“誅(ちう)” の例文
「皆死んだよ。城中の男女數百人を櫓(やぐら)に置いて自(みづか)ら火をかけ、黨類三十餘人は誅(ちう)せられて首を京師に送つた——とある」
劉填(りうてん)が妹(いもうと)は陽王(やうわう)の妃(ひ)なり。陽王(やうわう)誅(ちう)せられて後(のち)追慕(つゐぼ)哀傷(あいしやう)して疾(やまひ)となる。婦人(ふじん)の此(この)疾(やまひ)古(いにしへ)より癒(い)ゆること難(かた)し。時(とき)に殷※(いんせん)善(よ)く畫(ゑが)く、就中(なかんづく)人(ひと)の面(おもて)を寫(うつ)すに長(ちやう)ず。
聞きたるまゝ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
惡(あく)裏(うら)に有者は天(てん)是(これ)を罰(ばつ)し惡(あく)表(ほか)に顯(あらは)るゝ者は人是を誅(ちう)すとかや偖(さて)も吾助は宅兵衞を易々(やす/\)と殺(ころ)し懷(くわい)中の金五兩二分と脇指(わきざし)を奪(うば)ひ取其上足手搦(あしてがら)みなるお兼さへ其處に命を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
起(き)を撃(う)つの徒(と)、呉起(ごき)を射刺(せきし)するに因(よ)つて、并(あは)せて悼王(たうわう)に中(あ)つ。悼王(たうわう)既(すで)に葬(はうむ)られて、太子(たいし)立(た)つ。乃(すなは)ち(一一〇)令尹(れいゐん)をして盡(ことごと)く呉起(ごき)を射(い)て并(あは)せて王(わう)の尸(し)に中(あ)てし者(もの)を誅(ちう)せしむ。
非(ひ)、終(つひ)に韓(かん)の爲(ため)にして、秦(しん)の爲(た)めにせず、(一一六)此(こ)れ人(ひと)の情(じやう)也(なり)。今(いま)、王(わう)、用(もち)ひず、久(ひさ)しく留(とど)めて之(これ)を歸(かへ)さば、此(こ)れ自(みづか)ら患(うれひ)を遺(のこ)す也(なり)。(一一七)過法(くわはふ)を以(もつ)て之(これ)を誅(ちう)するに如(し)かず