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「それにさ唐犬とうけんの兄貴達が、水野を討とうと切り込んで、手筈狂って遣り損なってからは、いよいよお上の遣り口が、片手落偏頗へんぱに見えてならねえ」
二人町奴 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
いしとこ三方さんぽうまうけて死體したいくようになつてあつたり、天井てんじよう家屋かおく屋根やねをまねてあるのもあつたり、内部ないぶ刀劍とうけんかたちつたものなどがあります。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
しかしまた一方いつぽうには、日本につぽんふるくからおこなはれてゐたつくりの刀劍とうけんもやはりもちひられてゐたものであります。
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
老太守の陶謙とうけんは、「あの声を聞いて下さい」と、歓びにふるえながら、玄徳を上座に直すと、直ちに太守の佩印はいいんを解いて
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そうだ。近頃、新しく徐州の封をうけて、陶謙とうけんの跡目をついで立った劉玄徳りゅうげんとくを頼ってゆこう。……どうだろう陳宮」
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は韜鈐とうけんを以て家学と為せり、彼れ『武教全書』を講じ、彼れ山鹿流の兵法を学び、彼れ象山に就いてほぼ西洋流の砲術タクチックを聴く、しからば彼れ果して充分なる防戦の策無かるべからず。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
彼は出でて吉田氏をぐ、吉田氏は、世々よよ山鹿流の兵家にして、韜鈐とうけんは則ち彼の家学なり。蛇は一寸にして人を呑むの気象あり。如何に当今の時勢は、この英発秀鋭なる小童の眼孔に影じたるよ。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
にはかに千葉に行く事有りて、貫一は午後五時の本所ほんじよ発を期して車を飛せしに、咄嗟あなや、一歩の時を遅れて、二時間のちの次回を待つべき倒懸とうけんの難にへるなり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
(ト)刀劒とうけん甲冑かつちゆう
博物館 (旧字旧仮名) / 浜田青陵(著)
入違いに忠清監司閔致痒みんしようが軍隊を率いて徳川に馳行する。洋夷は船を行担島からさらに江華島南方の東検とうけん島に移して、上陸、ここで朝鮮軍隊と衝突して敗走した。
撥陵遠征隊 (新字新仮名) / 服部之総(著)
この年箱館はこだてっている榎本武揚えのもとたけあきを攻めんがために、官軍が発向する中に、福山藩の兵が参加していた。伊沢榛軒の嗣子棠軒とうけんはこれに従って北に赴いた。そして渋江氏を富田新町にうた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
呂布は、曹操の襲来を知って、藤県とうけんから泰山たいざんの難路をこえて引っ返して来た。彼もまた
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
虫さえいとう美人の根性こんじょう透見とうけんして、毒蛇の化身けしんすなわちこれ天女てんにょなりと判断し得たる刹那せつなに、その罪悪は同程度の他の罪悪よりも一層おそるべき感じを引き起す。全く人間の諷語であるからだ。
趣味の遺伝 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
そこでおんなたちがする闘拳とうけん遊びを見ていると、けんの三則はふつうの拳とちがっていない。ただ狐と庄屋と猟人を、「公卿」と「天王さん」と「武士」に変えてあるだけのものだった。
この点ではこの若者たちも闘鶏とうけい闘犬とうけん見物けんぶつ同様、残忍でもあれば冷酷でもあった。彼等はもう猪首の若者に特別な好意を持たなかった。
素戔嗚尊 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)