横川よかわ)” の例文
笹の峰、薬王坂などの険しい道を進み、ようやく横川よかわ解脱谷げだつだににある寂定坊じゃくじょうぼう辿たどり着かれた。ところが多くの僧たちは騒ぎ立てた。
二日の朝、都にある叡山えいざん横川よかわの旧友から、赦免を祝う手紙がとどいた。そのほかの人々からも急に、ここへ届けられる書状がえだした。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かおるは山の延暦寺えんりゃくじに着いて、常のとおりに経巻と仏像の供養を営んだ。横川よかわの寺へは翌日行ったのであるが、僧都そうずは大将の親しい来駕らいがを喜んで迎えた。
源氏物語:56 夢の浮橋 (新字新仮名) / 紫式部(著)
或る日の明け方、二人は上人の仰せをうけて、横川よかわの僧正の許へ使いにやられた帰り路に、人通りの稀な杉の木蔭に腰をおろして、暫く疲れを休めて居た。
二人の稚児 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
十一月一日 往年横川よかわ中堂にてはじめて渋谷慈鎧じがい邂逅かいこう。今は京の真如堂の住職。その還暦祝に句を徴されて。
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
その声を浴びた横川よかわの僧都が、どんなに御悄おしおれなすったか、それは別段とり立てて申すまでもございますまい。
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
それから今一つは祖父が壮年のころ、叡山の奥の院、横川よかわの寺に何とかいう名の老僧があって、それが、幾代か前に尾芝から出た人というので対面を行った。
故郷七十年 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
多武峰とうのみねの増賀上人、横川よかわ源信げんしん僧都そうず、皆いずれも当時の高僧で、しかも保胤には有縁うえんの人であったし、其他にも然るべき人で得度させて呉れる者は沢山有ったろうが
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
一体御前方はただ歩行あるくばかりで飛脚ひきゃく同然だからいけない。——叡山には東塔とうとう西塔さいとう横川よかわとあって、その三ヵ所を毎日往来してそれを修業にしている人もあるくらい広い所だ。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ひえの紅葉もみじ長柄ながらにしき横川よかわの月を見やりたまいしも、金がなくてはさらにおかしくもおもしろくもあるまじ、ただ世の中は黄金にこそ天地もそなわり、万物みなみなこれがなすところにして
貧乏物語 (新字新仮名) / 河上肇(著)
「法皇には、昨夜おそく、ひそかに院を忍び出られ、鞍馬より横川よかわを経て、義仲の陣営にあてられている延暦寺えんりゃくじ御幸みゆきあそばされてしもうたらしい」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
昼間横川よかわの方へ海布引乾ひきぼしを差し上げた時に、大将さんがおいでになって、にわかに饗応きょうおう仕度したくをしている時で、いいおりだったというお返事がありましたよ
源氏物語:56 夢の浮橋 (新字新仮名) / 紫式部(著)
金襴きんらん袈裟けさ、水晶の念珠ねんず、それから白い双の眉毛——一目見ただけでも、あめした功徳無量くどくむりょうの名を轟かせた、横川よかわ僧都そうずだと申す事は疑おうようもございません。
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
中途で退出したことを聞召きこしめされて大いに御気色みけしきを損ぜられたので、浄蔵は深く勅勘ちょっかんの身をつゝしみ、三箇年の間横川よかわ首楞厳院しゅりょうごんいん籠居ろうきょして修練苦行の日を送ったと云うが、世間一般の人々は
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
八月三日 叡山横川よかわ中堂。七月三十日雷火のため炎上。渋谷慈鎧座主に贈る。
六百句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
とう修羅しゅら西さいは都に近ければ横川よかわの奥ぞ住みよかりけると云う歌がある通り、横川が一番さびしい、学問でもするに好い所となっている。——今話した相輪橖そうりんとうから五十丁も這入はいらなければ行かれない
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「では。……先日から再三、おもとに使いをよこしておる横川よかわ和尚おしょうの用向きも、何かそれについての嘆願じゃの」
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
薬師仏の供養をその時にすることもあるので叡山えいざんへも時々行く大将であったから、そこの帰りに横川よかわへ寄ろうと思い、浮舟の異父弟をも供の中へ入れて行った。
源氏物語:55 手習 (新字新仮名) / 紫式部(著)
横川よかわの僧都は、今あめした法誉無上ほうよむじょう大和尚だいおしょうと承わったが、この法師の眼から見れば、天上皇帝の照覧をくらまし奉って、みだりに鬼神を使役する、云おうようない火宅僧かたくそうじゃ。
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
あたかも当時滋幹は、しば/\叡山の横川よかわ定心房じょうしんぼう良源を訪ねて佛の教を聴いていたので、彼がもしその帰るさに道を雲母坂きらゝざかに取って下山したならば、つい母の住むふもとの里へ出られたのであった。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
大四明峰だいしめいのみねの南嶺に高くくらいしているので、東塔西塔はいうまでもなく、横川よかわ飯室いいむろの谷々もながらに見える。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
弟の禅師が僧都の弟子になって山にこもっているのをたずねに兄たちはよく寺へ上った。横川よかわへ行く道にあたっているために中将はときどき小野の尼君を訪ねに寄った。
源氏物語:55 手習 (新字新仮名) / 紫式部(著)
「その範宴が、明日あすから横川よかわ禿谷かむろだにで、講義をひらくということだが——」と、思いだしたようにいうと
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのころ比叡ひえ横川よかわ某僧都なにがしそうずといって人格の高い僧があった。八十を越えた母と五十くらいの妹を持っていた。この親子の尼君が昔かけた願果たしに大和やまと初瀬はせ参詣さんけいした。
源氏物語:55 手習 (新字新仮名) / 紫式部(著)
すると、この頃になって、毎夜のように、山には出火が頻々ひんぴんと起った。ゆうべは、横川よかわの大乗院の薪倉まきぐらから、おとといの夜は、飯室谷いいむろだにの滝見堂から、小火ぼやがあった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中宮は堅い御決心を兄宮へお告げになって、叡山えいざん座主ざすをお招きになって、授戒のことを仰せられた。伯父おじ君にあたる横川よかわ僧都そうずが帳中に参っておぐしをお切りする時に人々の啼泣ていきゅうの声が宮をうずめた。
源氏物語:10 榊 (新字新仮名) / 紫式部(著)
揺するように、横川よかわで鳴ると、西塔さいとうや、東塔の谷でも、ごうん、ごうん……と鐘の音が答え合った。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「たずねてみましても、横川よかわ亮信阿闍梨りょうしんあじゃりは、これにおらぬ由でございます」
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また御城門まで、横川よかわの和尚の弟子が参りまして、って、もう一応、この書面を御城主へ取り次いで欲しいと申し、何とねつけても、命をかけて来たお使いですからといって、立ち帰りません。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)