遁走とんそう)” の例文
疑りもする、信じもする、信じようとし思いこもうとし、体当り、遁走とんそう、まったく悪戦苦闘である。こんなにして、なぜ生きるんだ。
飛び廻る自動車も、忙しそうに歩く行人も、右往左往に悲叫ひきょう遁走とんそうする、あらゆる生物の、混乱の姿ででもあるかのように取られた。
火と氷のシャスタ山 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
これも僕の見かけた中に小さい雄の河童が一匹、雌の河童を追いかけていました。雌の河童は例のとおり、誘惑的遁走とんそうをしているのです。
河童 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
そして僕の部屋にネコが入ってくると、間髪を入れず手近の孫の手をつかみ、ネコの頭をコツンと殴る。ネコはキャッと叫んで遁走とんそうする。
ボロ家の春秋 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
遁走とんそう曲でも、速歩舞踏曲でも、また、アダム、バッハ、プッチーニ、モーツァルト、マルシュネル、なんでも構わない。
左右に遁走とんそうする敵を見棄て、「いざ浜路殿!」と引っ抱えた。しっかりすがる浜路の手、首にかかってグンニャリとなる。
任侠二刀流 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
いまは見栄みえもなく敗走していた池田方の士卒は、志段味しだみ篠木しのき柏井かしわい——と支離滅裂しりめつれつになって、遁走とんそうしたが、矢田川やだがわを越え得たものは、みな助かった。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かゆさあまりて遂に月賦の催促などして居られなくなるを以て、そこをねらってこっちは雲を霞と遁走とんそうするのである。
発明小僧 (新字新仮名) / 海野十三佐野昌一(著)
それがあたかも彼に遁走とんそうすることを故意に許したような追跡だったので、司教は一時あまり好意を持たなかった。
しからば犯人ジャックが、それほど遁走とんそう潜行に妙を得た超人間であったかというに、事実は正反対で、ただかれは、一個偉大なずぶの素人しろうとにすぎなかった。
女肉を料理する男 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
一八九六年、六月のなかば、ロンドン博物館附属動物園の事務所に、日本猿の遁走とんそうが報ぜられた。行方が知れぬのである。しかも、一匹でなかった。二匹である。
猿ヶ島 (新字新仮名) / 太宰治(著)
彼は卑弥呼ひみこ遁走とんそうした三日目の真昼に、森を脱け出た河原の岸で、馬のいななきを聞きつけた。彼はすすきを分けてその方へ近づくと、馬の傍で、足を洗っている不弥の女の姿が見えた。
日輪 (新字新仮名) / 横光利一(著)
猛犬にあいたるとき、右手の拇指おやゆびより、うしとらと唱えつつ順次に指を屈し、小指を口にてかみ、「寅の尾を踏んだ」と言うときは、いかなる猛犬も尾を巻きて遁走とんそうするという。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
ぼくは遁走とんそうをあきらめてかれらの命令どおりにした、数日前、ぼくらはつつみをさかのぼって茂林のなかに進んだ、とぼくらは、枝にひっかかったえたいの知れない油布あぶらぬのでつくったらしい
少年連盟 (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
市平もまた、田園遁走とんそうまでの四五年を、父親の後を引き継いでいたのであった。
土竜 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
「B国艦隊は小笠原島占領の考えなきもののごとく、南に向って遁走とんそうせり。兵力は『ドラゴン』以下約百五十隻なり。昭和遊撃隊は、ただちに追跡し、かれらの行動を監視(見はり)せんとす。」
昭和遊撃隊 (新字新仮名) / 平田晋策(著)
そら逃げろ、持てるだけのものを持って遁走とんそうしろ、他国ものには決して見つからぬあの裏山の間道に駈けこめ——かようなわけで、見るもぶざまな周章狼狽ろうばい——そうら、いよいよ小船をおろした、と
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
ある時、これも内攻に草臥くたびれた痴川が孤独からの野獣の狂躁で脱出してきて、麻油を誘い伊豆を誘い小笠原を誘い、とある山底の湯宿へ遁走とんそうした。
小さな部屋 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
予は予自身に対して、名状し難き憤怒ふんぬを感ぜざるを得ず。その憤怒たるや、あたかも一度遁走とんそうせし兵士が、自己の怯懦けふだに対して感ずる羞恥しうちの情に似たるが如し。
