関羽かんう)” の例文
旧字:關羽
「おそらくそれは、玄徳の義弟おとうと関羽かんうという者でしょう。関羽のほかには、そうやすやすと、顔良を斬るような勇士はありません」
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
月のうす明るい夜で、丞相がしゃとばりのうちから透かしてみると、賊は身のたけ七尺余りの大男で、関羽かんうのような美しい長いひげやしていた。
障子の硝子ガラスの隅から細くのぞいたが、父の姿は見えず、向うの欄間にかけてある、誰が描いた古画か、関羽かんうが碁盤を見つめている唐画が眼に来た。
この関羽かんうびょうの中に面白い物がある。青鬼赤鬼ら地獄の鬼の姿を沢山こしらえて関羽の手下てしたのように飾ってある。その美術がてかてか面白く出来て居る。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
関羽かんうの絵を見る様にいかめしい頬髯を生やし、濃い眉の下にギョロギョロした目を輝かせ、口は一文字に結んで、悪びれもせず、群る見物を睨み廻している。
白髪鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
それで思ひ出したが昔関羽かんうの絵を見たのに、関羽が片手に外科の手術を受けながら本を読んで居たので
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
僧院の廊下へはいって見ると、頭を大部分って頂上に一握りだけ逆立った毛を残した、そして関羽かんうのような顔をした男が腕組みをしてコックリコックリと廊下を歩いている。
旅日記から (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
直垂ひたたれの上に腹巻を着け黄金作こがねづくりの小刀を癇癪かんしゃくらしく前方まえ手挟たばさみ、鉄扇を机に突き立てた様子は、怒れば関羽かんう笑えば恵比寿えびす、正に英雄偉傑いけつの姿を充分に備えているではないか。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
しばらくして宋公は、ある役所へいった。そこは壮麗な宮殿で、上に十人あまりの役人がいたが、何人ということは解らなかった。ただその中の関帝かんてい関羽かんうだけは知ることができた。
考城隍 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
泰軒居士は、口をひらく前に、例によってその関羽かんうひげをしごく。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「この人は関羽かんうです」と答えました。
順和商行と関羽かんうびょうのあいだを曲って、いくつもの、ほそい露地をたどると、さっき、宵に、トム公の訪れた、阿片クラブの地下室へ出る。
かんかん虫は唄う (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鬼が出るという古廟に泊まると、その夜なかに寝相ねぞうの悪い一人が関羽かんうの木像を蹴倒けたおして、みんなを驚かせましたが、ほかには怪しい事もありませんでした。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
そこにはシナの関羽かんうも祀ってある。チベットでは関羽の事をゲーサルギ・ギャルポ(花蕊はなしべの王という意味)というて、悪魔をはらう神として大いに尊崇そんすうして居る。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
三国志さんごくしなどを引っぱり出し、おなじみの信乃しの道節どうせつ孔明こうめい関羽かんうに親しむ。
竜舌蘭 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
○正誤 関羽かんう外科の療治の際は読書にあらずして囲碁なりと。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
下邳の城は丞相もご承知の関羽かんう雲長うんちょうが、守り固めております。——かねて玄徳はかかる場合を案じてか、二夫人と老幼のものを
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その包孝粛に扮した俳優は李香とかいうのだそうで、以前は関羽かんうの芝居を売物にして各地を巡業していたのだが、近ごろは主として包孝粛の芝居を演じるようになった。
女侠伝 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
その一人は、騎兵捕手の与力で、名を朱同しゅどうといい、あだかも関羽かんうのようなひげをもっているので“美髯公びぜんこう”という綽名あだながあった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
順治丙申じゅんじへいしんの年、五月二十二日、広東韶州府カントンしょうしゅうふの西城の上に、関羽かんうがたちまち姿をあらわした。
関羽かんう張飛ちょうひの二人も、心のうちで喜ばないふうが、顔にも見えていたし、或る時は、玄徳へ向って、無遠慮にその不平を鳴らしたこともある。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それがために、その周囲十五里のあいだには関帝廟かんていびょう(関羽を祀る廟)を置くことを許さない。顔良は関羽かんうに殺されたからである。もし関帝廟を置けば必ず禍いがあると伝えられている。
「冗談じゃない。百斤なんて錫杖は人間の持ち物にゃありませんぜ。三国時代の豪傑関羽かんうさまの偃月刀えんげつとうだって八十一斤でさ」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これは予州よしゅうの太守劉玄徳りゅうげんとくが義弟の関羽かんうあざな雲長うんちょうなり、家兄玄徳の仰せをうけて、義のため、呂布を扶けに馳けつけて参った。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「総統総統。ただいま、軍師の呉用大人たいじんと、先ごろ梁山泊りょうざんぱくへ入った関羽かんうの子孫の関勝かんしょうとが、二人づれで、戦場のご報告にとこれへ見えましたが」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
知っておる! ——然し、昔、華陀かだと申す支那の医家は、関羽かんうの恩を慕って共に戦場に立ち、関羽が毒矢にあたった時には、そのきずを療治いたしておる。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御猟みかりの日、傍若無人ぼうじゃくぶじん曹賊そうぞくが、帝のおん前に立ちふさがって、諸人の万歳をわがもの顔にうけた時、玄徳の舎弟関羽かんうが、斬ッてかかりそうな血相をしておった。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
関羽かんうは西門を守れ、張飛ちょうひは東門に備えろ、孫乾そんけんは北門へ。また、南門の防ぎには、この玄徳が当る」
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして劉玄徳りゅうげんとくとか、曹操そうそうとか関羽かんう張飛ちょうひそのほか、主要人物などには、自分の解釈や創意をも加えて書いた。随所、原本にない辞句、会話なども、わたくしの点描てんびょうである。
三国志:01 序 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
関羽かんう遺物かたみの青龍刀を横ざまに抱え、鞍には、彼もまた、一首級をくくりつけていた。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
げきによって劉玄徳は、関羽かんう張飛ちょうひなどの精猛をひきつれて、予州の境で待ちあわせていた。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
自分は河東解良かとうかいりょう山西省さんせいしょう解県かいけん)の産で、関羽かんうあざなは雲長と申し、長らく江湖こうこ流寓りゅうぐうのすえ、四、五年前よりこの近村に住んで、村夫子となって草裡にむなしく月日を送っていた者です。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「それがしは漢の寿亭侯じゅていこう関羽かんうである。北地へ参るもの、門をひらいて通されい」
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「叔父(関羽かんう)の危難を救わなかったのは、まったく私の意志ではなかったのです。その折、孟達が頑強にこばんだため、つい彼のことばにひかれ、心にもなく自分も援軍に行かなかったので」
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
東南たつみの陣、関羽かんう
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
関羽かんうぱいさけ
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こうなき関羽かんう
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)