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爾來
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じらい
二十五六
歳の
頃より
毎日朝夕實行して、七十七
歳の
今日に
及び、
爾來數十年間頭痛を
忘れ、
胃は
健全となり、
感冐に
犯されたる
事未だ
一度もあらず。
爾來日本建築は
漸次に
進歩して
堅牢精巧なものを
生ずるに
至つたが、これは
高級建築の
必然的條件として
現れたので、
地震を
考慮したためではない。
童謠は(
應)が
始めて
來りし
稍以前より、
何處より
傳へたりとも
知らず
流行せるものにして、
爾來父母※兄が
誑しつ、
賺しつ
制すれども、
頑として
少しも
肯かざりき。
掛け
使ふは
勿論なる可く金はまた
光親子と共に
親類方へ預け置き
爾來光が召使いとして一生を
爾來數年、
志村は
故ありて
中學校を
退いて
村落に
歸り、
自分は
國を
去つて
東京に
遊學することゝなり、いつしか
二人の
間には
音信もなくなつて、
忽ち又四五年
經つてしまつた。
爾來地震の
記事は、かなり
詳細に
文献に
現れてをり、その
慘害の
状も
想像されるが、これを
建築發達史から
見て、
地震のために
如何なる
程度において、
構造上に
考慮が
加へられたかは
疑問である。