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第宅
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ていたく
ふりがな文庫
“
第宅
(
ていたく
)” の例文
立派な
第宅
(
ていたく
)
におりたいとも言わず、結構な調度を使いたいとも言わず、うまい物を食べたがりも、面白い物を見たがりもしなかった。
安井夫人
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
禁裡の諸門をめぐる
公家
(
くげ
)
たちの、常にはひっそりしている
第宅
(
ていたく
)
の地域ですら、忽ちさまざまな物音や人声が騒然と起った。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
唐の貞元年中、
博陵
(
はくりょう
)
の
崔慎思
(
さいしんし
)
が
進士
(
しんし
)
に挙げられて上京したが、京に然るべき
第宅
(
ていたく
)
がないので、他人の別室を借りていた。
中国怪奇小説集:07 白猿伝・其他(唐)
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
私は取る物も取りあえず、
金閶
(
きんしょう
)
にある王氏の
第宅
(
ていたく
)
へ、秋山を見に出かけて行きました。
秋山図
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
尊良親王・宗良親王・
懐良
(
やすなが
)
親王・
北畠親房
(
きたばたけちかふさ
)
・北畠
顕家
(
あきいえ
)
みなそうであった。だから京都の
第宅
(
ていたく
)
に遊園を愉しむ生活に比べれば、すこぶる荒涼として、
艱難
(
かんなん
)
辛苦の
状
(
さま
)
は想像に余りがある。
中世の文学伝統
(新字新仮名)
/
風巻景次郎
(著)
▼ もっと見る
また同書によって察度の
第宅
(
ていたく
)
なる
大謝名
(
おおじゃな
)
の金宮の辺がかなり繁昌した所であった事もわかる。『オモロ双紙』によれば泊も那覇?——も古くは浦添
間切
(
まぎり
)
の中であったという事がわかる。
浦添考
(新字新仮名)
/
伊波普猷
(著)
撫軍もまた成に手厚い贈物をしたので、数年にならないうちに田が百頃、御殿のような
第宅
(
ていたく
)
、牛馬羊の家畜も千疋位ずつできた。で、他出する際には衣服や乗物が旧家の人のようであった。
促織
(新字新仮名)
/
蒲 松齢
(著)
そして十歩ばかりも歩いた時、僕は左手に並んでいる二階造の家を見て、「ここが
桜痴
(
おうち
)
先生と末造君との
第宅
(
ていたく
)
だ」と
独語
(
ひとりごと
)
のように云った。
雁
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
声色
(
せいしよく
)
飲食
(
いんしよく
)
は、その美なるをこのまず、
第宅
(
ていたく
)
器物
(
きぶつ
)
はその奇なるを要せず、あれば則ちあるに
随
(
したが
)
ひてこれを楽しみ、無くば則ち無きにまかせて
晏如
(
あんじよ
)
たり。
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そして前年の事をば「途中之間違」として謝した。棭斎の書牘には榕亭の
第宅
(
ていたく
)
庭園が細叙してある。その結構には詩人の所謂
堆垜
(
たいた
)
の病がある。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
「百姓がしたいなら、楼桑村へ帰りゃあいい。何も都に
第宅
(
ていたく
)
を構え左将軍なんていう官職はいるまい。
肥桶
(
こえおけ
)
をかつぐに、われわれ兵隊などもいらんわけだ」
三国志:05 臣道の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
三日以後にも昼夜数度の震動があるので、
第宅
(
ていたく
)
のあるものは庭に
小屋掛
(
こやがけ
)
をして住み、市民にも露宿するものが多かった。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
一館の
第宅
(
ていたく
)
を、内外両院にわけて、深院には夫人たちを奉じ、外院には士卒と自分などが住まい、両門のわきには、日夜二十余人の士卒を交代で立たせた。
三国志:05 臣道の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
柏軒は翌年お玉が池に
第宅
(
ていたく
)
を移す時も、家財と共にこれを新居に
搬
(
はこ
)
び入れて、一年間位
鄭重
(
ていちょう
)
に
保護
(
ほうご
)
していた。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
まだ
入洛
(
