檀那寺だんなでら)” の例文
ええ、檀那寺だんなでらでございます。先代様とは碁や書籍の事でよく口争いをしましたり、仲直りをしたり、長い事でございました。
(新字新仮名) / 楠田匡介(著)
前の月大阪市で米騒動が持上る少し前、それに気づいた市内のある米屋は、持米もちまいの大部分を檀那寺だんなでらに担ぎ込んで、その保管かたを頼んだものだ。
一つの釜へ四人入候て相果申候、此事大評判にて、釜は檀那寺だんなでらへ納候へ共、見物夥敷おびたゞしく參候而不外聞の由にて、寺にては(自註、根津忠綱寺ちゆうかうじ一向宗)
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
主人の死が尋常でないといふ噂が立つて、檀那寺だんなでらでもそのまゝではとむらひを引受けてはくれず、御檢屍を待つて店中たゞウロウロして居る有樣でした。
随全寺ずいぜんじという法華宗の檀那寺だんなでらの古石垣が、河原のように崩れたままになっている草叢のあたりに、見廻すまでもなく
三日みつかは孫娘を断念し、新宿しんじゆくをひたづねんとす。桜田さくらだより半蔵門はんざうもんに出づるに、新宿もまた焼けたりと聞き、谷中やなか檀那寺だんなでら手頼たよらばやと思ふ。饑渇きかついよいよ甚だし。
足利あしかがの町へ縁付いている惣領娘そうりょうむすめにもいくらかの田地を分けてやった。檀那寺だんなでらへも田地でんぢ寄進きしんをした。そのほか五、六軒の分家へも皆それぞれの分配をした。
籠釣瓶 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
これに対して、檀家からはお寺のことを「檀那寺だんなでら」といいます。「法施」といって、「法を施す」からです。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
……そして、一家が甲府の町へ移って行く日、彼女は代々の檀那寺だんなでらである桂円寺に入って髪をおろした。
春いくたび (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
村の小学校へ一寸顔だけ出して檀那寺だんなでらへ行つた。暫く東京の話などしてから、住職と五目並を四五囘やつた頃、磯二は鰹が沢山獲れるから手伝に来て呉れと呼びに来た。
厄年 (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
夜のあけ方には、派出所の巡査おまわり檀那寺だんなでら和尚おしょうまで立ち会わせるという狂い方でございまして。
眉かくしの霊 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
すると或る晩に、その墓は五輪の塔で、こういう木の下にうずまっていると夢に見たので、その翌日檀那寺だんなでらへ行って、夢に見た通りがすとはたして見付めっかった。これも友人が最近に見た正夢まさゆめである。
取り交ぜて (新字新仮名) / 水野葉舟(著)
これは檀那寺だんなでらの和尚さんを自分の家へ呼んで酔わしたものであろうという人があるかも知れぬが、特に下五字に「花に鐘」と置いたところから言っても、また「僧」とか「和尚」とか言わずに
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
檀那寺だんなでらの和尚では無いから、岡崎から遂ひ出すわけにも行か無かつた。
蓬生 (新字旧仮名) / 与謝野寛(著)
で、檀那寺だんなでらに頼んで、新しく戒名を附けて貰ふ事にした。お寺の坊さんはけばけばしい色の法衣ころもを引掛けて、鸚哥いんこのやうな風をしてやつて来た。
檢屍前はとむらひを受け付けないやうにと、檀那寺だんなでらに言ひ含め、あつしは朝飯も食はずに此處まで飛んで來ましたよ。
もうそうなりますとね、一人じゃ先へ立つのもいやがりますから、そこで私が案内する、と背後あとからぞろぞろ。その晩は、鶴谷の檀那寺だんなでら納所なっしょだ、という悟った禅坊さんが一人。
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
又つらつら考へれば、鸚鵡の籠をげたるまま、檀那寺だんなでらの世話にはなられぬやうなり。即ち鸚鵡に玄米の残りを食はせ、九段上の濠端ほりばたよりこれを放つ。薄暮はくぼ、谷中の檀那寺に至る。
深川の材木問屋春木屋の主人治兵衞が、死んだ女房の追善つゐぜんに、檀那寺だんなでらなる谷中の清養寺の本堂を修理し、その費用三千兩を吊臺にせて、木場から谷中まで送ることになりました。
卓子テエブルに伸上る)はは、いかさま、いや、若様。あれは水晶の数珠じゆずにございます。海に沈みまする覚悟につき、冥土めいどに参る心得のため、檀那寺だんなでら和尚おしょうが授けましたのでござります。
海神別荘 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
深川の材木問屋春木屋はるきやの主人治兵衛じへえが、死んだ女房の追善ついぜんに、檀那寺だんなでらなる谷中やなか清養寺せいようじの本堂を修理し、その費用三千両を釣台つりだいに載せて、木場きばから谷中まで送ることになりました。
山門を仰いで見る、処々、え崩れて、草も尾花もむら生えの高い磴を登りかかった、お米の実家の檀那寺だんなでら——仙晶寺というのである。が、燈籠寺とうろうでらといった方がこの大城下によく通る。
縷紅新草 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
容易に剿滅そうめつしたわけではなく、現に二年前の萬治元年には大村領の邪宗徒六百三人を死罪にし、幕府は切支丹禁制の令を嚴にし、奴僕を召抱へるのに、檀那寺だんなでらの證文を必要としました。
何だか、薄気味の悪いような、横柄で、傲慢ごうまんで、人をめて、一切心得た様子をする、檀那寺だんなでらの坊主、巫女いちこなどと同じ様子で、頼む人から一目置かれた、また本人二目も三目も置かせる気。
吉原新話 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
容易に剿滅そうめつしたわけではなく、現に二年前の万治元年には大村領の邪宗徒六百三人を死罪にし、幕府は切支丹禁制の令を厳にし、奴僕ぬぼくを召抱えるのに、檀那寺だんなでらの証文を必要としました。
その前に、かれは母の実家さと檀那寺だんなでらなる、このあたりの寺に墓詣はかまいりした。
夫人利生記 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「氏神の玉垣を寄附する時も、親柱五本に菊屋傳右衞門の名をきざませ、檀那寺だんなでら鯨幕くぢらまくにも自分の名が入つて居るし、時の鐘の月掛けも、四文で濟むところを、十二文と出すんださうで」
わたし檀那寺だんなでら和尚をしやうの、それも隱居いんきよしたのかとおもひました。
みつ柏 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
無事にとむらいを引受けると、後日の難儀だろう——と檀那寺だんなでらに手紙を投り込んだ者があって、葬式を出せなくなってしまい、検屍をお願いする騒ぎです。親分もちょいと立会って下さいませんか。
無事にとむらひを引受けると、後日の難儀だらう——と檀那寺だんなでらに手紙を投り込んだ者があつて、葬式を出せなくなつてしまひ、檢屍をお願ひする騷ぎです。親分もちよいと立ち合つて下さいませんか。