開化の殺人 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
やぶも一つの足場であり、壁の一角も肩墻けんしょうである。よるべき一軒の破屋あばらやがないためにも、一個連隊が遁走とんそうする。
そして、理解してることを証明するために、喧嘩けんか腰でクリストフをながめながら、一つの遁走とんそう曲を復吟した。
他は其場そのばより遁走とんそういたしました。これに対して○国人側も非常に怒り、復讐を誓って、唯今準備中であります。両国の外交問題は、俄然がぜん険悪けんあくとなりました。以上。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
義昭は、またあたふたと、紀州方面へ遁走とんそうした。そして、熊野の僧や、雑賀さいかの徒を、しきりと煽動せんどうして
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その夜、歌舞伎座から、遁走とんそうして、まる一年ぶりのひさごやでお酒を呑みビールを呑みお酒を呑み、またビールを呑み、二十個ほどの五十銭銀貨を湯水の如くに消費した。
狂言の神 (新字新仮名) / 太宰治(著)
何もかも自分の判断で割切りそして行動していると信じていたのだが、それもあやふやなもののように思われた。判っていることは、自分が今原隊げんたいを離れて遁走とんそうしているという事実だけであった。
日の果て (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
そして庭の奥から、眼に見えない別邸の半ば開いてる窓から、ヨハン・セバスチアン・バッハの変ホ短調の遁走とんそう曲を奏してるハーモニュームの響きが聞こえてきた。
ひるまえに、あらかじめ誘降状を送っておいた山岡美作守やまおかみまさかのかみの兄弟はその使者を斬り、城を自爆し、瀬田大橋にも火を放って、家中とともに甲賀の山中へ遁走とんそうしていた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わが名はレギオン、我ら多きが故なりなどとうそぶいて、キリストに叱られ、あわてて二千匹の豚の群に乗りうつり転げる如く遁走とんそうし、崖から落ちて海に溺れたのも、こいつらである。
(新字新仮名) / 太宰治(著)
忍術使いも忍びこませたが、切支丹の用語や作法を知らないのでたちまち見破られて遁走とんそうしたという。智恵伊豆や甲賀者といえども甚しく敵を知らないウラミはどこまでも附きまとっていた。
安吾史譚:01 天草四郎 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
だが第三の惨劇で、いよいよこれ迄の犯跡はんせき曝露ばくろしそうになったのをみてとった彼等二人は、朝の太陽が東の地平線から顔を出す前にこのカフェから手をたづさえて遁走とんそうしてしまったのである。
電気看板の神経 (新字新仮名) / 海野十三(著)
数千匹の黄蟹きがにが何者かに追われて必死に逃げまわるように、私の酔眼すいがんにうつって来た。今宵は蟹のお祭りだ。今夜は風の宴だ。遁走とんそうする蟹の大群の後方から、風がひょうひょうと音立てて吹きつけた。
風宴 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
で結局二つの方法のうちどちらも、その遁走とんそうは不可能であった。
海口うみぐちへ着くやいな、しぶきにぬれた蓑笠みのかさとともに、筏をすて、浜べづたいに、蒲原かんばらの町へはいったすがたをみると、これぞまえの夜、鼻かけ卜斎ぼくさいの屋敷から遁走とんそうした菊池半助きくちはんすけ
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「もの思うあし。」と言い、「碧眼托鉢。」と言うも、これは、遁走とんそうの一方便にすぎないのであって、作家たる男が、毎月、毎月、このような断片の言葉を吐き、吐きためているというのは
「敗北遁走とんそうというわけかい」
不連続殺人事件 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
曹仁、曹純、曹洪など、みな自分らの南郡へ向って逃げたが、途中、呉の甘寧かんねいが道をさえぎっていたので、城内へ入ることもできず、遂に、襄陽じょうよう方面へ遁走とんそうするのほかなかった。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
全体で僅か七アルペントばかりにしかならぬ自分の地処の管理を頼んでおいた小作人が、農具を奪って遁走とんそうしたことを訴え、且つ、妻子が困っているといけないから帰国してその始末を致したいと
『井伏鱒二選集』後記 (新字新仮名) / 太宰治(著)
おおむね、埋伏まいふく、視野、遁走とんそうに都合のよい山岳をうしろにしている。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)