じゅらく
)
早々なので、幕府の政庁も将軍の
第宅
(
ていたく
)
も
普請
(
ふしん
)
にかかっている間がない。——その
館
(
やかた
)
のできるまでを、新将軍は、本国寺を仮の住居としていたのである。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
明治元年に徳川家が
新
(
あらた
)
にこの地に
封
(
ほう
)
ぜられたので、正直は翌年上総国
市原郡
(
いちはらごおり
)
鶴舞
(
つるまい
)
に
徙
(
うつ
)
った。城内の家屋は皆井上家時代の重臣の
第宅
(
ていたく
)
で、大手の左右に
列
(
つらな
)
っていた。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
こういえば平家の退却は、予定のもとに、秩序整然と行われたようにもあるが、それは
御幸
(
みゆき
)
のあった時刻の前後だけでいよいよ残る一門が、各〻の
第宅
(
ていたく
)
に火を放って
源頼朝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
わしの
生命
(
いのち
)
は強い。この大自然の中で山野に
呼吸
(
いき
)
している者だ。——平家の生命は、組み立てられた
第宅
(
ていたく
)
や人智の機構を力とし、しかもそれは
腐
(
す
)
えかけている
末期
(
まつご
)
のものだ。
源頼朝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
一門の
第宅
(
ていたく
)
十六ヵ所をはじめ、六波羅の
相府
(
しょうふ
)
、西八条の一郭、そのほか繁昌と権勢をきわめた幾多の栄花の殻に、平家は自ら火を放って、その夜、西国へ立ち退いたのであった。
源頼朝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その玉造の
第宅
(
ていたく
)
の園には、桃山造りの殿楼にふさわしい
白孔雀
(
しろくじゃく
)
なども飼育されていたが、同じ園内に、一
棟
(
むね
)
の長屋が建てられて、そこには汚い町の子や
嬰児
(
あかご
)
がたくさん養われていた。
日本名婦伝:細川ガラシヤ夫人
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
東福寺を出て諸国を
巡錫
(
じゅんしゃく
)
し、乞われて、しばらく
駿府
(
すんぷ
)
の家人の
第宅
(
ていたく
)
にいたが、義元の死後、内政ぶりもおもしろくないし、禅語に耳をかす者などは稀れなので、いつの頃か、そこを去り
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
なんと、この北国の貧村と、痩せたる民の
膏血
(
こうけつ
)
で作った
第宅
(
ていたく
)
の見すぼらしさよ。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
六波羅
(
ろくはら
)
の
館
(
やかた
)
とかまた平家の
門葉
(
もんよう
)
の
第宅
(
ていたく
)
には、夜となれば月、昼となれば花や紅葉、
催馬楽
(
さいばら
)
の管絃の
音
(
ね
)
に、美酒と、
恋歌
(
こいうた
)
の
女性
(
たおやめ
)
が、平安の夢を
趁
(
お
)
って、戦いと戦いとの、一瞬の間を、あわただしく
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
惣門
(
そうもん
)
前通りから四条の方へ寄った往来は、所司代の
第宅
(
ていたく
)
もあり、武家の小路もあり、町も整って、都らしくなるが、北側の
錦小路
(
にしきこうじ
)
あたりは、今なお整理されない
貧民窟
(
ひんみんくつ
)
が、
室町
(
むろまち
)
の世頃をそのまま
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
糸毛の
輦
(
くるま
)
、
八葉
(
はちよう
)
の輦、
輿
(
こし
)
や牛車が、
紅葉
(
もみじ
)
をかざして、打たせているし、宏壮な辻々の
第宅
(
ていたく
)
には、昼間から、
催馬楽
(
さいばら
)
の笛が洩れ、加茂川にのぞむ
六波羅
(
ろくはら
)
の
薔薇園
(
しょうびえん
)
には、きょうも、小松殿か、
平相国
(
へいしょうこく
)
かが
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
公卿の
第宅
(
ていたく
)
、会合、視察、そして近来は、
紫野
(
むらさきの
)
へと度々出向く。
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
第
常用漢字
小3
部首:⽵
11画
宅
常用漢字
小6
部首:⼧
6画
“第”で始まる語句
第
第一
第二
第一番
第三
第一流
第一嬢子
第一人者
第四十圖
第一斜檣